第53話 エピローグ
side エリズ
わたしたちの住まう世界には、変わり者の精霊が一人いた。
名前はリゼムで、一応は女性。
人族や獣人など、人間の住まう世界を好み、頻繁にその世界に赴いている変わり者だ。
大多数の精霊は、人間の世界にあまり関心を持たない。人間は愚かで下等で、取るに足らない存在だと思っている。
いつもいつもバカにしたり蔑んだりしているわけではないけれど、人間との関わりは極力避ける。
人間についての話を聞く限り、人間が愚かであるということも、理解はできた。無駄な争いをしたり、さほど価値のないものを求めて右往左往したりしている。
でも、精霊たちが語る人間たちを、わたしは案外嫌いじゃななかったし、面白いと思った。無駄な争いをして、よく考えればさほど価値もないようなもののために必死になることを、好ましく感じたのだ。
リゼムもそうらしくて、わたしはよくリゼムの話を聞きにいった。
もう何百年も生きているというリゼムは、その人生の半分くらいを人間世界で過ごしているため、色々なことを知っていた。
勇者と魔王の物語から、その後の世界で起きた人間同士の戦乱、それがある程度落ち着いてからの比較的平穏な日々。
今は、比較的落ち着いた世界になっているらしい。
精霊の目には何の進歩もないように映る人間かもしれないが、よく見ると少しずつ変化していて、良い方向に進んでいるとリゼムは言っていた。わたしも、リゼムの話を聞くと、そんな気がした。
現在の比較的平穏な世界では、人間は色んな文化をより発展させているらしい。
演劇、音楽、絵画、娯楽、美食……その他、色々。
かつては戦争に勝つことを中心に考えていたのも、もう昔の話。
戦争もゼロではないとはいえ、ただただ不毛に争ってはいない。
「わたしも、人間の世界に行ってみたい」
いつしか、わたしもそう思うようになっていた。
しかし、精霊が人間の町に行くのは容易ではない。人間と精霊は別の世界に住んでおり、人間の世界に行くには特殊な転移魔法を使う必要がある。
リゼムは、その転移魔法を使うことができた。しかし、それは自分一人だけを転移させるので精一杯。わたしも一緒に行くことはできなかった。
わたしもいずれその転移魔法を修得しようと思った。ただ、とても難しい魔法で、リゼムも百年くらい魔法の訓練をしてようやく身につけたものらしい。
先は長い。でも、人間の世界に対する興味は尽きなくて、わたしも訓練を続けた。
同じ精霊たちからは、わたしは変わり者扱いされた。わざわざ人間の町に行こうとするのは理解できない、と。リゼムだけが、わたしの気持ちを理解してくれた。
魔法の訓練をしながら、リゼムは人間世界の常識も色々と教えてくれた。知識だけでも持っておくと、実際に行ったときに便利だと。
そして、人間の世界に興味を持ち始めてから、五年ほど経ったとき。
予期せずして、わたしは人間の世界に来ることができた。
精霊の中でも噂程度にしか知られていない、希少な魔法具の力によって、わたしは転移した。
出会ったのは、ヴィーシャという女の子。
黒髪黒目、少しばかり目つきが鋭くて、頬のそばかすが可愛らしかった。
生まれて初めて目の当たりにする、人間。人族。
一目見て、心優しく、穏やかで、温かな人だとわかった。
この人と一緒に生きてみたいと、直感的に思った。
最初の予想通り、ヴィーシャさんはとても良い人だった。
穏やかな暮らしの中で、小さな幸せを拾い集めながら生きる、温かな人。
人間はよく他人を妬み、自分の境遇に不満を覚えてばかりと聞いていたけれど、ヴィーシャさんはそんなことなかった。むしろ、自分のことはさておき、他人の幸せを願うような人だった。
気づいたときには、好きだなー、と思うようになっていた。
始めはたぶん、恋心ではなかった。人としてヴィーシャさんのことが好きだった。
それがいつの間にか、恋心に変わっていた。あるいは、もしかしたら、始めから恋だったのかもしれない。誰かを好きになるということが初めてだったから、この辺はいまいちわからない。
明確に自覚したのは、黒影族の少女、ラーニャが現れてから。
ラーニャさんもどうやらヴィーシャさんを気に入っているようで、師弟としての関係を築きながら、ヴィーシャさんとより深く関係を持とうとしていた。
ラーニャさんがどうしてヴィーシャさんを気に入ったのか、正確なところは知らない。ただ、ラーニャさんも外見より内面をよく見る人らしいから、ヴィーシャさんの優しい雰囲気に、直感的に惹かれたのかもしれない。
ラーニャさんがヴィーシャさんに近づいて、わたしはそれが嫌だった。
ヴィーシャさんを独り占めしたいという気持ちが、わたしに恋心を自覚させた。
恋心を自覚して、ヴィーシャさんをより好きになった。
ヴィーシャさんと過ごす時間、ヴィーシャさんを想う時間が、とても幸せ。
そして、ヴィーシャさんと初めて旅をした。
二人きりの旅が良かったけれど、皆で一緒の旅は、それはそれで楽しかった。
わたしはヴィーシャさんが好き。もっと言えば、ヴィーシャさんが作り上げる空間が、好きなのかもしれない。
ヴィーシャさんの周りには素敵な人が多くて、皆と一緒の時間も楽しい。
ヴィーシャさんは、自分をただの平凡な召喚士だと思っているみたい。でも、そんなことはない。召喚士としての能力自体は平凡なのだとしても、その人柄は平凡じゃない。とてもとても、綺麗な人。
友人を思いやれる人。生命を尊べる人。嫉妬することより愛することを選べる人。ささやかな幸せを積み重ねられる人。
夫婦の指輪に導かれて。
わたしは、ヴィーシャさんと一緒にいられて幸せだ。
この幸せが、一生続いてほしい。
「……ねぇ、ヴィーシャさん」
蒼幻の鹿探しから帰還したのは、夕暮れ時のこと。久々に自宅に帰り着いたところで、ヴィーシャさんの名前を呼んだ。
「何?」
返事は素っ気ない。今はその素っ気ない感じが好き。わたしに対して滅茶苦茶な好意をぶつけてくれなくても、素っ気なさの中に滲む温かな響きが好き。
「新婚旅行の締めくくりに、キスでもしませんか?」
「……結婚した覚えはない」
「またまた。もう結婚したも同然ではありませんか。キスも何度かしてますし?」
「それは……なんか、その場の流れ、みたいな、何かだからっ」
もうキスをした間柄なのに、ヴィーシャさんはまだこの手の話をすると赤面する。
ウブな反応が可愛らしくて、余計にこういう話をしたくなってしまう。
「今がそういう流れじゃありませんか? ヴィーシャさんだって、少なくともわたしを恋人だと認めてくれているんでしょう?」
「……それは、まぁ、そんな感じだとは、思ってないとは、言えない、かもしれない……」
「何をぶつぶつ言っているんですか? とにかくほら、キスをしましょう」
ヴィーシャさんをこちらに振り向かせる。部屋の中は薄暗くて、その顔をはっきりと見ることはできない。
そのくせ、顔が赤くなっていることは見なくてもわかってしまう。
可愛らしい。好き。
その頬に手を添える。普段よりも温かい。
「好きですよ、ヴィーシャさん」
「……うん」
「ヴィーシャさんは、わたしのこと、好きですか?」
「……別に、言わなくてもわかるでしょ」
「言われなくてもわかることでも、言われたいと思うのが乙女心なのです」
ふふん? と微笑んで見せたら、ヴィーシャさんは渋い顔。
でも、わかっている。その表情は、案外気分を害しているわけじゃなくて、内面の葛藤を楽しんでいるのだと。
「……好きでもない人と、キスとかしないし」
絞り出すような声が、たまらない。
「好きって、言ってくれないんですか?」
「……うるさい。ごちゃごちゃ言うならキスもしない」
ヴィーシャさんが離れていこうとする。そんなことは、もちろん許さない。
「仕方ないですね。惚れた弱みという奴で、許してあげます」
目を閉じて、そっとキスをする。
唇を触れ合わせるだけの、軽めのキス。
もっと深いキスは……ヴィーシャさんの方からしてほしいかな。そんな日が来るのかどうか、怪しいけれど。
唇でヴィーシャさんを感じて、安らかな幸せを噛みしめる。
こんな時間を、この先ずっと、何度でも、味わっていきたい。
しばらくそうしていたら、ヴィーシャさんから体を押し返されてしまった。
「……もういいでしょ。ご飯食べるよ」
「そうですね。続きはベッドの上で!」
「続かないから!」
「わたしは、キス以上のこともいつでも大歓迎ですからね!」
「そういうこともしない! ……今は」
ぼそりと添えられた言葉に、ぷふっと吹き出してしまう。
「何!?」
「なんでもありません。幸せだなぁ、と思っただけです」
「……ふん」
ヴィーシャさんがわたしに背を向ける。
後ろ姿も愛しすぎたから、思わず抱きついた。
「もう、何!?」
「なんでもないですー。ヴィーシャさんを抱きしめたくなっただけですー」
「なんなの……もうっ」
怒っているようで、本当は怒ってない。むしろ、こうして愛情表現されることを、ヴィーシャさんは嬉しく思っている。
……わたしの妄想でなければ、だけれど、たぶんそう。
ヴィーシャさんは、そういう人。
いつか、もっと素直にわたしにデレデレしてくれたら、嬉しいなぁ。
「ヴィーシャさん、結婚式はいつにします?」
「……知らない。早く離れて」
「結婚式をいつにするか答えてくれたら離れます」
「……うっとうしい。バカ」
「えへへ」
「罵られて喜ぶな」
「ヴィーシャさんが好きなので、仕方ないのです」
「ああ、もう……」
ちょっとお腹も空いているけれど、まだまだヴィーシャさんから離れたくない。
この幸せを、ずっとずっと、感じていたい。
《百合》『夫婦の指輪』を使ったらウンディーネが嫁にきた!? とりあえずお友達から始めようね!? 春一 @natsuame
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