第1話 山の神様
「ぎ ぎゃーーーーーーーーっ!」
満月の輝く暗闇に甲高い断末魔が響き渡る。
「ぐぎぎぎぎっ や やまの かみは ぐが あああああああ!」
歌を歌おうとしていた女の人の声が再び叫び声へと変わる。
それぞれ別々の方向へ引っ張られている両手両足と首からだろうか。ぶちっ ぶちっ と弾力のある何かが少しずつ千切れていく音がする。
「がああああああああああ ぐ が あ み みごど ざ まああああああああああ!」
ゴギン
嫌な音がした後、女の声がピタリと止まった。
ガガガガ
静寂に包まれた暗闇には、女の手足と首の五か所に結ばれた綱を引っ張る木の装置が動く音と、ぶちぶち という音とそれに交じって時々聞こえる ゴキッ という音だけが響き渡る。
不快な音を聞きながら目の前で起こっていることをただ見つめていると ぶちんっ という大きな音とともに装置の動きが止まった。
御言の隣にいた男が、手に持った錫杖を二度鳴らす。
すると暗闇から、見張りをしていた男たちがぞろぞろと現れた。
男たちはバラバラになった女の体を一つずつ、美しい布で丁寧にくるむと、それぞれに繋がっていた綱でその布を縛った。
男たちが御言の前に六つの塊を持ってくる。
御言はそれを見て、男たちに指示を出す。
「壱の巫女と弐の巫女と同じように。頭はカシラギとの境に。腕はテシロとの境に。足はアシヅキとの境に。胴は祠へ」
御言の言葉に男たちは小さく頷くと、その塊を持ってどこかへ去っていった。
共に暗闇に残された錫杖を持った男がミコトに話しかける。
「肆の巫女…大柱は次の満月の時ですね」
御言は何も言わずに、ただ目の前に広がる赤い水たまりを見つめていた。
「たしか、今回の大柱は…三郎太の所の娘でしたね」
男の言葉への返事がない代わりに、山の木々を揺らす風の音が響き渡る。
何も言わず目の前を見つめる御言に、男は小さくため息をついた。
「御言。最期になるんですよ。彼女はあなたのことを――」
「知っている」
御言の言葉に男はぐっと口を閉じた。
「知っている。でも…それだけだ」
「………」
御言は小さく息を吐くと、自分の家のある山のふもとの神社の方へ松明も持たずに歩き始める。
真っ白な髪が満月の青白い光に照らされて、夏の蒸し暑い夜に降ってきた雪のようにきらりと輝いてた。
赤い瞳に白い髪、病弱な体。俺は五歳まで生きられるかどうか分からないと言われていた。
ちょうど五歳の冬、俺は風邪をひいてしまい高熱を出した。
あまりの熱に村の人たちはもうどうすることもできないと言っていたが、母上は諦めずに看病してくれた。
その日はとても寒い日だった。外では白い雪が降り、風が戸を揺らしていた。
しゃんっ
どこからか、とても澄んだ鈴の音がした。
熱のせいで胸の上に何かが乗っているのではないかと思うくらい呼吸がしにくかったはずだが、今はとても楽だ。
ああ、もう死ぬのかな…。いや、もう死んだのかな…
そう思ったが不思議と恐怖はなかった。
ふわっ
柔らかい何かが俺の頬に触れた。
とても暖かくて、それでもってお日様の匂いがする。
俺はそれを見ようとして目を開けた。
一面真っ白な世界。その奥の方から伸びている何かが俺の頬に触れていた。
細く長い、つやのある布のようなもの。だが、生きているかのように自由自在に動いている布のようなものだ。
その布のような何かは俺が目を開けたのを確認すると、しゅるしゅると白い霧の中へ戻っていった。
待って!
俺はその布を追いかけて飛んだ。
なぜか小さな鳥の姿になっていたのだ。
俺は銀色に輝く翼を一生懸命に動かして白い霧の中を進んでいく。
突然、周りを覆っていた霧が晴れた。
そして目の前にあの布の本体が現れた。
それはとても美しく、神聖な空気を纏っていた。
朱い面のような顔にそこから生えた二本の黒い角。白くて長い四本の脚。額から尻尾まで一続きになった輝く銀と金の鬣。朱い顔の縁からはひらひらと動く柔らかな色の布がいくつも伸びている。
この世の生き物ではないその姿を見た俺はやはり自分は死んだのだと思った。
この村で生まれた人間が死んだとき、その魂を山の神様が迎えに来てくれるという言い伝えが村にはあったからだ。
神様が…山の神様が迎えに来てくださったんだ
俺はゆっくりと目を閉じた。
母上や家こと、村の皆のことが心配ではあったが、山の神様が本当にいると分かった今、不安はほとんどなくなっていた。
きっと山の神様が母上たちのことも見ていてくださる。
『 』
頭の中に直接響くような声が俺の名前を呼んだ。
『 』
俺はぱちりと赤い目を開ける。どうやら山の神様が名前を呼んだようだ。
『 。家族のことが心配なのだろう?助けてやろう』
山の神様の言葉に俺はとても喜んだ。
なんて慈悲深い方なのだろう。あなた様の為なら私は何でもします!
俺の言葉に山の神様の朱い面のような顔が少し微笑んだような気がした。
『それではお前には村の人たちに私の言葉を伝える役目をあげよう。私が頼んだことは何でもしなくてはいけないよ。命を助けてあげるのだから』
俺は何度も頷いて翼をパタパタと動かした。
『よろしい。では、お前には新しい目をあげよう。これがあれば、私からの頼みも果たしやすくなるだろう。お前はこれから御言と名乗るんだよ。私の言葉を聞く者という意味だ。いいかい?御言』
はい!ありがとうございます!
俺は喜びのあまりぴよぴよと泣きながら返事をする。
『では御言。また後で。ここでの話を忘れてはいけないよ』
山の神様がそう言うと、再びあの布が表れ、俺の小さな体を優しく包み込んだ。
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