第52話 帰路

 私たちは、夜明け頃にビオナクの町に到着した。


 メディルは既に家に帰っており、ローナとラーニャが宿で私たちを待っていた。


 軽く言葉を交わした後、まずは宿でゆっくり休むことに。ローナとラーニャも眠っていなかったそうで、とても眠そうにしていた。


 店主に事情を説明し、しばらく部屋で休ませてもらえるようにお願いすると、すんなり承諾してくれた。私、エリズ、ラーニャの三人は、同じ部屋へ。着替えなどをしながら、ラーニャが言う。



「あーあ、あたしだけ鹿神様の鹿形態を見損ねてしまいました。すごく綺麗だったんでしょう?」


「うん。綺麗だった。神獣って呼ばれるだけのことはあるよ」


「森を探し回ったら、もう一度姿を現してくれませんかね?」


「どうかな……。あまり期待はできないかも。少なくとも、今の時点では」


「今の時点では?」


「もしかしたら、そのうち普通に姿を見せてくれるようになるんじゃないかな」


「どうしてそう思うんです?」


「……なんとなく、ね。メディルとの関係が変化すれば、ごく普通に人里に降りてくるようになるかも」



 鹿神様がメディルの望みを叶えてくれるのなら、人里に来て、ごく当たり前みたいに一緒に生活することだってあるのかもしれない。


 そう遠くないうちに、そういう未来が実現する気がする。



「ふぅん……。じゃあ、その日を待った方がいいでしょうかね」


「うん。……それに、メディルとも友達になったことだし、またここに来る理由を残しておくのも悪くないよ」


「……ま、そうですね。鹿神様が複数いるのかっていうことも確認できてませんし、今回はここで引き上げて、また来ることにしましょう」



 私ももう眠くて、ベッドでさっさと横になる。左にエリズ、右にラーニャなのはもういつものこと。


 いちいち気にすることなく、そのまま目を閉じた。すぐに意識が薄れていき……。



「……ヴィーシャさんはわたしのですからね」


「別に盗るつもりはありませんよ。あたしは三人一緒で構いませんから」


「……わたしは二人きりがいいんですけど」


「それを決めるのは師匠です」


「……近いうちに、あなたの入り込む余地などなくしてみせます」


「さぁ、上手くいくでしょうか? 師匠は誰かを切り捨てるってできなさそうですからね」


「……いざというときは、ちゃんとする人です」


「そうだといいですね?」



 エリズとラーニャがなにやら話をしていたけれど、あまり頭に入ってこなかった。


 ……そして、翌日のこと。


 ビオナクの町を出る前に、朝からメディルに会いに行った。宿を引き払っていたので、馬車を利用しての移動。


 メディルの食堂前で、言葉を交わす。



「またね、メディル。色々あったけど、結局メディルのおかげで鹿神様にも会うことができた。ありがとう」


「本当はもっと別の形で引き合わせたかったんだけどな」


「どんな形でもいいよ。そもそも会えるかわからなかった相手に会えたんだから、形はなんでもね」


「……うん。っていうか、本当にまた来る気はあるの?」


「あるよ。ラーニャは特に、まだちゃんと鹿神様を見られてないし」


「そうだね。じゃ、また」


「うん。また」



 私に続き、他の四人も、またね、と挨拶。



「それじゃ、帰ろう」



 昨日は朝帰りで、夕方にはお菓子屋さんのおじさんにも報告は済ませてある。


 現状、ビオナクの町に思い残すことはない。


 赤夜の鋼馬ファルを操って、馬車を引いてもらう。家に帰り着くまでが旅……。あと十日間ほど、気を抜かずにいこうと決める。


 程良い充実感と共に、澄み渡る空の下、平原を進む。もっとも、私はただ御者台に座っているだけだが。



「ねぇ、ヴィーシャさん」



 左隣のエリズが、私に体を預けてくる。



「んー?」


「ヴィーシャさんって、本当にわたしの力を頼りませんね」


「そう? 飲み水出してもらったり、体を洗ってもらったりしてるけど?」


「そういう細々した話は別として、です。わたし、本来なら戦うことだってできるのに、ヴィーシャさんはわたしに戦わせようとはしません。

 あの三人についても、自分の力で倒してしまいました。ヴィーシャさんからしたら、あの三人は結構怖い相手だったはずなのに、臆することもありませんでした」


「……あれは、たまたまね。そもそも、エリズの魔法を森の中で使えるのかもわからなかったから、自分がやらなきゃって思ったの」


「ヴィーシャさんは、優しい上に、かっこいいですね」


「……そう」


「わたしの知る限りだと、人間は精霊を利用するために呼び出すのであって、無目的に呼び出すことはしません。どうしても打算を含む関係になります。

 けど、ヴィーシャさんは違います。特別なことは求めず、わたしの心だけを求めてくださいます。それが嬉しいです」


「……利用するつもりで呼び出してないからね」


「ですね。わたし、ヴィーシャさんを見ていると、ヴィーシャさんを好きになることしかできないんですよね。どうしましょう?」


「……知らない。そもそも、私はエリズに好かれるようなことはしてない」


「それでいいんですよ。わたしは、ヴィーシャさんの過ごす日常の中に溶け込めることが、もう幸せなんですから」


「……変なの。こんな地味な日常がいいわけ?」


「言うほど地味ではありませんよ? お仕事をして、友達に囲まれて談笑して、恋にも触れて、時に憧れを追いかける……。これって、幸せって言うんじゃないですか?」


「……まぁね。私は、そう思ってるよ」


「わたしだって、そう思うんです。気が合いますね」


「……かもね」



 私にとっての幸せな毎日は、他の誰かにとってさほど魅力的でもないし幸せでもない。


 心のどこかで、そんなことを思っていた。


 きっと、そう思う人の方が、世間では多いのだろう。


 だけど、そうか。私と同じように感じる人だってちゃんといて、そのうちの一人が、エリズなのか。


 エリズからは何度も言われたことだと思う。


 それが、ようやく少し実感できた。


 私とエリズって、もしかして本当に相性がいいのかな?



「ヴィーシャさん。これからも、こんな日々を過ごしていきましょう」


「……うん。そうだね」


「次はどんな神獣に会いに行きます? わたし、ドラゴンとか見たいんですけど」


「はぁ? ドラゴン? 竜神がいるのはずっと遠くの山だよ。しかも、竜神は気難しくて、下手すると命が危ないって聞くよ」


「わたしがいれば大丈夫です! 守ることくらいできます!」


「だからって……」


「ヴィーシャさんがわたしの魔力を扱えるようになれば、もっと安全になります! 大丈夫です!」



 竜神……。会ってはみたい。



「竜神ですか? あたしも見てみたいです! なんかすっごい高貴な雰囲気の竜らしいですね!」



 荷台のラーニャがノリノリで何か言っている。



「次は竜神? うーん、私も一度は見てみたい」


「いいですねー。次はいつにします? 真夏と真冬は避けたいですから、秋頃?」



 ローナとルクも何か言っている。



「……本気? 神獣は無闇に人を襲わないって言うけど、安全が確約された存在でもないんだよ?」


「大丈夫です。精霊のわたしがついてますから! っていうか、わたしはもっとヴィーシャさんの力になりたいのです! 実際に戦闘をすることはなくとも、ただそこにいるだけで安全安心を届けして、ヴィーシャさんの人生を豊かにしていきたいです!」


「……本当に大丈夫? 相手は竜神だよ?」


「大丈夫ですよ。わたし、これでも本当に結構強いんですから」


「……そのうち、エリズの力も確かめてみる必要はあるかな。それにしても、竜神ね……」



 竜神の住まう山は、トゥーリアから遙か南東にあるシュバイル山。往路だけでも一ヶ月はかかる。今回以上の長旅を覚悟しなければ。



「……ま、何もしないうちから諦めるものでもないか」



 次の旅に思いを馳せながら、遙か地平線の先を見つめた。

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