第5話 始まりの時
神様の言った災厄は桜が散り始めた頃にやってきた。
作物は枯れ、体調を崩す村人が多くなってきたのだ。
そして俺の目に見える景色もだんだんと変化していった。
「はぁっ はあっ」
俺は桜の舞い散る坂道を走って上る。
後ろを振り返ると黒くてグニャグニャとした影のようなものが、何かよく分からない言葉のようなものを発しながら追いかけてきていた。
「はあ はあっ」
俺は石の階段を駆け上がる。
目の前に赤い鳥居が見えてきた。
もうすぐ!あそこまで行けばっ!
俺は滑り込むように鳥居をくぐると、後ろを振り返った。
びぎぃっ!
鳥居をくぐろうとした黒い影は見えない壁のようなものに阻まれ、中に入ることができずにいる。
俺はホッと息を吐いて神社の奥へ走って向かった。
「茂さん!」
大きな声でそう呼びかけて、竹ぼうきで石畳を掃いていた茂平のもとに駆け寄る。
茂平は俺に気が付くとにこりと笑って尋ねた。
「やあ、御言君。今日もですか?」
俺はこくりと頷いて鳥居の方を指さす。
そこにはまだあの黒い影が立っていた。
「あら。最近は多いですね。作物や村の人たちの体調不良も物の怪たちのせいでしょうね」
そう言うと茂平は鳥居の黒い影に近づいて行った。
俺もその後ろを恐る恐るついて行く。
茂平は鳥居越しにその黒い影をじっと見つめると、何かをブツブツと呟きながら懐から取り出した塩をそれに向かって投げつけた。
黒い影は じゅうぅ と音をたてて小さくなると、逃げるように大急ぎで坂を下って行ってしまった。
「さ。これで奴は二週間はやって来ないはずです。村の人たちにも物の怪の姿が見えれば自身の身を守るための方法を教えることもできるのですが…」
そう言うと茂平は俺の頭にポンッと手を置いた。
「この村で物の怪の姿が見えるのは私と御言君の二人だけなので、私たちが村を守らなくてはいけませんね」
少し困ったような顔をして微笑んだ茂平と目が合った。
その言葉に大きく頷いた俺を見た茂平は頬を緩めると、俺の背中をそっと押した。
「それでは今日は簡単なお祓いの方法をお教えしますね。これを知っておけば今日追いかけてきたくらいの物の怪なら対処できるようになるはずです。あっ、でも一昨日のと同じくらいの奴らには効果があまりないのでそこは気を付けてくださいね」
「うんっ!」
大きく頷いた俺は、いつものように神社のそばにある茂平の家に向かって走り出した。
黒い影のような物が見えるようになってから俺は毎日、茂平から奴らについて様々なことを教わっていた。
あの黒い影は物の怪で普通の人には見えないということ。奴らの特徴や祓うための方法、弱点。他にも過去に茂平が経験した話など色々なことを教えてもらっている。
母上やお腹の妹、それに村の人。大切なものを守りたいと思っていた俺にとってこの時間はとても充実した、大好きな時間だった。
少しひんやりとした風が俺と茂平の間を通り過ぎる。
「おや、もうこんな時間ですね」
そう言って窓の外を見た茂平と同じように外を見てみると日が暮れかけていた。
「黄昏時は危ないですからね。家まで送りましょう」
そう言って立ち上がった茂平に続き、ぴょんっと俺も立ち上がる。
「茂さん!明日は?明日は何を教えてくれるの?」
キラキラとした瞳でそう尋ねた俺を見て茂平は顎に手を当てる。
「そうですねぇ…。それじゃあ明日は――」
「し、茂平様ぁ!」
外から聞こえた男の慌てた声に俺たちは急いで外へ出る。
見てみるとぜーはーと肩で息をしている青年が鳥居のそばに立っていた。
「源蔵さん?どうされました?」
茂平が彼にそう尋ねると、源蔵は青い顔に浮かんだ汗を着物の袖で拭いながら口を開いた。
「い、妹が!おねねが!」
完全に取り乱している様子の源蔵。茂平も何か尋常ではない事が起こったことを感じ取ったのか、瞳にわずかな焦りの色が混ざっている。
「源蔵さん、とりあえず落ち着いてください。何があったんです?」
茂平の問いに源蔵は落ち着く様子もなく、慌てた口調のまま、わたわたと額に汗を浮かべていた。
「お、おねねが行方不明に!ほんの少し――ほんの一瞬だけ目を離した間にいなくなってしまって!い、今、村の皆で探しているのですが、痕跡も見当たらなくてっ!」
「一瞬の間に…?黄昏時……神隠し…ですか?とりあえず皆さんの所へ向かいましょう。御言君も家まで送るので。さあ」
俺は差し出された茂平の大きな手をぎゅっと握って、村へと続く夕暮れの階段を急いで駆け下りた。
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