第204話 故郷 その1

 ユウヤは、夢でその場所を何度も見た覚えがある。神秘的で不思議な、そんな場所。

 空気がとても澄んでいて、どこか不思議な香りがほのかに漂う。草木や建物も、人間世界のものとは少し違った姿形をしている。


 一番の特徴といえば、辺り一面眩しく、妖しく光り輝いているという点だ。シャボン玉の表面に写る虹色の模様のような、不思議な光に包まれている。


 自生する果実や山菜なども、その種類の大部分は人間社会で流通しているものと同じであるが、それもすべて味や風味などは若干異なる。リンゴだけどリンゴじゃない。リンゴだけどリンゴ。そんなところだ。

 

 何も知らぬ者がこの景色を見れば、きっと黄泉の国だと認識することだろう。だが、それは間違いなんだ。


 ここはホリズンイリス一族が暮らす、聖なる領域。普通はたどり着くことができない、いわば「ほんの少しだけ座標のずれた空間」というところか。

 生まれ故郷にかえったユウヤは、オーディンに言われるがまま「儀式」を開始する。


「人間社会に馴染んでしまっているな、ボレアスよ。だがそれも今日で終わり、ここに入るのだ」


「……もちろんのことです、それでは」


 ユウヤはゆっくりと、泉の中に入っていく。水温は約28℃、温水プールほどの心地よい温度だ。


「オレはユウヤじゃない、鳥岡ユウヤじゃなく……ジェフリー。ジェフリー・ボレアス・ホリズンイリス……」


 自ずと、ユウヤは自身の「本来の名」を呟く。あれだけ忌み嫌っていた父という存在に対して、今では憎悪の感情など一欠片も残っていない。また、それに対する違和感を覚えることもない。


「オレの役目は、人間社会の根絶……! くさ……腐った世界を壊して……錬力術など……錬力術など――」


「……ボレアスッ!」


「し、失礼致しました! なんという失敬を……!」


 ユウヤは突然、言葉をつまらせてしまった。かすかに残る「鳥岡ユウヤとしての価値観」がまだ残っているのか? オーディンは注意深く息子の様子をうかがう。


(なぜだ? この泉は太古の昔から崇められてきた由緒正しき泉。儀式にも用いられ、祭にも用いられ、はたまた邪念を振り払うという言い伝えもあるはず……実質人間社会で育ったような人生なのが影響しているのか?

 とにかく……こいつには我々の戦士に戻ってもらわねば困る。ただでさえ短期間での成長や数体の聖霊を宿しているのだから。暴れられれば困難、言わば「晩成」寸前の大器ッ!)


 息子のことをじっと見つめるオーディン。確かにユウヤは泉の中に入っている。にも関わらず「邪念」がなかなか振り払われないのだ。その証拠に今でもユウヤは「錬力術は不要」というワードを言い切ることができていない。まるで本人の中の何かが邪魔をしているように……


「連力術による犠牲があること、それは我々の魔術の模倣、それは事実……つまり、錬力術はいら、いらな……錬力、術は……」


「いい加減にしろ。このクソ息子がぁぁぁぁッ!」


「ゴバアアアッ!」


 ついにオーディンの堪忍袋の尾が切れた。「錬力術はいらない」、そんな簡単なことすら言えないのか? 改めてオーディンは考えた、やはり出来損ないは潰すしかないと。


「何度しつけても分からぬというのかダメ息子! オレとお前の力の差は天と地、それは理解しているのだろう!」


「……」


「黙り込むなァッ! やはり下界で悪知恵を付けてきたようだなボレアス、ならば嫌でも『正解』を叩き込んでやる、さぁ来るのだッ!」


「……さっきからうるさいよ、父さん。耳がキンキンする」


「ッ! うるさい、だと……!?」


 不意を突く、反抗。ユウヤに来いと言ったものの、まさかのその返事は口頭での反抗。人間は予想通りに物事が進まなければ、時に一瞬固まってしまう生き物である。皮肉にもそれはホリズンイリス一族も同じ。

 だが違うのは、破壊衝動や怒りが身体が持ち得るパワーを瞬時に何倍にも引き上げるという、あまりにも戦闘に特化した習性である!


「やるつもりなんだな、ボレアス! 売られた喧嘩は買う、売られなくとも逆に押し売る。これがオレの流儀ッ! さぁボレアスよ、好きなだけその怒りを神風に変えるが良い……できるならの話だがッ!」


「……オレは声のボリュームを下げてといっただけなんだがな。だけどもう……やるしかないよね」


 ユウヤは立ち上がる。背負うものの重さが、あまりにも違うからこそ。

 ここで終われば、何もかも散り散りだから。

 

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