第6話 黄泉比良坂

 夕暮れの村は不気味なほどに朱く、静かだった。

 いつもであれば黒い影の姿があちこちに見え、奴らの不気味な声も騒がしいほどなのだが今日は全然姿が見えない。

 「いたか⁉」

 「いや、こっちもいなかった」

 「池の方は?誰か探しに行ったか?」

 「伊与さんと三郎太が」

 「くそっ!いったい何がどうなっているんだ!」

 村の大人たちは焦りや不安、恐怖の表情を浮かべながらおねねを探して村のあちこちを走り回っていた。

 

 ザアアァァァァ


 水が張られた田んぼの水面を妙に生暖かい風が揺らしながら俺の髪をそっと撫でて通り過ぎて行った。

 「―――――」

 そんな風に乗って声が聞こえたような気がした俺は風の吹いてきた方へ目を向ける。

 「―――」

 やはり何か聞こえる気がする。

 俺は茂平の手を離すと背後から聞こえる大人たちの制止の声も無視して走り出した。

 


 自分より背の高い草をかき分けて奥へ進んでいく。

 先も見えないし足元も薄暗くてよく見えない。

 大人たちが俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが止まらず、振り返らずに草むらを進んでいく。

 「――――」

 声が先ほどより近く聞こえる。

 こっち?

 一歩踏み出した瞬間、体がガクンと下がった。

 地面を捉えたと思っていた右足が、何もない空間を舞う。

 「あっ!」

 俺はそのまま穴の中に落っこちた。


 ばしゃん!


 「ううっ」

 俺は地面に手をついて体を起こす。

 薄暗くてよく見えないが下は水のようだ。

 上を見上げてみると自分が落ちたであろう小さな穴から朱い空が見えていた。

 どうしよう…

 俺は飛び跳ねたり、つるつるした土の壁へ手や足をかけたりしてこの場所から出ようとするが穴には全く届かない。

 「うぅ。は、母上ぇ~!茂さぁ~ん!」

 穴に向かって大声を出してみるが返事が返ってくることはなく、風が草木を揺らす音だけが聞こえてくる。

 「ど、どうしよ…」

 俺は涙目になりながら穴の中を見渡してみる。

 どうやらこの穴は洞窟のように奥に続いているようだ。しかし先は暗闇で何も見えない。

 「ははうえー!しげさぁーん!…ははうえぇ~」

 わんわんと泣いていると洞窟の奥から再びあの生暖かい風が吹いてきた。

 俺はびくりと肩を震わせ暗闇へ目を向ける。

 「――」

 奥から声が聞こえた。

 はっきりとは聞こえないが、なぜか呼ばれているような気がした俺は恐る恐る暗闇へと足を踏み出した。


 ぽちゃ          ぽちゃん


 洞窟の天井から水滴か落ちてくる音が響き渡る。

 少し下り坂になっているうえに真っ暗なので滑らないように慎重に歩いていく。

 

 ぽちゃん         ぽちゃん

 

 洞窟の先が少し明るくなっているような気がする。

 「出口?」

 やはり進んでいくにつれて洞窟の中が明るくなってきている。

 やっと外に出られる!

 俺は喜びのあまりその朱い光に向かって走り出した。

 しかし途中で気が付いた。

 洞窟の奥から差し込むその朱い光が不規則にゆらりゆらりと揺れていることに。そう。まるで炎のように。

 心の底から恐怖が這い上がってくる。

 俺は足を止め洞窟の先、朱い光の揺らめく場所をじっと見つめた。

 「――――――」

 「―――」

 あの声が聞こえる。

 しかも今度は一人ではない。何か話しているようだ。

 俺は恐る恐る、音をたてないよう、姿が見えないよう、影に隠れるようにしながら先へ進んでいく。

 生暖かい風が再び髪を撫でた。

 「―――」

 「――――――」

 「――」

 かなり近くまで来た。

 相変わらず声が何を話しているのかは聞き取れないが、こちらには気が付いていないようだ。

 俺は姿勢を低くしたまま陰から顔をのぞかせる。

 思っていた通りあの光は外の光ではなかった。

 広い空間に置かれた松明。ぬかるんだ地面に火の光が反射していてとても不気味だ。

 もう少しよく見てみようと少しだけ身を乗り出してみた。

 洞窟の一番奥に石でできた扉が見える。そして、その前に顔を手で覆った女の子が一人座っている。

 「――――――」

 「――――」

 「―――――――」

 女の子のそばに座っている髪の長い女たちが何かを話しているようだ。

 こちらに背を向けているため表情は分からないが、ぼろぼろの着物や乱れた黒髪からなんとなく不気味な、人間ではないような雰囲気が漂っている。

 それよりもあの女の子。

 顔こそ見えないが見覚えのある姿をしている。

 短く切りそろえられた黒髪に黄色の着物。確かあの子は源蔵さんの妹の…

 「おねね?」

 俺がそう呟くと女たちの話し声がピタリと止まった。

 慌てて身を隠したがもう遅かった。

 「誰ぇ?御言君?誰ぇ?」

 おねねがそう言ったのが聞こえた俺は少し安心して再び顔をひょこっと出した。

 女たちは相変わらず無言で俺に背中を向けたままだ。

 「お、おねね?」

 恐る恐るそう尋ねるとおねねは答える代わりに、しくしくと泣き出してしまった。

 「お、おねね?帰ろう。源蔵さんも村の人も心配してたよ」

 俺はゆっくりと立ち上がり、おねねの方へ一歩近づく。

 「――い」

 顔を手で覆ったままのおねねが何か言った。

 おねね?何か…おかしい

 そう思った俺は一歩後ずさる。

 「遅いよ。もう…。遅いの」

 そう言うとおねねは顔から手を離した。

 俯いたままで顔が髪の影で隠れているため表情は分からない。

 「お おねね?」

 そう尋ね、また一歩、後ろへ下がる。

 妙に生暖かい風がおねねの後ろの扉からこちらに向かって吹いてくる。

 「ね、ねえ。おねね、帰ろうよ。ここ、何か変――」

 「見ないで!」

 急に叫んだおねねに驚いた俺はびくっと肩を揺らす。

 「見ないで見ないで見ないで見ないでえええぇぇぇぇぇえええ!」

 顔を上げたおねねと目が合った俺はヒイッと短い悲鳴を上げた。

 おねねの顔がない。いや、正確には顔の皮だけが無くなっていると言うべきなのだろうか。

 おねねは血走った目で俺を睨みつけると

 「見た見た見たなああ⁉帰さない!カエサナイ!」

 と叫んで俺の方に手を伸ばしてきた。

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