スノーライト

草森ゆき

 中学を卒業するまで住んでいた集落が潰れた。おれが知ったのは高校卒業の頃で、一緒に市内へ越してきた両親が教えてくれた。

 ふーん、で終わった。ふーん以外の感想は、そりゃそうだ、くらいのもので、たったひとりの同級生だった多賀たがをちょっと思い出しはしたけど、まあ、感慨なんて瞬きより軽かった。なんせ日々は遠かった。

 そもそもあの中学は全校生徒が十人もいたかな?と悩むレベルで、ひとつ上の先輩もひとりきりで寂しそうだった。

 あれ、なんで寂しそうなんだったっけな。

 ふとそう思い浮かべたのは大学卒業の頃で、卒業の二文字の孕む寂寞が成した情みたいなものかなと、思っていた。

 どうも違うなとわかったのは多賀が連絡を寄越したからだ。


「もしもし?」

『あ、もしもし。豊里とよさと?』

「多賀?やんな?」

『うん。久しぶり』

「久しぶり」

『……』

「……」

『……』

「いや、なんなん?どうしてん、なに?用事とか」

『ごめん、うん、あのさ豊里』

「うん」

『牧野先輩、覚えてる?』

「あー、覚えてる覚えてる。多賀と一緒によく教室遊びに行ったよなあ。さっむい教室の中で、ひとりで弁当食ってはったの一番覚えてるわ」

『うん、そう……その牧野先輩。夏休みはなんか、夜に抜け出して遊んでたらしい牧野先輩がさ』

「うん、なに?」

『今行方不明なんやって』


 多賀は更に話した。牧野先輩もおれたちと同じように、中学を卒業したあとは村から離れた高校に行き、更には県から離れた大学へ行った。それで就職もしたらしいけど、急に行方不明になった。

 行方不明になる前の最後の目撃情報が、おれたちの暮らした集落へ行く途中の姿だった。


『潰れるって聞いて、見に行ったらしいねん。気持ちは、わかるやん。なんもないとこやけど一応僕らの暮らしたところやし。でも牧野先輩は、その集落に行ったあとになんの連絡もとれんようになったんやって。そんなん……』

「自殺以外ないやん」


 おれの反射に、多賀はちょっと笑った。


『ああ……そう、そうやんな。おまえに連絡してみて良かった、思い出してきたわ。僕とか牧野先輩とかに向かってさ、おまえはよくそうやって……あかん、また笑えてきた』

「オブラートに包むん苦手やねん。……まあおれのことはええやん、ほんで?牧野先輩の遺体とかないん?探したら、すぐ出てきそうやけど」

『いやそれが出てこえへんねん。せやから行方不明って言うたわけで』

「ええ?森とか山とかめっちゃあったやん、そんなんちゃんと探してへんだけちゃうん。いや地元のやつやないとわからん場所とかあるんかもしれんけどさあ」

『うん、そうなんよな。せやから豊里、一緒に見に行かへん?』

「えーー!?嫌やなちょっと……」

『やっぱ嫌?』

「うん、嫌」

『なんで嫌なん。あ、考えんでええ。僕おまえに期待してるん頭いい解答違うねん』

「馬鹿にしてんのか?」

『してへん。おまえのなんていうか……動物の勘みたいなやつ、聞きたいねん』

「動物て」

『なんで集落行くの嫌なん?』

「あそこ怖いやん」


 怖いやん。えっ、ほんまや、怖いやん。おれは自分で口に出したくせに後からじわじわ実感する。

 多賀は笑わず、無言になってしまう。


「……いや、怖いやんていうたけど、実際怖いけど……えー?気味が悪いのほうが近いかもしれん。なんやろ、なんか……なんかおるやん。あれ?なんかおる、ってなんやろ?やばい多賀、おれ変なこと言うてるかも」

『言うてへん、大丈夫。おまえのおかげで僕も思い出してきた』

「ええ……なに?なんやったっけ、自殺の名所とかやったっけあの集落。でも変やな〜と思ったこと確かにあるわ、夏の夜に変な光見えたりしたやんな?そんでそれをおまえに言うたりもしたような……牧野先輩もやっぱ……なんかおって怖いから見に帰ったんか?あれ?なんかおるなら怖いから帰らんよな?わからんようになってきた」

『大丈夫、大丈夫や豊里。ほんまにありがとう』

「えっ、なにが」

『あそこなんかおったわ、そんでそれ、多分やけど、牧野先輩の友達ちゃうかった?』


 友達という一言でおれも思い出す。教室にひとりきりで座っていた牧野先輩の横顔。多分秋だ。先輩は抜け殻みたいな顔で窓の外に見える深い森と古い郵便局を見つめていた。夏に、蝉と一緒に死んだみたいな目だった。

 おれと多賀は心配して、毎日教室まで遊びに行った。牧野先輩はそのうち元気になってきておれたちはほっとしたし、ひとりだけの卒業式もふたりでお祝いした。そこからの牧野先輩は知らない。黒い学生服を着て、胸に卒業おめでとうの花をつけた先輩の目線はやっぱり遠くの森を見ていた。

 一番最後、おれと多賀に先輩は聞いた。

『豊里、多賀』

 静かで寂しそうな声だった。

『もし、余呉よごが帰ってきたら、教えて』

 おれも多賀もなんのことかわからなかった。今もあんまりわかってない。

 おれたちはわかりましたとしか答えられなくて、牧野先輩はそれきりだった。


「余呉」

『そうそれ、余呉』

「誰やっけ……」

『わからん、でもおったはず。おらんかったらおかしい。そいつさえおったら、牧野先輩がなんでわざわざ潰れる集落見に行ったんかの辻褄が合うやん。その余呉っていうのがおるから、潰れる前にって探しに行った。そんで……』

「そのまま余呉と一緒におる?みたいな?」

『そんな感じ。どう思う?』

「どう思うって……それやったらまあ、ええんちゃうの」

『あ、ええんや』

「ええやろ別に。余呉ってなんやったんか全然わからんけど、牧野先輩が会いたかったなんかやろ?帰ってきたら教えてなんて言うてたくらいやし。せやったら、ええんちゃう。言うてそんなめちゃくちゃ知ってる人の話でもないしなあ」

『せやけど行方不明になってるんやし、先輩の家族とかは探してるんやから、せめてこの説明を……したほうがええやろうけど意味わからんか』

「わからんやろなあ」

『あ、でも、余呉って単語出せば納得するかなもしかして』

「それはそうかもしれんな。行く?」

『集落に?』

「アホか違うわ、牧野先輩の家族のとこ!」

『いやそれがイコール集落になんねん。牧野先輩を探す言うて勝手に住んではるんよ』

「う〜〜〜〜わ…………」

『行くか?なんかおる僕らの故郷』

「キメ服で行くわ……」

『僕も』


 おれと多賀は集落のある県の、一番でかい駅で待ち合わせた。どちらも黒いスーツだった。苦笑しながら電車を乗り継ぎ、おれたちは終点で花を買った。

 牧野先輩の家族は、以前は牧野家だった廃墟にいた。ずいぶんやつれたおばさんとおじさんに余呉の話をすると、二人は突然背を折り曲げて床に頭を打ち付け始めた。はじめはありがとうとかわざわざごめんとか、お礼をしてくれたのかと思ったが違った。一定のリズムでゴツゴツゴツゴツ、二人は頭を打ち続けた。

 びっくりしてやめさせようとしたけどどちらもすごい力で、散った血が頬についたところで怖くなり立ち上がった。腰が抜けた様子の多賀をどうにか引っ張り、家の外へ急いで逃げた。


「やばいやばいやばい、ほんまにここなんかおるやん!多賀ァ!もっと走れ!」

「僕文系やもん!!」

「はよ帰ろう!な!?やばい道間違えたやん、うわ廃墟ばっかで全然戻る道わからん!!」

「あっ、あかん、そっち崖、やぞ!!」

「え〜〜〜〜もうなんで〜〜〜!?こっちか!?」

「はぁっ、はぁっ、とよっさと、あれ、ゆうびん、きょくっ!」

「郵便局がなんや!」

「郵便局、角、曲がっ、ゲホッゲホッ、バス停、」

「単語喋りやめろて!!!」

「郵便局の角を曲がったところのバス停が三叉路になってるやろ。真ん中の道よう通ったやん、真ん中を真っ直ぐ行ったら駅に向かうバス停のある道に出るで」

「あっそうや、ありがとうございます余呉先輩!!」

「あっ、ありがだ、ゲホッゲホッゲホ、もう、走、れん、っ」

「ゆっくりでええよ、見送りにきただけやし」

「ゔゔ、牧野先輩……、僕、あれ、あ……?」


 多賀は郵便局の前で立ち止まった。おれも、先に立ち止まっていた。特に何もいなかった。いつの間にか暗くなっていて、蛍のような光がふたつぶ、ふわりと揺れただけだった。でも今は冬だから蛍なわけはなかった。雪だ。違うだろうけど、雪だと多賀が断定した。おれは反論しなかった。

 走りまくったせいで買った花はちょっと散っていた。おれが持っていた花束を多賀が手に取り、廃墟になった郵便局前にそっと置いた。こういうときはこれしかないだろうと思って、おれと多賀は並んで手を合わせた。それからすぐに背を向けて、角を曲がり、三叉路の真ん中を選んだ。駅に向かうバスの停留所はそう時間も経たず見えてきた。

 牧野先輩と余呉先輩がいる気がして、振り向きかけた。

 おれの動きは多賀がすばやく止めてきた。


「後ろ見るな」

「え?せやけど先輩ら逃してくれたやん」

「見るな。なんかわからんけど、見んほうがええと思う」


 反論しようとしたけど、バスの走行音がかすかに聞こえてやめた。おれたちは慌てて走り、どうにかバスに滑り込んだ。

 座席に深く座り込んでから、どっと汗が吹き出した。隣を見ると多賀も汗だくだった。怖かった、とおれは無意識に言った。多賀は頷いて、大きな息を吐きながら項垂れた。


 集落からかなり離れたあとに、おれはそっと後ろを見た。すっかり夜になった山や森は真っ黒で、でもその中に一部、異様に白いところがあった。そこだけ雪が積もったような、いや、そこだけ空間が切りとられたような、不可解な白さだった。虚空っていうのは雪の光のように白いのだとおれは知った。

 背筋が寒くなりすぐに目を逸らしたが、おれが結局見たことに気付いた多賀は、舌打ちしながらおれの肩を小突いた。


「遠いから、平気やで」


 そう囁いたのは明らかに余呉先輩で、おれも多賀もびたりと動きを止めた。

 余呉先輩はくすくす笑っていて、宥めるような牧野先輩の声は優しかったけど、おれたちは同じ体勢のまま息をひそめて気配を消して二人が満足してどこかに行く瞬間を祈るように待ち続けている。

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スノーライト 草森ゆき @kusakuitai

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