舞姫

森鷗外/カクヨム近代文学館

  

 石炭をばや積み果てつ。中等室のつくえのほとりはいとしずかにて、ねつとうの光の晴れがましきもいたずらなり。よいごとにここにつどきた骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは一人ひとりのみなれば。

 いつとせまえことなりしが、平生ひごろのぞみ足りて、洋行の官命をこうむり、このセイゴンの港までころは、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとしてあらたならぬはなく、筆に任せて書きしるしつる紀行文ごとに幾千言をかなしけん、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもえば、おさなき思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさえ珍しげにしるししを、心ある人はいかにか見けん。こたびはみちに上りしとき、ものせんとて買いしさつもまだ白紙のままなるは、独逸ドイツにて物学びせしに、一種の「ニル・アドミラリイ」のしようをや養い得たりけん、あらず、これには別にゆえあり。

 げにひんがしかえる今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなお心に飽き足らぬところも多かれ、うきのうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言うもさらなり、われとわが心さえかわやすきをも悟り得たり。きのうのはきょうのなるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。

 嗚呼ああ、ブリンジイシイの港をでてより、二十日はつかあまりを経ぬ。世の常ならばせいめんの客にさえまじわりを結びて、旅のさを慰めあうが航海のならいなるに、ようにことよせてへやうちにのみこもりて、同行の人々にも物言うことのすくなきは、人知らぬうらみかしらのみ悩ましたればなり。この恨は初めいちまつの雲のごとわが心をかすめて、瑞西スイスさんしよくをも見せず、伊太利イタリアせきにも心をとどめさせず、中ごろは世をいとい、身をはかなみて、はらわた日ごとにきゆうかいすともいうべきさんつうをわれにわせ、今は心の奥にり固まりて、一点のかげとのみなりたれど、ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずるひびきごとく、かぎりなき懐旧の情をおこして、いくたびとなくわが心をくるしむ。嗚呼ああ、いかにしてかこの恨をしようせん。ほかの恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地ここちすがすがしくもなりなん。これのみはあまりに深くわが心にりつけられたればさはあらじと思えど、よいはあたりに人も無し、ぼうの来て電気線のかぎひねるにはなおほどもあるべければ、いで、その概略を文につづりて見ん。

 余は幼きころより厳しきにわおしえを受けしに、父をば早くうしないつれど、学問のすさおとうることなく、きゆうはんの学館にありし日も、東京にでてこうに通いしときも、大学法学部にりし後も、おおとよろうという名はいつも一級のはじめにしるされたりしに、一人ひとりの我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九のとしには学士の称を受けて、大学の立ちてよりそのころまでにまたなき名誉なりと人にも言われ、なにがし省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎え、楽しき年を送ること三とせばかり、官長のおぼことなりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、わが名を成さんも、わが家をおこさんも、いまぞとおもう心の勇み立ちて、五十をえし母に別るるをもさまで悲しとは思わず、はるばると家を離れてベルリンの都にぬ。

 余はたるこうみようねんと、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、たちまちこの欧羅巴ヨーロツパの新大都の中央に立てり。なんの光彩ぞ、わが目を射んとするは。何等のしきたくぞ、わが心を迷わさんとするは。だいじゆと訳するときは、幽静なるさかいなるべく思わるれど、この大道かみごときウンテル・デン・リンデンに来て両辺なる石だたみの人道を行くくみぐみの士女を見よ。胸張り肩そびえたる士官の、まだ維廉ウイルヘルム一世のまちに臨めるまどたもころなりければ、さまざまの色に飾り成したる礼装をなしたる、うつくし少女おとめまねびのよそおいしたる、彼もこれも目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青アスフアルトの上を音もせで走るいろいろの馬車、雲にそびゆるろうかくの少しとぎれたるところには、晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つるふきの水、遠く望めばブランデンブルク門をへだてて緑樹えだをさしわしたる中より、半天にうかでたるがいせんとうの神女の像、このあまの景物もくしようかんあつまりたれば、はじめてここにしものの応接にいとまなきもうべなり。されどわが胸にはたといいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をばうごかさじのちかいありて、つねに我を襲う外物をさえぎとどめたりき。

 余がすずなわを引き鳴らしてえつを通じ、おおやけの紹介状をだして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、みなこころよく余を迎え、公使館よりの手つづきだに事なくみたらましかば、何事にもあれ、教えもし伝えもせんと約しき。喜ばしきは、わがふるさとにて、独逸ドイツ仏蘭西フランスの語を学びしことなり。彼はじめて余を見しとき、いずくにていつのにかくは学び得つると問わぬことなかりき。

 さて官事のいとまあるごとに、かねておおやけのゆるしをば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めんと、名を簿さつに記させつ。

 ひと月ふた月とすぐほどに、おおやけのうちあわせもみて、とり調しらべも次第にはかどけば、いそぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写しとどめて、ついにはいくまきをかなしけん。大学のかたにては、おさなき心に思いはかりしがごとく、政治家になるべき特科のあるびょうもあらず、これかれかと心迷いながらも、二三の法家のこうえんつらなることにおもい定めて、謝金をおさめ、きて聴きつ。

 かくてとせばかりは夢のごとくにたちしが、時きたれば包みても包みがたきは人のこうしようなるらん、余は父の遺言を守り、母のおしえに従い、人の神童なりなどむるがうれしさに怠らず学びしときより、官長のき働き手を得たりとはげますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、ただ所動的、器械的の人物になりてみずから悟らざりしが、今二十五歳になりて、すでに久しくこの自由なる大学の風にあたりたればにや、心のうちなにとなくおだやかならず、奥深くひそみたりしまことの我は、ようよう表にあらわれて、きのうまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余はわが身のいまの世に雄飛すべき政治家になるにもよろしからず、またく法典をそらんじて獄を断ずる法律家になるにもふさわしからざるを悟りたりと思いぬ。

 余はひそかに思うよう、わが母は余をきたる辞書となさんとし、わが官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらんはうべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。いままではたる問題にも、きわめてていねいにいらえしつる余が、この頃より官長に寄する書にはしきりに法制の細目にかかずらうべきにあらぬを論じて、ひとたび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹のごとくなるべしなどと広言しつ。また大学にては法科のこうえん余所よそにして、歴史文学に心を寄せ、ようやしよさかいに入りぬ。

 官長はもと心のままに用いるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想をいだきて、人なみならぬおももちしたる男をいかでか喜ぶべき。あやうきは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なおわが地位をくつがえすに足らざりけんを、ごろ伯林ベルリンの留学生のうちにて、る勢力あるひとむれと余との間に、面白からぬ関係ありて、かの人々は余をさいし、またついに余をざんするに至りぬ。されどこれとてもそのゆえなくてやは。

 かの人々は余がとも麦酒ビールさかずきをも挙げず、たまきのキユーをも取らぬを、かたくななる心とよくを制する力とに帰して、かつあざけかつねたみたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼ああこのゆえよしは、わがだに知らざりしを、いかでか人に知らるべき。わが心はかの合歓ねむという木の葉に似て、物さやれば縮みて避けんとす。わが心は処女に似たり。余が幼きころより長者のおしえを守りて、まなびの道をたどりしも、つかえの道をあゆみしも、な勇気ありてくしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、みずかあざむき、人をさえ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、ひとすじにたどりしのみ。余所よそに心の乱れざりしは、外物をててかえりみぬほどの勇気ありしにあらず、ただ外物に恐れてみずからわが手足をばくせしのみ。故郷を立ちいづる前にも、ゆうの人物なることを疑わず、またわが心のく耐えんことをも深く信じたりき。嗚呼ああ、彼も一時。舟の横浜を離るるまでは、天晴あつぱれ豪傑と思いし身も、せきあえぬ涙にしゆきんらしつるをながら怪しと思いしが、これぞなかなかにわが本性なりける。この心はうまれながらにやありけん、また早く父を失いて母の手に育てられしによりてや生じけん。

 かの人々のあざけるはさることなり。されどねたむはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。

 赤く白くおもてを塗りて、かくぜんたる色のころもまとい、珈琲店カツフエーに坐して客をく女を見ては、きてこれにかん勇気なく、高きぼういただき、眼鏡めがねに鼻をはさませて、普魯西プロシヤにては貴族めきたる鼻音にて物言う「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊ばん勇気なし。これの勇気なければ、かのかつぱつなる同郷の人々とまじわらんようもなし。この交際のうときがために、かの人々はただ余を嘲り、余を嫉むのみならで、また余をさいすることとなりぬ。これぞ余がえんざいを身に負いて、ざんあいだに無量のかんなんけみつくなかだちなりける。

 る日の夕暮なりしが、余はじゆうえんを漫歩して、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、がモンビシュウ街のきようきよに帰らんと、クロステルこうの古寺の前にぬ。余はともしの海を渡り来て、この狭く薄暗きちまたに入り、楼上の木欄おばしましたる敷布、襦袢はだぎなどまだとり入れぬ人家、ほおひげ長き猶太ユダヤ教徒のおきなぜんたたずみたる居酒屋、一つのはしごただちにたかどのに達し、他の梯はあなぐら住まいの鍛冶かじが家に通じたる貸家などにむかいて、おうの形にひつみて立てられたる、この三百年前の遺跡を望むごとに、心のこうこつとなりてしばたたずみしこといくたびなるを知らず。

 いまこのところを過ぎんとするとき、とざしたる寺門のとびらりて、声をみつつ泣くひとりの少女おとめあるを見たり。年は十六七なるべし。かむりしきれれたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣はあかつきよごれたりとも見えず。わが足音に驚かされてかえりみたるおもて、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問いたげにうれいを含めるまみの、半ば露を宿せる長きまつおおわれたるは、なにゆえに一顧したるのみにて、用心深きわが心の底までは徹したるか。

 彼ははからぬ深きなげきにいて、前後をかえりみるいとまなく、ここに立ちて泣くにや。わがおくびようなる心はれんびんの情に打ち勝たれて、余は覚えずそばり。「なにゆえに泣きたもうか。ところにけいるいなきよそびとは、かえりて力をやすきこともあらん。」といいけたるが、われながらわが大胆なるにあきれたり。

 彼は驚きてわが黄なるおもてうち守りしが、しんそつなる心や色にあらわれたりけん。「君はき人なりと見ゆ。彼のごとむごくはあらじ。わが母のごとく。」しばれたる涙の泉はまたあふれて愛らしきほおを流れ落つ。

われを救いたまえ、君。わがはじなき人とならんを。母はわが彼の言葉に従わねばとて、われを打ちき。父は死にたり。明日はほうむらではかなわぬに、家に一銭のたくわえだになし。」

 あときよの声のみ。わがまなこはこのうつむきたる少女のふるうなじにのみ注がれたり。

「君がに送り行かんに、ず心をしずたまえ。声をな人に聞かせたまいそ。ここは往来なるに。」彼はものがたりするうちに、覚えずわが肩に倚りしが、この時ふとかしらもたげ、またはじめてわれを見たるがごとく、恥じてわがそばを飛びのきつ。

 人の見るがいとわしさに、早足に行く少女のあときて、寺のすじむかいなるおおを入れば、欠け損じたる石の梯あり。これをぼりて、四階目に腰を折りてくぐるべきほどの戸あり。少女はびたる針金のきをじ曲げたるに、手をけて強く引きしに、中にはしわれたる老媼おうなの声して、「ぞ」と問う。エリス帰りぬと答うる間もなく、戸をあららかにひきけしは、半ばしらみたる髪、しきそうにはあらねど、貧苦のあとぬかしるせしおもての老媼にて、古きじゆう綿めんの衣を着、よごれたるうわぐつ穿きたり。エリスの余にしやくして入るを、かれは待ちねしごとく、戸をはげしくたて切りつ。

 余はしばぼうぜんとして立ちたりしが、ふと油燈ランプの光にすかして戸を見れば、エルンスト・ワイゲルトとうるしもて書き、下にたてものと注したり。これすぎぬという少女が父の名なるべし。うちには言い争うごとき声きこえしが、またしずかになりて戸は再びきぬ。さきの老媼はいんぎんにおのが無礼のふるまいせしをびて、余を迎え入れつ。戸のうちくりやにて、の低きまどに、しろに洗いたるあさぬのけたり。ゆんには粗末につみ上げたるれんかまどあり。正面の一室の戸は半ば開きたるが、うちにはしらぬのおおえるふしあり。伏したるはなき人なるべし。竈のそばなる戸を開きて余を導きつ。このところ所謂いわゆる「マンサルド」のまちに面したるひとなれば、てんじようもなし。すみの屋根裏より窻にむかいてななめさがれるはりを、紙にて張りたる下の、立たばかしらつこうべきところふしあり。中央なる机には美しきかもけて、上には書物一二巻としやしんじようとをならべ、とうへいにはここに似合わしからぬあたい高き花束を生けたり。そがかたわらに少女ははじびて立てり。

 彼はすぐれて美なり。ごとき色の顔はともしに映じてうすくれないしたり。手足のかぼそたおやかなるは、貧家のおみなに似ず。老媼のへやを出でしあとにて、少女は少しなまりたる言葉にてう。

「許したまえ。君をここまで導きし心なさを。君はき人なるべし。われをばよも憎みたまわじ。明日あすに迫るは父のほふり、たのみに思いしシャウムベルヒ、君は彼を知らでやおわさん。彼は「ウィクトリア」座のがしらなり。彼がかかえとなりしより、ふたとせなれば、事なくわれを助けんと思いしに、人のうれいけこみて、身勝手なるいいけせんとは。われを救いたまえ、君。金をば薄き給金をきてかえし参らせん。縦令よしやわがくらわずとも。それもならずば母の言葉に。」彼は涙ぐみて身をふるわせたり。その見上げたるまみには、人にいなとはいわせぬたいあり。この目の働きは知りてするにや、またみずからは知らぬにや。

 かくしには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはずして机の上に置きぬ。「これにて一時の急をしのたまえ。質屋の使つかいのモンビシュウ街三番地にて太田と尋ねおりにはあたいを取らすべきに。」

 少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別わかれのためにいだしたる手をくちびるにあてたるが、はらはらと落つる熱きなんだわが手のそびらそそぎつ。

 嗚呼ああなんの悪因ぞ。この恩を謝せんとて、みずかわがきようきよし少女は、ショオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日ひねもすこつするわが読書のそうに、一輪の名花を咲かせてけり。このときはじめとして、余と少女とのまじわりようやしげくなりもて行きて、同郷人にさえ知られぬれば、彼そくりようにも、余をて色をまいひめむれぎよするものとしたり。われ二人の間にはまだがいなる歓楽のみ存じたりしを。

 その名をさんははばかりあれど、同郷人の中に事を好む人ありて、余がしばしば芝居にいりして、女優とまじわるということを、官長のもとに報じつ。さらぬだに余がすこぶる学問のに走るを知りて憎み思いし官長は、ついむねを公使館に伝えて、わがかんを免じ、わがしよくを解いたり。公使がこの命を伝うるとき余にいしは、おんし即時にきように帰らば、路用を給すべけれど、なおここに在らんには、おおやけたすけをば仰ぐべからずとのことなりき。余は一週日の猶予を請いて、とやこうと思いわずらううち、わがしようがいにてもつとも悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通はほとんど同時にいだししものなれど、一は母の自筆、一は親族なるなにがしが、母の死を、がまたなく慕う母の死を報じたるふみなりき。余は母の書中のことをここに反覆するにえず、涙の迫り来て筆のはこびさまたぐればなり。

 余とエリスとの交際は、このときまでは余所よそに見るより清白なりき。彼は父のまずしきがために、充分なる教育を受けず、十五のときまいの師のつのりに応じて、このずかしきわざを教えられ、「クルズス」果ててのち、「ウィクトリア」座にでて、いまじようちゆう第二の地位を占めたり。されど詩人ハックレンデルが当世の奴隷といいしごとく、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にてつながれ、昼のおんしゆう、夜の舞台ときびしく使われ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をもよそおい、美しき衣をもまとえ、場外にてはひとりの衣食も足らずがちなれば、おやはらからを養うものはその辛苦奈何いかにぞや。されば彼の仲間にて、いやしき限りなる業にちぬはまれなりとぞいうなる。エリスがこれをのがれしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とにりてなり。彼は幼きときより物読むことをば流石さすがに好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジュ」と唱うるかし本屋の小説のみなりしを、余とあいころより、余がしつる書を読みならいて、ようやく趣味をも知り、言葉のなまりをも正し、いくほどもなく余に寄するふみにもあやまり少なくなりぬ。かかれば余二人の間にはず師弟のまじわりを生じたるなりき。

 が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失いつ。余は彼が身のことかかわりしを包み隠しぬれど、彼は余にむかいて母にはこれを秘めたまえといぬ。こは母の余が学資を失いしを知りて余をうとんぜんを恐れてなり。

 嗚呼ああくわしくここに写さんも要なけれど、余が彼をづる心のにわかに強くなりて、ついに離れがたなかとなりしはこの折なりき。わが一身の大事は前によこたわりて、まことに危急存亡のときなるに、このおこないありしをあやしみ、そしる人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、はじめてあい見しときよりあさくはあらぬに、いまわがすうあわれみ、また別離をかなしみて伏し沈みたるおもてに、びんの毛の解けてかかりたる、その美しき、いじらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、こうこつの間にここに及びしを奈何いかにせん。

 公使に約せし日も近づき、わがめいはせまりぬ。このままにて郷にかえらば、学成らずして汚名を負いたる身のうかぶ瀬あらじ。さればとてとどまらんには、学資をべき手だてなし。

 このとき余を助けしは今わが同行の一人なるあいざわけんきちなり。彼は東京にりて、すであまがたはくの秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、なにがし新聞紙のへんしゆうちように説きて、余を社の通信員となし、伯林ベルリンとどまりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。

 社の報酬はいうに足らぬほどなれど、すみをもうつし、ひるたべものみせをもかえたらんには、かすかなるくらしは立つべし。こう思案するほどに、心の誠をあらわして、たすけの綱をわれに投げけしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼親子の家にぐうすることとなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入をあわせて、きがなかにも楽しき月日を送りぬ。

 朝の咖啡カツフエー果つれば、彼は温習に往き、さらぬ日には家にとどまりて、余はキョオニヒ街のぐちせまくおくゆきのみいと長き休息所におもむき、あらゆる新聞を読み、鉛筆取りでてかれこれと材料を集む。このひらきたるひきまどより光を取れるへやにて、さだまりたるわざなき若人わこうど、多くもあらぬ金を人に借しておのれは遊びくらす老人、取引所の業のひまぬすみて足を休むる商人あきゆうどなどとひじを並べ、ひややかなるいしづくえの上にて、いそがわしげに筆を走らせ、おんなが持て来るひとつきの咖啡のむるをもかえりみず、きたる新聞の細長き板ぎれにはさみたるを、いくいろとなくつらねたるかたえの壁に、いくたびとなくゆきする日本人を、知らぬ人は何とか見けん。また一時近くなるほどに、温習に往きたる日には返りによぎりて、余とともに店をたち出づるこの常ならず軽き、しようじようの舞をもなしえつべき少女を、あやしみ見送る人もありしなるべし。

 わが学問はすさみぬ。屋根裏の一燈かすかに燃えて、エリスが劇場よりかえりて、いすに寄りてぬいものなどするそばの机にて、余は新聞の原稿を書けり。むかしの法令条目の枯葉を紙上にかきせしとはことにて、今はかつぱつぱつたる政界の運動、文学美術にかかわる新現象の批評など、かれこれと結びあわせて、力の及ばん限り、ビョルネよりはむしろハイネを学びておもいを構え、さまざまふみを作りし中にも、ひき続きて維廉ウイルヘルム一世と仏得力フレデリツク三世とのほうありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何いかんなどの事については、ことさらにつまびらかなる報告をなしき。さればこのころよりは思いしよりもいそがわしくして、多くもあらぬ蔵書をひもとき、旧業をたずぬることもかたく、大学の籍はまだけずられねど、謝金を収むることのかたければ、だ一つにしたるこうえんだに往きて聴くことはまれなりき。

 わが学問はすさみぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにというに、およそ民間学のしたることは、欧洲諸国の間にて独逸ドイツくはなからん。幾百種の新聞雑誌に散見する議論にはすこぶる高尚なるも多きを、余は通信員となりし日より、かつて大学にしげく通いし折、養い得たるいつせきの眼孔もて、読みてはまた読み、写してはまた写すほどに、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、おのずかそうかつ的になりて、同郷の留学生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼の仲間には独逸ドイツ新聞の社説をだにくはえ読まぬがあるに。

 明治廿にじゆういち年の冬は来にけり。おもてまちの人道にてこそすなをもけ、すきをもふるえ、クロステル街のあたりはとつおうかんところは見ゆめれど、表のみは一面にこおりて、あしたに戸を開けばこごえしすずめの落ちて死にたるも哀れなり。へやあたため、かまどに火をきつけても、壁の石をとおし、衣の綿を穿うがつ北欧羅巴ヨーロツパの寒さは、なかなかにえがたかり。エリスは二三日前の夜、舞台にて卒倒しつとて、人にたすけられて帰りしが、それより心地ここちあしとて休み、もの食うごとに吐くを、悪阻つわりというものならんとはじめて心づきしは母なりき。嗚呼ああ、さらぬだにおぼつかなきはわが身のゆくすえなるに、まことなりせばいかにせまし。

 今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。エリスはとこすほどにはあらねど、ちいさき鉄炉のほとりさし寄せて言葉すくなし。このとき戸口に人の声して、ほどなくほうちゆうにありしエリスが母は、郵便の書状をて余にわたしつ。見れば見覚えある相澤が手なるに、郵便切手は普魯西プロシヤのものにて、消印には伯林ベルリンとあり。いぶかりつつもひらきて読めば、とみのことにてあらかじめ知らするによしなかりしが、昨夜よべここにちやくせられし天方大臣にきてわれも来たり。伯のなんじを見まほしとのたもうによ。汝が名誉をかいふくするもこのときにあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみいいるとなり。読みおわりてぼうぜんたるおももちを見て、エリスう。「故郷よりの文なりや。悪しき便たよりにてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思いしならん。「いな、心になけそ。おん身も名を知る相澤が、大臣とともにここに来てわれを呼ぶなり。急ぐといえば今よりこそ。」

 かわゆきひといだる母もかくは心を用いじ。大臣にまみえもやせんと思えばならん、エリスはやまいをつとめてち、うわじゆばんきわめて白きをえらび、丁寧にしまいきし「ゲエロック」という二列ぼたんの服を出して着せ、えりかざりさえ余がめに手ずから結びつ。

「これにて見苦しとはれも言わじ。わが鏡に向きて見たまえ。なにゆえにかくきようなる面もちを見せたもうか。われももろともに行かまほしきを。」少しかたちをあらためて。「否、かく衣をあらたたもうを見れば、なんとなくわが豊太郎の君とは見えず。」た少し考えて。「縦令よしやふうになりたもう日はありとも、われをばたまわじ。わが病は母ののたもごとくならずとも。」

なに、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしよりいくとせをかぬるを。大臣は見たくもなし。ただ年久しく別れたりし友にこそいには行け。」

 エリスが母の呼びし一等「ドロシュケ」は、輪下にきしる雪道をまどもとまで来ぬ。余は手袋をはめ、少しよごれたるがいとうを背におおいて手をば通さず帽を取りてエリスにせつぷんしてろうくだりつ。彼は凍れる窻をけ、乱れし髪をさくふうに吹かせて余が乗りし車を見送りぬ。

 余が車をりしは「カイゼルホオフ」の入口なり。かどもりに秘書官相澤がへやの番号を問いて、久しく踏み慣れぬ大理石のきざはしを登り、中央の柱に「プリュッシュ」をおおえる「ゾファ」をえつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばここにて脱ぎ、わたどのをつたいて室の前まできしが、余は少しちゆしたり。同じく大学にりし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相澤が、きょうはいかなるおももちして出迎うらん。室に入りて相対して見れば、形こそもとに比ぶればえてたくましくなりたれ、依然たる快活の気象、わがしつこうをもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後の情を細叙するにもいとまあらず、引かれて大臣にえつし、たくせられしは独逸ドイツ語にてしるせるもんじよの急を要するをほんやくせよとの事なり。余が文書を受領して大臣の室を出でし時、相澤はあとより来て余とひるともにせんといいぬ。

 食卓にては彼多く問いて、我多く答えき。彼がせいおおむね平滑なりしに、かん数奇なるはわが身の上なりければなり。

 余がきようおくを開いて物語りし不幸なる閲歴を聞きて、かれはしばしば驚きしが、なかなかに余をめんとはせず、かえりて他のぼんようなるしよせいはいののしりき。されど物語のおわりしとき、彼は色を正していさむるよう、この一段のことはうまれながらなる弱き心より出でしなれば、いまさらに言わんもなし。とはいえ、学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかかずらいて、目的なき生活なりわいをなすべき。今は天方伯も独逸ドイツ語を利用せんの心のみなり。おのれもまた伯が当時の免官の理由を知れるがゆえに、しいその成心を動かさんとはせず、伯が心中にてきよくしやなりなんど思われんは、ほうゆうに利なく、おのれに損あればなり。人をすすむるはそののうを示すにかず。これを示して伯の信用を求めよ。またかの少女との関係は、縦令よしや彼に誠ありとも、縦令よしや情交は深くなりぬとも、人材を知りてのこいにあらず、慣習という一種のせいより生じたるまじわりなり。意を決しててと。れそのことのおおむねなりき。

 大洋にかじを失いしふなびとが、はるかなる山を望むごときは、相澤が余に示したる前途のほうしんなり。されどこの山はお重霧の間に在りて、いつ往きつかんも、否、はたして往きつきぬとも、わが中心に満足を与えんも定かならず。まずしきが中にも楽しきは今の生活なりわいがたきはエリスが愛。わが弱き心には思い定めんよしなかりしが、しばらく友のことに従いて、この情縁を断たんと約しき。余は守るところを失わじと思いて、おのれに敵するものには抗抵すれども、友に対して否とはえこたえぬが常なり。

 別れて出づれば風おもててり。ふた玻璃ガラスまどきびしくとざして、大いなるとうに火をきたる「ホテル」の食堂を出でしなれば、薄き外套をとおる午後四時の寒さはことさらにがたく、はだえあわつとともに、余は心の中に一種の寒さを覚えき。

 飜訳は一夜になし果てつ。「カイゼルホオフ」へ通うことはこれよりようやしげくなりもて行くほどに、初めは伯の言葉も用事のみなりしが、のちにはちかごろ故郷にてありしことなどを挙げて余が意見を問い、折に触れては道中にて人々の失錯ありしことどもを告げてうち笑いたまいき。

 一月ばかり過ぎて、る日伯は突然われにむかいて、「余は明旦あす魯西亜ロシアむかいて出発すべし。したがいてべきか、」と問う。余は数日間、かの公務にいとまなき相澤を見ざりしかば、このといは不意に余を驚かしつ。「いかで命に従わざらむ。」余はわがはじあらわさん。このこたえはいち早く決断して言いしにあらず。余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問われたるときは、とつかん、その答の範囲をくもはからず、ただちにうべなうことあり。さてうべないし上にて、そのがたきに心づきても、しいて当時の心きよなりしをおおい隠し、耐忍してこれを実行することしばしばなり。

 この日は飜訳のしろに、旅費さえ添えてたまわりしをて帰りて、飜訳の代をばエリスに預けつ。これにて魯西亜ロシアより帰りんまでのついえをば支えつべし。彼は医者に見せしに常ならぬ身なりという。貧血のさがなりしゆえ、幾月か心づかでありけん。がしらよりは休むことのあまりに久しければ籍を除きぬと言いおこせつ。まだ一月ばかりなるに、かくきびしきはゆえあればなるべし。たびだちことにはいたく心を悩ますとも見えず。偽りなきわが心を厚く信じたれば。

 鉄路にては遠くもあらぬ旅なれば、用意とてもなし。身にあわせて借りたる黒き礼服、あらたかいもとめたるゴタばんていの貴族譜、二三種の辞書などを、小「カバン」に入れたるのみ。流石さすがに心細きことのみ多きこのほどなれば、出で行くあとに残らんもものかるべく、また停車場にて涙こぼしなどしたらんには影護うしろめたかるべければとて、翌朝早くエリスをば母につけて知る人がりいだしやりつ。余は旅装整えて戸をとざし、かぎをば入口に住むくつの主人に預けて出でぬ。

 こくゆきにつきては、何事をか叙すべき。わがぜつじんたる任務つとめ忽地たちまちに余をらつりて、青雲の上におとしたり。余が大臣の一行にしたがいて、ペエテルブルクに在りし間に余をにようせしは、絶頂のきようしやを、氷雪のうちに移したる王城のそうしよくことさらにおうろうしよくいくともなくともしたるに、幾星の勲章、いくの「エポレット」が映射する光、ちようたくみつくしたる「カミン」の火に寒さを忘れて使う宮女のおうぎひらめきなどにて、このかん仏蘭西フランス語を最も円滑に使うものはわれなるがゆえに、ひんしゆの間に周旋して事を弁ずるものもまた多くは余なりき。

 この間余はエリスを忘れざりき、否、彼はごとふみを寄せしかばえ忘れざりき。余がちし日には、いつになくひとりにてともしむかわんことこころさに、知る人のもとにて夜に入るまでもの語りし、疲るるを待ちて家にかえり、ただちにいねつ。次のあしためし時は、なおひとあとに残りしことを夢にはあらずやと思いぬ。起きでしときの心細さ、かかる思いをば、生計たつきくるしみて、きょうの日の食なかりし折にもせざりき。これ彼が第一のふみあらましなり。

 またほどてのふみはすこぶる思いせまりて書きたるごとくなりき。ふみをば否という字にておこしたり。否、君を思う心の深きそこいをば今ぞ知りぬる。君はふるさとに頼もしきやからなしとのたまえば、この地にわたりのたつきあらば、とどまたまわぬことやはある。またわが愛もてつなとどめではまじ。それもかなわでひんがしかえたまわんとならば、親とともに往かんは易けれど、かほどに多き路用を何処いずくよりか得ん。いかなるわざをなしてもこの地にとどまりて、君が世に出でたまわん日をこそ待ためと常には思いしが、しばしの旅とてたちたまいしよりこの二十日はつかばかり、別離のおもいは日にけに茂りゆくのみ。たもとわかつはただ一瞬のげんなりと思いしはまよいなりけり。わが身の常ならぬがようやくにしるくなれる、それさえあるに、縦令よしやいかなることありとも、われをばゆめたまいそ。母とはいたく争いぬ。されどわが身の過ぎしころには似で思い定めたるを見て心折れぬ。わが東に往かん日には、ステッチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞいうなる。書きおくりたまいしごとく、大臣の君に重く用いられたまわば、わが路用の金はかくもなりなん。いま只管ひたすら君がベルリンにかえりたまわん日を待つのみ。

 嗚呼ああ、余はこの書を見てはじめてわが地位を明視し得たり。はずかしきはわがにぶき心なり。余はわが身一つの進退につきても、またわが身にかかわらぬ他人ひとことにつきても、決断ありとみずから心に誇りしが、この決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。われと人との関係をてらさんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。

 大臣はすでわれに厚し。されどわが近眼はだおのれがつくしたる職分をのみ見き。余はこれに未来ののぞみつなぐことには、神も知るらん、絶えておもいいたらざりき。されど今ここに心づきて、わが心はお冷然たりし。先に友のすすめしときは、大臣の信用は屋上のとりごとくなりしが、いまこれを得たるかと思わるるに、相澤がこのごろの言葉のはしに、本国に帰りてのちともにかくてあらばしかじかといいしは、大臣のかくのたまいしを、友ながらも公事なればあきらかには告げざりしいまさらおもえば、余が軽率にも彼にむかいてエリスとの関係を絶たんといいしを、早く大臣に告げやしけん。

 嗚呼ああ独逸ドイツはじめに、みずかわが本領を悟りきと思いて、また器械的人物とはならじと誓いしが、こは足をばくして放たれし鳥のしばし羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くによしなし。さきにこれをあやつりしは、わがなにがし省の官長にて、いまはこの糸、あなあわれ、天方伯の手中に在り。

 余が大臣の一行とともにベルリンに帰りしは、あたかれ新年のあしたなりき。停車場にわかれを告げて、わがをさして車をりつ。ここにてはいまも除夜に眠らず、元旦に眠るがならいなれば、ばんせきぜんたり。寒さは強く、路上の雪は稜角かどある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きらきらと輝けり。車はクロステル街にまがりて、家の入口にとどまりぬ。このとき窓を開く音せしが、車よりは見えず。ぎよていに「カバン」持たせてはしごを登らんとするほどに、エリスの梯をおりるにいぬ。彼がひとこえ叫びてわがうなじいだきしを見て馭丁はあきれたるおももちにて、なにやらんひげうちにていしがきこえず。

くぞ帰りたまいし。帰り来たまわずばわが命は絶えなんを。」

 わが心はこの時までも定まらず、故郷をおもう念と栄達を求むる心とは、時として愛情を圧せんとせしが、このせつていかいちゆおもいは去りて、余は彼を抱き、彼のかしらわが肩にりて、彼が喜びの涙ははらはらと肩の上に落ちぬ。

「幾階か持ちて行くべき。」とどらごとく叫びし馭丁は、いち早く登りて梯の上に立てり。

 戸の外に出迎えしエリスが母に、馭丁をねぎらたまえと銀貨をわたして、余は手を取りて引くエリスに伴われ、いそぎてへやに入りぬ。いちべつして余は驚きぬ、机の上には白き綿めん、白き「レエス」などをうずたかく積み上げたれば。

 エリスはうちみつつこれをゆびさして。「何とか見たもう、この心がまえを。」といいつつ一つの木綿ぎれをとりぐるを見れば襁褓むつきなりき。「わが心の楽しさを思いたまえ。うまれん子は君に似て黒き瞳子ひとみをや持ちたらん。この瞳子。嗚呼ああ、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。うまれたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせたまわじ。」彼はこうべれたり。「おさなしと笑いたまわんが、寺に入らん日はいかにうれしからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。

 二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおわさんとてあえとぶらわず、家にのみこもおりしが、る日のゆうぐれ使つかいして招かれぬ。往きて見れば待遇ことにめでたく、魯西亜ロシア行の労を問い慰めてのち、われとともひんがしにかえる心なきか、君が学問こそわが測り知るところならね、語学のみにて世の用には足りなん、滞留のあまりに久しければ、さまざまの係累もやあらんと、相澤に問いしに、さることなしと聞きておちたりとのたもう。そのしきいなむべくもあらず。あなやと思いしが、流石さすがに相澤のこといつわりなりともいいがたきに、しこの手にしもすがらずば、本国をも失い、名誉をきかえさん道をも絶ち、身はこのこうばくたる欧洲大都の人の海にほうむられんかと思う念、心頭をいておこれり。嗚呼ああなんの特操なき心ぞ、「うけたまわりはべり」とこたえたるは。

 黒がねのひたいはありとも、帰りてエリスに何とかいわん。「ホテル」を出でしときのわが心の錯乱は、たとえんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、おもいに沈みて行くほどに、往きあう馬車の馭丁にいくたびしつせられ、驚きて飛びのきつ。しばらくしてふとあたりを見れば、じゆうえんかたわらに出でたり。倒るるごとくにみちこしかけりて、くがごとく熱し、つちにて打たるるごとく響くかしらとうはいたせ、死したるごときさまにていくときをかすぐしけん。はげしき寒さ骨に徹すと覚えてめし時は、夜に入りて雪はしげく降り、帽のひさし、外套の肩にはいつすんばかりつもりたりき。

 はや十一時をや過ぎけん、モハビット、カルル街通いの鉄道馬車の軌道も雪にうずもれ、ブランデンブルゲル門のほとり瓦斯ガスとうは寂しき光を放ちたり。立ちあがらんとするに足のこごえたれば、両手にてさすりて、ようやく歩みほどにはなりぬ。

 足の運びのはかどらねば、クロステル街までしときは、はんをや過ぎたりけん。ここまで来し道をばいかに歩みしか知らず。一月上旬の夜なれば、ウンテル・デン・リンデンのしゆ、茶店はお人のいり盛りにてにぎわしかりしならめど、ふつに覚えず。わが脳中にはただただわれゆるすべからぬ罪人なりと思う心のみち満ちたりき。

 四階の屋根裏には、エリスはまだねずとぼしく、けいぜんたる一星の火、暗き空にすかせば、あきらかに見ゆるが、降りしきるさぎごとき雪片に、たちまおおわれ、乍ちまたあらわれて、風にもてあそばるるに似たり。戸口に入りしよりつかれを覚えて、身の節の痛み堪えがたければ、ごとくにはしごを登りつ。ほうちゆうを過ぎ、へやの戸を開きて入りしに、机にりて襁褓むつきいたりしエリスは振りえりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかしたまいし。おん身の姿は。」

 驚きしもうべなりけり、そうぜんとして死人に等しきわが面色、帽をばいつの間にか失い、髪はおどろと乱れて、幾度か道にてつまずき倒れしことなれば、衣はどろまじりの雪によごれ、ところどころけたれば。

 余は答えんとすれど声出でず、ひざしきりにおののかれて立つに堪えねば、椅子をつかまんとせしまでは覚えしが、そのままに地に倒れぬ。

 人事を知るほどになりしはしゆうのちなりき。熱はげしくてうわごとのみいしを、エリスがねんごろにみとるほどに、ある相澤は尋ね来て、余がかれに隠したるてんまつつばらに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきようにつくろきしなり。余ははじめてびようしように侍するエリスを見て、そのかわりたる姿に驚きぬ。彼はこの数週のうちにいたくせて、血走りし目はくぼみ、灰色のほおは落ちたり。相澤のたすけにて日々の生計たつきには窮せざりしが、この恩人は彼を精神的に殺ししなり。

 のちに聞けば彼は相澤にいしとき、余が相澤に与えし約束を聞き、またかの夕べ大臣にきこえ上げしいちだくを知り、にわかに座よりおどがり、面色さながら土のごとく、「わが豊太郎ぬし、かくまでにわれをばあざむたまいしか」と叫び、その場にたおれぬ。相澤は母を呼びて共にたすけてとこさせしに、しばらくしてめしときは、目は直視したるままにてかたわらの人をも見知らず、わが名を呼びていたくののしり、髪をむしり、とんみなどし、またにわかに心づきたるさまにて物をさぐもとめたり。母の取りて与うるものをばことごとなげうちしが、机の上なりし襁褓を与えたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。

 これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用はほとんど全く廃して、そのなることあかごとくなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急におこりし「パラノイア」というやまいなれば、こみなしという。ダルドルフのてんきよういんに入れんとせしに、泣き叫びてかず、のちにはかの襁褓一つを身につけて、幾度かいだしては見、見てはきよす。余が病牀をば離れねど、これさえ心ありてにはあらずと見ゆ。ただおりおり思いしたるように「薬を、薬を」というのみ。

 余が病は全くえぬ。エリスが生けるかばねを抱きてすじの涙をそそぎしは幾度ぞ。大臣にしたがいて帰東の途にぼりしときは、相澤とはかりてエリスが母にかすかなる生計たつきを営むに足るほどの資本を与え、あわれなる狂女の胎内にのこしし子のうまれんおりの事をも頼みおきぬ。

 嗚呼ああ、相澤謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されどわがのうに一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。

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舞姫 森鷗外/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official

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