第163話 移動
「それでは……私のカフェに移動しましょうか」
栄田はポケットからゆっくりと車のキーを取り出した。その拳の中からちらりと顔を見せたのは銀ピカの綺麗なエンブレム、間違いなく高級な外車のものであった。
(あの車って……えっと……なんだっけ? とにかく高いヤツだぞ、高いヤツ! めっちゃ金持ちじゃねえかこのおっさん! それにしても……)
タケトシは疑問を覚えた。なぜ今から勝負をするというのに、わざわざ関係の無さそうなカフェに移動するのだろうか? 運動前に栄養補給をしろとでも言っているのだろうか? 何も理解できないまま、タケトシは荷物をまとめる。
母は「しっかりと学ぶのよ」とタケトシの両肩をポンと叩いて励ます。タケトシは照れるのを隠しながらも、ただ小さい声で「ありがとう」とだけ呟き、栄田に着いていく。
栄田の車はいかにも高級車、車に全く興味や知識が無い人が見てもそう直感で感じ取れるオーラを放っていた。どこからどこまで汚れ1つなくピカピカに磨き上げられ、キズも無い。中のシートも本皮、タケトシは改めて栄田のことを「ただ者ではない」と感じた。
「すっげえ……オレんちの車とは全部違うや」
「フフフ。タケトシ君も将来、こういう車に乗れるようになれるといいですね……あ、こうやって自分のガタイもいいと、さらに気分も何となく上がりますよ」
栄田はタケトシに自らの筋肉を見せてきた。スーツ姿から正体を現したのは鍛え上げられた、まるでパワーショベルのような腕。やはりこの栄田という男はとっても強いんだ、そして今からこの人と勝負をするんだ……カフェに行くらしいけど。タケトシは思わず固唾を飲み込む。
「うわぁ……オレ、やっぱ勝てるか分かんないよ……怖いかも……」
「どうしました? さぁ、行きますよ。無限の可能性へと!」
「えっ……はい、ごめんなさいっ!」
緊張したまま固まっているタケトシは栄田から声をかけられると、慌ててドアを開けて車に乗り込んだ。
その座り心地は初めて経験するものであった。学校の木製の椅子とも、リビングに置かれているふんわりとしたソファとも、自室にある勉強机と一緒に買った椅子とも違う、少し硬くてひんやり、そしてツルツルとしているけど、座り心地は全く悪くないのだ。
(すごいや……将来、こういう車買いたいぜ)
タケトシは椅子の座り心地を楽しみながら外の景色を夢中で眺めている。見慣れた景色のはずなのに、いつものより何倍も輝いて見える。数年間誰にも買われずに放置されている空き地も、ガラガラのコンビニも、小さなショッピングモールも。親の顔と同じくらい見たカラスやスズメも、遠くにそびえる山も、何となくアニメのキャラに似ている形をしている雲も。
この街は、世界は、地球は。これほどまでに美しかったとは……生まれて始めて、タケトシはこの現実世界の広大さを、断片的にも理解した。
「どうです? 改めて見るこの景色。通学中とはまた違って見えませんか?」
「はい! とても……綺麗です!」
「それは良かった。ここに来たのは初めてですが……ここはとてもいい街ですね。自然に囲まれつつも、若い方々が集まり、楽しめる場所もたくさんあります」
「へへ……まぁ……自慢の街、です……」
「おやおや、眠たくなっちゃいましたか? 子どもは遊んで学んで、食べて寝る。それが仕事ですからね」
景色をこれまでにないほど楽しんだタケトシは、新幹線のように乗り心地の良い栄田の運転で……いつの間にか眠ってしまっていた……。
「んんぅ……ここは、どこ?」
タケトシが夢の世界に降りてまず見たのは、幻想的な辺り一面真っ白な世界であった。まるで深い霧の中に入ったかのように、一筋の光すらほとんど見当たらない。
「夢だよな、これ……? とりあえず、辺りを探してみ……痛いっ!」
タケトシは、何も無いはずの場所で、何らかのモノにぶつかった。それはとても頑丈で、高さもあって……タケトシは思わず倒れ込んでしまった。
「痛たたた……一体なんだよ、これ!」
「おっと、ごめんな。気付かなかったよ、オレとしたことが……」
「……えっ!? 喋った、空気が、風が喋ったああああああ!?」
「空気……風……いや、なんでもないんだ。忘れてくれ」
「忘れてって……いや、そんなことできるワケないよ! 酸素とか二酸化炭素と会話できるなんて聞いたことないし! てか、誰なの!? もしかして……おば、け……?」
「オバケ……ハハハハ、考え方によっちゃそうかもな……でもな、少年。あまり礼儀から目を背けるもんじゃないぜ。例えば、いきなり師匠をおっさんと呼んだりな」
「師匠って……いや、まだオレが負けると決まったワケじゃ……」
タケトシはいつの間にか、姿も見えない謎の存在と会話していた。そして、その正体がわかるのはまだまだ先のことだが……それはまた、別の話だ。
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