第153話 ナイトメア

 犬飼スズ。具体的な年齢不詳、だがその見た目や声、身体能力などは若者そのものである。彼女はこの国の首都、都会のど真ん中に住み、今に至るまで青春を何十、何百年と経験してきた。


 これだけで分かる通り、スズはただの人間ではない。まさに今、人間の文明社会に進行しようと企む、歴史の渦に消えていった最強の一族、ホリズンイリス族の末裔なのだ。


 スズは同じくホリズンイリスの血を引きながらも社会に溶け込み生きているユウヤを尋ね、突然とある提案を持ちかけた。それは100億人近く存在する人類でもホリズンイリスの生き残りでもなく、新たな3つ目の勢力として戦い始めることを選択しないか、ということだ。


 様々な戦争に事件、人間関係のいざこざ。人間の負の部分を今でも長期間見てきたスズは、もはや人間のことが大嫌いであった。かと言ってホリズンイリス側に入る気は全く無かった。それは、彼らもまた人間と同じ過ちを重ねる、傲慢で利己的な獣にしか見えなかったからだ。



――――――

『キャハハハハ! もしかしてお宅の子、まだ魔術値15r程度なの? 私の子、2人とももう600rなのよ』

『えぇ……ここまで期待外れな子は初めて見ましたよ……あっち行ってくれませんか、同じみたいに見られたくないので……』


(なによ、こいつら……生まれたての子供にマウント合戦。ダサいってレベルじゃないでしょ……)


『……なあ、何だかグレーゾとかいう人間の科学者がオデ達の魔術と同じものを見つける夢を見たんだ……オデの能力は予知夢、これやばくね?』

『ああ……それは絶対に阻止すべきだね。奴ら人間共は、オイラ達から色々と奪ってきた歴史があるからね』


(え、別に魔術って私達だけの技術とかじゃ無くない!? 普通にこっちが早く発見してただけでしょ……逆に工業的なものは全く作れなかった、だから負けたのに……)

――――――



 錬力術が科学的に定着するより何千、何万年も前から魔術としてそれに限りなく近いものを利用できたホリズンイリス族。それを真似された、それが彼らの反感を買った理由の1つであるのだが、それを耳にしたスズは呆れを通り越してもはや感情が「無」になった。


『もう……私、のらりくらりと生きていこう。人間社会で、ゆったりと……』


 だが、人間社会に生きることは最悪の妥協案でしか無かった。掘れば掘るほど出てくる人間の醜悪さ。自らの利益のためなら、他者を潰すことすら厭わない。それは時に国家レベル、世界レベルで行われる。だからもう、自分の意思だけで生きていくことにしたのだ。




「残念、不正解……これこそ私の得意技、ナイトメア! これを見切れたものは誰一人としていなかったわ……さぁ、悪夢の前にくたばりな!」


「こんなタイプの錬力術は見たことがねぇ……一体どうやって攻略すりゃいいってんだ!」


「世界は広いのよ……誰もが想像する以上にね、おらっ!」


「ぐ、ぐああっ!」


 ユウヤは突然、死角からスズに殴り飛ばされてしまった。いや、その姿を認識できなかったと表現すべきだろうか? まるで人間と同等の質量と意志を持った霧が、ユウヤに獣のように襲いかかったのだ。

 ユウヤは疼く肩を抑えながら立ち上がるも、やはりスズ本体の姿はどこにも見えない。ユウヤの目の前に立ちはだかるは、まるで死神を彷彿とさせる漆黒の霧だけだ。


(分からない、一体どんな仕掛けなのか……だが、必ずどこかに突破口があるはず、手探りでも動き出すべきか……)


 ユウヤは思考を張り巡らせる。そもそもスズは本当に霧と同化しているのか、もしくはどこかに超スピードで移動しながらユウヤの視界から逃げ続けているのか、それとも幻術系の技か何かで、今見ているのは完全にフェイクなのだろうかと。


(まずはパターン1、完全に霧そのものになっているパターンだ。これならオレの風で吹きとばせる。換気扇をフルで回し、扇風機もスイッチオン、さらに窓も開ければ外から風なんて無限に供給できるからな……やってみるか!)


 ユウヤは頭を抑えながら高笑いして見せ、さらにはフラフラと歩いて壁に激突、不可抗力を装って空調のスイッチを入れた。アイス屋のバックヤードという、通気も風や空気の量も限られた空間でユウヤの実力が全く発揮できないのは、ついさっきスズに指摘されたとおりだ。

 だが、あからさまに窓を開けたりすれば作戦がバレるかもしれない。致命傷を装って反撃を狙う、これが絶対条件だ。


「あは、あはははははは。今の一撃でオレはもう、真っ直ぐ歩くことすら、ままならねぇぜ……喰らえぇ〜ぃ……」


 ユウヤはタイフーンストレートをあえて窓に向けて撃った。当然窓は割れ、外の景色が丸見えである。ユウヤは意識朦朧を装いつつ、少しずつスズに接近する。


「あららぁ。私もそんな状態にするつもりは無かったんだけどね……でも、それ無様で情けない。腐っても伝説の一族のアンタの最期がそれじゃあね……」


「あぁ……しょ、所詮オレは一般人に……な、成り下がってしまってたんだよぉ……こんな状態じゃ、も、もう戦えねぇかもぉ……」


「……そう。なら最後に教えてあげる。私の名前はスズ・アヌビス・ホリズンイリス……痛くないように安らかに滅してあげ――」


「……タイフーンストレート。吹き飛べ、クソ霧野郎ォォォ!」


「な、何っ!?」


 ユウヤは霧に向かって暴風の塊を投げつける。今の自分の実力なら霧なんて全部吹き飛ばせる、そう確信したのだ。


(球速、ノビ、回転数、すべて完璧……! さぁ、さっさと負け認めやがれ……!)


 風が霧を貫かんと突入していく。最初からこの作戦で問題なかったんだ、そう確信し直したのも束の間……黒い霧はユウヤの攻撃を飲み込み、ただそこに留まり続けたのだ。


「ゔっ……! 不正解っ……!」


「ははは、ざーんねん。ほらほら、まだまだ攻撃、してきていいわよ?」

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