山の日だとか

 あたしの部屋には電子レンジもなければ洗濯機もなかった。洗濯は四日に一回くらい近くのコインランドリーに持っていってた。一度、乾燥の済んだ洗濯ネットの中から下着だけが盗られたことがあって、それ以来めんどうだけど乾燥機が止まる前に待機するようになった。時間をつぶす用の本が必要だなと思った。


 ちょうどその頃は山の日だとかで、近くの本屋には山にまつわる本を集めたコーナーが作られていた。ふらりと立ち寄り、なんとなくその中の一冊を手に取った。


 とある山について様々な人が取り上げたエッセイ、紀行文集だった。軽く開いた一ページに、あたしは心をわし掴みにされた。



『……触れれば切れそうに冷たい水だ。底の底まで透きとおった水には、色がない。あれば、山の上に拡がる、飽くまで青い空の色を映しているに過ぎない。しかし、流れの底に、きらりとひるがえる光は、空のものではない。梓川の流れが、岸にたたずむ自分の魂を打つのは、この水を走る光のためだ。(※)』



 気づけばあたしは千円札を二枚持ってレジに並んでいた。この一ページで、残りの二十余人、三五〇ページを担保する素晴らしい文章だと思った。


 その人は昔の文芸評論家であり、ジャーナリストだったらしい。エッセイの最後に、本当に短く、その人の経歴が書かれていた。


 あたしは感動した。その人の書いた文章を何度も何度も読み返した。


 その人の文章からは音がした。空気を感じた。雲から漂ってくる湿った匂いも、小鳥のさえずりも、山肌を照らす夕焼けの眩しさも。紙の表面から全部が透けてくるようだった。

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