聖地巡礼のように

 彼が淡々と、けれど熱を帯びた眼差しで語るその景色を実際に見てみたくて、聖地巡礼のようにその山に行ってみたこともあった。


 二両編成の電車は線路内に鹿が立ち入ったために途中三分遅れた。終点で乗り換えたバスに揺られて一時間。途中、眺めた山の中腹に、五月の末の新緑の中で一本だけ咲き誇る山桜が見えたのが印象的だった。


 けれど、実際に現地に行って眺めた山の感想は、文章で書かれていたよりもすごくはないな、という失礼極まりないものだった。綺麗ではあったけど、そこまで感動はしなかったのだ。


 何故だろう、と帰りのバスの中であたしは考えた。


 たぶんあたしが感動したのは、あの人の文章の力だったんだ。あの人の目の、心のフィルターを通して書かれた文章は驚くほどに透き通っていて、匂い立つ美しさにあふれていた。明治に生まれて昭和に散ったあの人の言葉が、令和に生きるあたしの心を惹きつけて足を山へと向かわせた。それって、本当にすごいことだと思った。


 時代なんかに色褪せない言葉の響き、広がる文章の美しさ。


 いつかあたしも、あの人のような綺麗な文章をつづりたい。揺られるバスの中であたしは強くそう思ったのだった。




 本棚の前で静かにページをなぞるうちに、心にうずまいていたモヤモヤとした気持ちは次第に晴れていった。


 あたしは、もっと心を磨こう。綺麗な一瞬をたしかな文章で切り取れるくらいの鋭い目としっかりした言葉を持とう。そうすればいつか、他人に笑われるようなスカスカで張りぼてみたいな綺麗事も、あたしの目から写し出した絶対でかえがえのない真実になるのだから。


 よし、と気合を入れたあたしは本を戻してベッドに入った。たかぶった気持ちで眠れなくなるのではと思ったけれど、心地良い眠気はすぐにやってきてくれた。

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