ノック

菜月 夕

第1話


 ノックの音がした。ここはマンションの18階。音がしたのはその外は高い空だけの窓だった。

 いや、別にホラーじゃないんだ。そっとカーテンを開けると小鳥が窓の出っ張りからさっと飛び上がった。

 僕はいつものように窓を開けてその狭い桟に餌を置いて、部屋の奥に下がると飛んでいた小鳥は降りて餌を啄む。

 なんの気なしに始めてしまったことだけれど、隣人との付き合いも少ない僕には至福の時間となってしまった。

 僕は淹れてあったコーヒーをすすり、文庫本を手に取った。

 バサバサッ!! 突然小鳥が部屋に飛び込み慌てたように部屋中を飛び回る。

 窓の方を見るとハヤブサが去って行くところだった。

 どうも、ハヤブサに狙われた小鳥が思わず部屋に逃げ込んだようだ。

 閉じ込められたと思ったのか小鳥はせわしなく部屋のあちこちを飛び回るだけだ。

 僕はそっと窓の外を覗き、もうハヤブサが居ない事を確かめ、窓を大きく開けてゆっくりと動きながら小鳥に声をかけつつ窓へ誘導し、小鳥はまた元の空へ帰って行った。

 僕は小鳥の散らばった羽や、思わず落としたのであろう糞を片付けながら、ふと思ってしまった。

 もしかしたら僕が小鳥を餌付けしてしまった事で下の階でこんな風に迷惑を被っていた人が居るかもしれない。

 もしかして小鳥が毎日同じ行動をしてしまうことでハヤブサも目をつけたのかも知れない。

 僕だっていつまでも小鳥に餌をやれるわけでも無いだろう。病気になったり、引っ越した後の小鳥は餌場を急に失い、命に係わるかもしれない。

 そしてハヤブサの糧を奪っただけかもしれない。

 僕のやってたことは欺瞞と偽善だったのだろうか。

 それから小鳥は閉じ込められた危機からか来なくなってしまった。

 

 そして1週間も過ぎた朝、再び窓をノックする音が。

 カーテンをさっと開けると、いつもの小鳥とそれよりちょっと小さめの羽根の色の明るい巣立ったばかりの小鳥のヒナらしい姿が。

 どうもヒナが巣立ちの準備を始めたことから親鳥がつきっきりで来れなかったのではないだろうか。

 私は少し微笑みながら乾きかけた餌を窓の桟に置いた。

 欺瞞と偽善かも知れない。でも僕は差し伸べられた小さなぬくもりを大事にしたい。見知らぬハヤブサよりほんのちょっと助けられる物語を大切にしたいのだ。

 それから僕はマンションの維持活動とか美化活動にも顔を出すようになった。そこでの人の繋がりも広くなった。

 そう、小鳥は僕の心の扉もノックしてくれたのだろう。

 そしてまた、今朝も窓にノックの音が…。

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ノック 菜月 夕 @kaicho_oba

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