第7話 ユー・ギヴ・ラヴ・ア・バッドネイム

 どうしてこの子が捨てられてたなんてわからない。初めて我が家に来た頃のこの子はぷるぷる震えながらつぶらな瞳を輝かせていた。私はなんだか情のようなものを感じてしまい、それを食べさせていいのかなんてわからなかったが齧ってたスニッカーズを差し出した。バッドネイムはスニッカーズを頭突きで払い落とすと私の手を飲み込むように咥えた。犬の牙って痛い。私は病院で検査を受けながら、看護師さんに犬にチョコはダメだよって教えてもらった。そっか、私が悪かったんだ。ごめんね、バッドネイム。わかっていた。私はずっと前からバッドネイムに嫌われるワケがわかっていた。だけど私は意地になってバッドネイムとの距離を自ら離していった。徐々に家族となっていくバッドネイムに、思春期とでも言うのだろうか嫉妬ヤキモチがあった。私はこの世界から必要とされてないのではないかと思いつめる日さえあった。バッドネイムさえいなければ私は家族からもっと愛されていたんじゃないか。そんな思い込みは見事に瓦解した。バッドネイムの姿になってのこの数日、父も母もおねえも私の姿をしたバッドネイムをひどく心配し、ずっと支えてくれていた。娘が雷に打たれたのだ。当然といえばそうなのかもしれない。けれど以前の私ならばこの当たり前の優しさに気づけなかっただろう。少しずつ私が密かに積もらせてきた雪が溶け始めた。同時にこれまでバッドネイムに抱いていた感情を後悔していた。もう少しだけ私が素直でいれたなら、もう少しだけ道をまっすぐ歩けていたら、私たちはいい友達になれたのかもしれない──


「友達だったかもしれねえ」

「なんの話だああ余所見してんじゃねえーーーッ」


 互いの拳が交錯する。もはやそこに犬も人もなく魂と魂のぶつかり合い。私は自分のパンチを食いながら口内に溜まった唾を吐き散らした。けれど私は視線を離さなかった。ああ私の顔だ。殴れないよ。やっぱり私はまだ私が可愛い。そもそも犬の手足じゃ届かない。

「ヴォエッッ」

「南無三……ヴォエッッ」

 

 なんだろう。清々しさまである。空って高いんだね。おや、あれってもしかして、雛ちゃん。そっか、探しに来てくれたんだね、ありがとう。私たちはいつまでも一緒だね。ずっと見たかった絵を見ることができて、すごく幸せなんだよ。

「ミサキ! しっかりしてミサキ!」

「何言ってるの 雛ちゃん 私 負けたんだよ」

「え 何!? 大丈夫?」

「だから私は今バッドネイムで ミサキは勝ったけどそのミサキがバッドネイムだから って雛ちゃん!? え? 私 あれ? も、戻ってる!?」

「大丈夫! ミサキ! 頭打っちゃったのかな? しっかりして!」

「わあーーーーッん 戻ったーーーッ 雛ちゃーーーッん あーーーーッん」

「うんうん なんかわかんないけどいつものミサキ よかった」

 感動も束の間。私は足元に転がっていたバッドネイムを認識した。

「バッドネイム! しっかりして! ごめんね! 今までごめん! 私、素直じゃないから、意地悪も、いっぱ、いっ、いっぱい言っちゃって、でも、かん 勘違いだった、私も 私もあんたもおんなじくらい いっぱい愛されてた! だからお願い! 死ぬなーーーッ!」




「……バウ」




 よかった。


 それからもうバッドネイムの言葉が聞こえることはなかった。私たちは人間と犬に戻ったのだ。以前とあいも変わらず私たちは喧嘩ばかりしていた。けれどそれは自然なことなのだ。なぜなら私たちは家族なのだから。


「バッドネイムってさ へんな名前だよね」

「ウーー」

「でもさ いい名前だよ」

「バウ!」

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イヌの名は。 川谷パルテノン @pefnk

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