第7話 Stay who you are. (そのままのあなたでいて、)


「皆でさ、キャンプしたくね?」


 聖の突然の提案にも皆慣れたもので、スマホを弄っていたり鏡を見ていたりした子も、グラビアの話で盛り上がっていたメンツもいつものことだと言った様子で聖の問いかけに対し

「どこでー?」とか「この時期だし紅葉見に行くの?」だとか、思い思いの反応をしている。

私も、同様に深く考えずに「いいじゃん」って軽くOKのサインを出せば、彼は嬉しそうに、満足気に顔を綻ばせた。


「場所はーーーここでーす!」


 じゃん、と彼は自信満々にタブレットで写真を私たちに見せる。そこに映っていたのは、少し古い、それでいてお洒落な木造のコテージだった。

近くに浅瀬の川が流れているのがわかる。これなら、少し移動すれば魚釣りなんかも楽しめそうだなぁと、少しワクワクした。


「ここ、どこなの?」


私がそう尋ねれば、よく聞いてくれました!とばかりに、ドヤ顔で彼はこう言い放つ。


「俺の親父が所有している山と別荘でーす!」


 ニカッと歯を出して笑い、ピースサインをする聖を横目に、相変わらずチャレェ陽キャな話し方するなぁとか思いつつ、ふーんと返す。

父は有名な歌手の作詞だか作曲だかを手がけた人らしく、割と有名なんだよねって以前聖が言っていたのを思い出した。・・・え、でも普通山なんて所有してないよね?


「え、風間んとこ山持ってるの?」


 少し驚いたようにそういう木村くんは私の心情と全く同じ言葉を聖にかける。まぁなー、と嫌味のない楽しそうな言い方で返す聖。

うりゃ!と木村くんの肩に笑顔で腕を回す彼を見ていると、以前ステージ上で見たキラキラのアイドルと同一人物とは思えなかった。

 いや、もちろん顔は今もいいんだけどね。それだけじゃなくて、纏う空気感みたいなものが・・・やっぱり違うんだよなぁって、こういうリラックスしている雰囲気もやっぱり好きだなって実感する。


「へぇー!いいじゃん!」


「お言葉に甘えて、別荘に泊まらせてもらおうかな?」


「バーベキューとか、またしたいよね!」


 メンバーの好感触を感じ取ったのか満足気な表情をした聖は、ドカッと私の横に座った。え、何?みたいな顔で彼を見遣れば、何か問題でも?とおすまし顔の彼。

相変わらず私に対しては時々横柄でムカつくチャラ態度なんだよなぁ・・・なんて失礼なことを考えていたところで。


「道具はあるから川で魚釣ってもいいじゃん?塩振って焚き火で焼きたい、俺」


 聖のそんな提案に、一同は盛り上がりを見せる。釣りなんて中々する機会もないし、まぁ楽しいよね。

しかも、今の時期はきっと紅葉も綺麗なことだろう。空気も美味しいだろうし。

 虫が多そうなのはちょっと嫌だけど、このメンバーでキャンプなんかしたら、かなり楽しいに決まってる。楽しみだな。


「・・・あ、でも聖最近忙しいんじゃない?大丈夫?」


盛り上がっているメンバーに聞こえないように、彼にそう耳打ちすれば、小さくOKのサインを作って彼は微笑む。


「大丈夫。夏にツアーも写真集のイベントも終わったし、最近はちょっと落ち着いてんのよ」


 俺に任せなさーい、トントンと彼は自身の胸を軽く拳で叩いてみせる。

心配する私を安心させるような言い方に、くすりと笑みがこぼれた。

そして、そんな風にすぐこちらを気遣ってくれる優しさを噛み締める。たとえ彼が皆にも同じようにしてるってわかっていても、好きな人に優しくされてしまえば何だって嬉しいものだなぁ、なんて・・・そんなことを考えていた。



──────────・・・


 皆で車を2台借りて、私たちは聖のお父さんが所有するコテージへとやって来ていた。夏は若々しい緑に囲まれていたはずのそこは、一面鮮やかな紅色に染まり・・・秋の訪れを感じさせる。

 辺りは木に囲まれているからか少し肌寒く、カーディガンを羽織っている自身の両腕を私は軽くこすった。


「ほら」


「ひゃ、うわわっ・・・」


 ぽふっと効果音が鳴るような勢いをつけて、少し厚手のパーカーを私に押し付ける彼。

その勢いによろけ私の肩を、ぐっと支えてくれる力強さに、彼の中の男性的な部分を感じてしまってドキッと心臓がはねるのを感じた。


「ちょっと、いきなり何?」


「──寒いなら、羽織っとけばいいんじゃん?」


・・・何なの。少し照れたように笑って、そっぽを向く彼。そういうさり気ない優しさが、その照れたような仕草が、私の感情を掻き乱す。

──期待しないこと、気持ちを隠してちゃんと友達でいること。この2つを守ることが私がこの恋心を守るただ一つの方法。だけど、それを意識すればするほど、彼を特別に意識して、期待して、何かを見出そうとしてしまう自分に気づいてしまう。


「──聖、ありがと」


「・・・うっす」


 気恥しそうに後ろの髪を掻く彼の横顔を見ている時に、違和感を感じた。

目元に、何か・・・塗ってる?それは、意識して見なければ分からないような自然なものだった。


「ねぇ聖」


「ん?」


 彼から受け取ったパーカーを羽織り、彼の服の袖をくいっと横に引っ張った。

彼は優しいから、少し背を丸めて私に顔を近づけてくれる。目線を合わそうとしてくれる、これを彼はきっと意識せずにしてのけているのだろう。こんなさり気ない優しさも好きだな。


 ダメダメ、意識するな私。

私は少し背伸びをして、彼の耳元に唇を寄せそっと耳打ちをする。


「聖、今日きつい?」


「え?──・・・んなこと、ないけど」


 わかりやすく口篭り私から視線を逸らして歩き出す彼の手を引き、無理やり視線を合わせながら、自身の目元をトントンと指で叩く。


「目の下、コンシーラー塗ってるでしょ」


 また耳元で誰にも聞こえないようにそう囁けば、彼は驚いたように目を見開いて私を見ている。

まさか気づかれるとは思ってもいなかったのだろう。それはそうだ、だって彼のメイクはあまりにも自然で、彼の肌にとても馴染んでいた。


「は!?・・・麗奈ちゃーん、俺のこと好きすぎじゃなーい?」


「あぁ!?」


 思ってもみない反応に、思わず治安の悪い返事をしてしまった。眉間にシワがギューッと寄ったのに気づき、私はこれはいけないなと眉間を指で軽く揉む。

ふぅ、と息をついて彼にまた視線を向ければ、ニヤリと意地悪な顔をした彼が楽しげに首を横に傾ける。


「・・・まちがえた、俺のこと見すぎよ」


「──、っうるさい」


えー?聞こえなーい、てか麗奈顔赤くなーい?とか言って私を揶揄う方向性にシフトした彼の頬を引っ張り、物理的に黙らせた。

ついさっきまで、私が有利な立場にいたような気がするのに・・・こうしていつの間にか、ゆるりと彼はその立場を逆転させる。


「いで、っいででで!」


 すると、もうコテージの中に入ろうとしていた木村くんが振り返り、満面の笑みを浮かべこちらに向かってこう叫んだ。


「そこ、イチャついてないで早く入ってくださーい」


私と聖は顔を見合わせて、ほぼ同時に叫び返した。


「イチャついてないから!」


「別にいいだろ!ほっとけ!」


 いや、聖。否定しろ?私たちは別にイチャついてないんだから。友達のままでいないと傍にいられないと、必死に私は気持ちを隠してそばに居るのに。

そんないたいけな努力を彼は知ってか知らずか、いとも簡単に崩しにかかる。私に好きって好意を出されたら困るくせに、離れるくせにね。

そう思いながら軽く肩を叩けば、木村くんは本当に心から楽しそうに笑った。


「ははははは!いつものことだね?」


「確かにな!」


「はよ入れーーー!」


 木村くんの発言に釣られるように、他のメンバーもそれに同意し、私達に入室を促した。

私と聖は顔を見合わせ、「今行く!」と駆け足でコテージの入口への階段を駆け上がった。

皆の元へ向かいながら、ちらりと聖の方を見遣ると、彼もこちらを見ていて、思わずごくりと早くなる呼吸を抑えるように生唾を飲み込む。


「・・・きつかったら、すぐに私に言ってよね」


「ん。さんきゅ」


 何か言わなきゃと、さっき言いたかったことを絞り出すような声で言えば、何故だか彼は少し嬉しそうに笑ってお礼を言ってくれた。

────・・・どうしてそんな嬉しそうな顔をしてくれたのかは、この時の私にはわからなかったのだけれど。






 彼はきつかったらすぐ言うと言ってくれたけれど、やっぱりそれが出来ないのが風間聖という人間なのだと、彼の現状を見ていて思い知らされる。

釣りをしながら腰掛ける彼の表情は、どんどん不健康そのもののようなそれになっていった。ふらふら、ゆらゆらと上半身が揺れているのがわかる。このままでは川にドボンと落ちてもおかしくない。


「聖、」


「──、ん・・・?」


なーに?とこちらを見遣り笑みを作る彼の額には、汗が滲んでいる。いつもは柔らかいほっとするはずの彼のその微笑みも、今は見ていて心配になるようなぎこちなさがある。

もうコンシーラーでは隠しきれない青白い肌。いつもはサラッとした肌なのに、今は冷や汗でじっとりと濡れている。彼が今体調が悪いのは、誰が見ても明白だった。


「ちょっと。絶対気分悪いでしょ、部屋戻ろ?」


「・・・やだ、」


 釣竿を持つ手も頼りなさげにゆらゆらと揺れているのに、そう駄々をこねる彼を見て私は彼の額に自分の手を重ねた。


「、あつ・・・っ熱あるじゃん!」


「ちょっとだけ。平気だから、」


 問題ないからと言う彼を見ていても、全然大丈夫なようには見えない。私は隣にいた木村くんに、声をかけた。


「聖熱あるっぽいから、先にコテージに戻るね?」


「えっ風間、大丈夫なの?」


「よゆーだし」


 余裕だなんだと言って木村くんに向かって笑顔でピースをする聖は、寒気からか少し震えていて、全然余裕には見えない。


「ちょっと、無理しちゃダメだよ。竿とか道具は俺が何とかするから、2人はコテージに戻ってて」


「どうしたー?」


「えっ風間、なんか調子悪い感じ?」


 私と木村くんのやり取りを聞いていた周りメンバーも、ようやく聖の異変に気づいたようだった。

誰が見ても今の彼は、体調が万全とは言えない状態だった。目元のコンシーラーでは隠しきれない、青白い肌と滲む汗。微かに震えている体は明らかに病人のそれだった。

彼もここまで皆に見られては隠しきれないと悟ったのか少し寂しげな表情を見せた後、諦めたように笑顔を貼り付けて軽く手を挙げた。


「わりぃ、実はちょっと・・・調子悪いかも。俺1人で戻れるから、皆は気にせず楽しんで!せっかくここまできたんだから、このまま皆で部屋に戻るのはナシで!」


 無理やり作ったような笑顔だったけれど、本当に彼は誰にもたよらず1人で戻るつもりのようだった。

────聖は、こういう人だ。キツいとき、無理する。言ってねって言っても、隠したい人だ。弱さを見せないで、例え自分がキツくても我慢することで皆が楽しめるなら迷わずそっちを選ぶ。誰にも弱さを見せたくない人だから。


「私も一緒に戻るね」


「は!?ちょっと、いいって!」


 竿を木村くんに預けて、私は聖の腕を掴み強引に自分の肩に回す。


「よくない、私がしたいからする」


「大丈──・・・」


「大丈夫じゃない、もう黙って」


 聖を支えながら歩き出せば、彼は困ったような顔でこちらを見ていた。

こっちはこっちで楽しむから大丈夫だよー、なんてヒラヒラと手を振る木村くんを後目に、私は半ば無理矢理に聖をコテージの中へと連れていった。


「頑固な女だなー」


「そういうところも嫌いじゃないんでしょ?」


「!」


 ちょっと強気に出過ぎたかな?そう考えて彼のほうを見遣った。すると彼は少しだけ照れたように視線をさまよわせ、まるでエサを求める鯉のように唇をぱくっと動かし押し黙る。

熱で──・・・今は何も考えられない状況なのかもしれないな、私は冷静にそう思って私も無理に会話を続けようとはせず、彼を寝室まで運ぶことに集中することにした。






────────────・・・


 ベッドに横になると、先程より幾分か表情が穏やかになった聖。彼の前髪は額に滲む汗で張り付いていた。

持っていたハンカチで汗を拭った後、持っていたペットボトルを彼へと渡す。


「水、飲める?」


「うす、さんきゅ」


 彼は、私にお礼を言ってペットボトルを受け取ると、今は飲む気が起きないのかベッドの横にある小さなサイドテーブルへそれを乗せた。

 彼が私をじっと、見つめている。熱っぽく潤んだ瞳を見ていると、何だかこちらも熱が出ているような気分になる。体がカッと熱くなるのを感じた。

それでも、視線を逸らすことなんてできなくて。こんな時、何をして欲しいかなと考えて、私は彼の手をそっと握った。


「麗奈、大胆じゃん」


「うるさいよ」


 私のつく悪態なんて気にならないというように、ギュッと、恋人繋ぎに握り直す彼。へらりと笑みを浮かべる彼だけど、元気がないくせに私を心配させないようにそんな表情してるんでしょ。ふざけてこんな手の握り方して・・・。「俺、もう1人で大丈夫だよ」────そんなことを言う彼を見ていると、私は何でもしてあげたいと思った。


「大丈夫だから、あっちで楽しんでこいよ」


 しっしっと、私の手を握っていない方の手で追い払うジェスチャーをする彼だけど。でも私の手は、彼のその反対の手にきつく握られたまま。きっと、言葉では出ていけと言うけれど、本当は誰かに傍にいて欲しいんだよね。

甘えるのが苦手な彼らしい手口だと思った。──、もっとも、彼はそんなこと気づいておらず無意識でしてしまってるのかもしれないけれど。


「聖と離れたくないから、そばにいるよ」


「!」


 ビックリしたような顔をした彼の表情を見て、少し笑みがこぼれる。そんなに表情筋動かせるなら、きっとすぐ元気になるよね。

空いた方の左手で私は彼の目元のコンシーラーを、拭き取りタイプの化粧落としのコットンでで拭う。


「冷たっ、・・・何してんの?」


「化粧したまま寝ると、肌荒れるからね」


 柔らかく赤ちゃんの肌を撫でるように、彼の涙袋をコットンでそっとなぞる。少しくすぐったそうに顔を顰める彼を見て、こんなくちゃっとしたパグみたいな顔もするんだなと、ついまじまじと見つめてしまう自分に気づいた。やばいやばい。聖に失礼なのかパグに失礼なのか・・・。


「──最近ちゃんと、寝てるの?」


止まらなくなった失礼な思考から意識を別のことに逸らそうと、そんなことを尋ねた。


「毎日1、2時間は寝てるけど」


「え!?寝たうちに入らないじゃん、今日はもう寝て」


 彼の発言に驚きを隠せず、つい大きな声を出してしまった。彼はそんな私を見て少し面白そうに笑いながら、眉を下げた。


「・・・大抵の事はどんなに大変でも寝なきゃ終わるし、それぐらいしなきゃ俺なんかは大学にも来れないの」


 それは、彼から初めて聞く少しだけ弱音らしい言葉だった。あのカッコつけの、いつだって明るくて周りを励ます側の陽キャ。いつだって悩みなんてないですって顔してる彼が私に零した自虐に、私は胸が締め付けられるようだった。


「聖・・・」


「ちょっと頑張る代わりに、こうしてお前や皆と楽しく過ごせてるの。目、つぶってくれよ」


それが俺の楽しみだし、頑張れるエネルギーチャージ方法の1つだから。心安らげる場所がここなんだよ。

そう子犬のような潤んだ瞳で言われてしまえば、私は彼を咎める言葉なんてもう1つも出てこない。


「聖、私に出来ることあったら、いつでも、何でも・・・言って」


 ね、お願い。そう彼に言った私の言葉は、自分でもびっくりするぐらい穏やかで柔らかく、甘さ帯びていた。自分にもこんな声が出せたのかと、自分の変化に少し戸惑いを覚える。けれど私の思考とは別のところで、体は正直だ。無意識に彼の頬を指ですり、と撫でていた。

 彼に少しでもたくさん触れていたい、本当はこんな欲求抑えなきゃダメなのに、ずっと傍にいたいって・・・私だけが彼の隣に並んでいたいんだって考えちゃう自分に嫌気がさす。


「じゃあ、水飲ませてみ?」


 ニヤリと笑い冗談めかして言う彼を見て、はぁ?と、いつもの私だったら言うけれど。別にいいよって彼の背中を支え起こして、ペットボトルのキャップを外した。


「ちょ、マジで?今日かなり優しくね?」


言ってみたものの、まさかして貰えるとは思っていなかったようで、ソワソワしている彼に、ほら。と痛み止めプラス熱冷ましの効果のある錠剤を渡す。


「どうやって飲ませたらいいかわかんないけど、」


ペットボトルを握りしめて、私は今、たぶん情けない顔をしていることだろう。


「それはもちろん、」


「もちろん?」


「く・ち・う・し?・・・キャッ!えっち♡」


つんつん、と私の唇をつつく彼の指を、ぺしんと叩き落として、ペットボトルをずい、と彼に押し付けた。


「ふざけないでもう早く飲みな」


 早口でそう言い放ち、ツンと顔を逸らせば、くつくつと聖が楽しげに喉を震わせる音が聞こえた。ちらりと見ると、熱のせいで真っ赤になった顔に、本当に楽しそうな笑顔が滲んでいる。

 笑える余裕があるなら、大丈夫かな。薬を飲んで眠れば、きっとすぐに元気になるよね。そんなことを考えながら、私は彼が薬を飲むのを確認してペットボトルを奪い取り、キャップを閉めてサイドテーブルに置いた。




────────────・・・


 彼の体を支えてまた横の体勢にさせると、彼はだんだんと薬が聞いてきたのか体が脱力していくのが見て取れた。瞳もとろんとしてきて、眠そうだ。


「わり。ちょっと、寝るわ・・・」


「ん、いいよ」


 そう彼が宣言してから、すー、すー、と規則正しい寝息が聞こえてきたのは、ほんの数秒後だった。

 朝から晩まで仕事、空き時間は学校と勉強の毎日。その合間の・・・彼が努力で勝ち取った隙間時間・・・本当は体を休めるために使うべきのたまの休みの日には、こうして私たちとの時間を作ってくれる彼。きっと疲れも溜まっていたし、免疫力も落ちていたんだろう。

熱が出ていたのは心配だけど、こんな機会がなければ彼はちゃんと休めなかったかもしれない。今日一晩ゆっくり休めば体調も落ち着くだろうと、彼の髪をそっと撫でる。


「────、ん・・・」


 ぴくりと彼の瞼が揺れるのを見て、あっ、やっぱり寝ている時はそっとしておいてあげた方がいいかなと髪から手を離した。

 時計の針を見ると、彼が眠ってから20分ほど時間が経っている。そんなに私、彼と手を繋いで、彼の寝姿を見つめていたんだなって少し恥ずかしくなってしまう。


「やめないで」


「えっ?」


 起きたのかなって彼をじっと見つめると、彼の瞳はとろんとしていて、あ。これ寝ぼけているんだなってすぐわかった。

目が合っているようで、合っていない。意識はまだ覚醒していないのだろう。私をぼーっと見つめながら、ふにゃりと口元を緩めた。


「特別だよ、」


「えっ?」


「お前は、俺の・・・特別」


 彼はむにゃむにゃと唇を動かしながら、私に特別だと伝えた。何が?この言葉にはどういう意図があるのかと思ったけれど、寝ぼけている人の発言に深い意味を求めても無駄だろう。


「お前といると心が安らぐ。お互いのこと、誰より理解してる自信があるんだよな、」


「・・・は?ん、え・・・?」


 寝ぼけているにしてはやけにハッキリと意思のある言葉を言うから、思わず動揺してしまう。

絡めたままの指を、思わず離そうと握る力を緩めると、ギュッと彼の指が私を掴んで離してくれない。


「もーー夢の中まで頑固。認めちゃえよ、俺のこと好きって。・・・あと、もう離れていこうとすんなよな」


 夢だと勘違いしてる・・・?それに、これは私だと思ってない可能性もあるなぁとドキドキと脈打つ心臓を落ち着けるように胸を撫でた。

私と聖は、グループの中でも割と仲がいいほうだし、私より仲がいい女友達は居ないんじゃない?って木村くんにも言われたことがあることを思い出した。

でも、・・・だけど、それだけで期待していいという理由にはならない。聖は誰にでも優しい、だから、もっと仲がいい人もいるけれど、自分が1番なのだと勘違いしてしまっている可能性だって潰せていないのだから。


「──俺が、マジで好きって言ったらお前はどんな顔をするのかな・・・また離れるのかな」


グッと寝ぼけているとは思えない力で私は彼の布団の中に引摺り込まれた。


「ひゃっ」


 ちょっと、やめてよと胸を押すけれど、全然効果はなくて。まだ寝ぼけているのか、意識が覚醒しているにも関わらずわざとこんなことをしてふざけているのか、ちょっと分からない。

 強引に布団の中に引き摺り込まれ、彼の薄く筋肉のついた腕の中にすっぽりと収まってしまう。熱っぽい彼の肌に触れて、彼の熱い息が私の肩に当たる。

猫が甘えるように、すり、と額を私の肩に当てる彼の背に、私はおずおずと腕を回す。


「逃げないなんて、珍しいな。・・・ああ、夢だからか」


 へへ、と嬉しそうに笑う彼を見て、私は胸がいっぱいになるのを感じた。誰にも甘えない彼が、夢だと勘違いしているとはいえ私に甘えてくれている。

その夢に登場している誰かが、私でないとしても。それでも、今彼が実際に甘えているのは私なのだと、その事実を噛み締めるように唇をきつく噛んだ。

優しく、したい。ドロドロに甘やかしてあげたい。私が、彼がくたくたになったときに癒してあげられるような存在になれたら。

────・・・私が、彼の言う特別な存在になれたら。

どんなに幸せだろうか。もし、そんな存在になれる日が来るとしたなら、きっと私は今後どんなに辛いことが起きたとしても耐えてゆけるよ。

そう思って、私も彼の熱っぽい体に身を任せ、瞼を下ろした。起きたら、こんな時間が訪れることはもうないだろう。

 でも、それでも、今だけは彼は私だけを見てる。私だけのものだと、繰り返し反芻するように、浅はかな夢と願望を抱き、今日ぐらいは許して欲しいと願ってしまう。

 はしゃいで、騒いで、かっこつけて。時々、私の前では弱音を吐いたりして。

でも、本当は自分のそんな弱さを隠したい、強がりで頑固、努力家で気遣いの人。

そんなに頑張って、がむしゃらに突っ走って、そんでもって人を気遣って・・・潰れちゃわないかってこちらが心配になる日もあるけれど。

 皆に好かれるキラキラのアイドルじゃなくても、大学生活を謳歌したいと奔走している、そんな等身大のきみが好き。大好きだよ。これからも、どうかそんな君のままで。そんなことを願いながら、すやすやと気持ちよさそうに眠る彼の腕の中で、私も意識を手放したのだった。

 目覚めた時に、状況を呑み込めない聖の方が、私よりもよっぽど女の子のような悲鳴をあげることも知らずに。





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