第三十八話 鳥人

 当然、蛇の玄武からの提案を断る理由はなかった。


 無言で頷きを返すと、蛇の玄武は鈴を鳴らして扉の前の番兵を呼び、俺には理解できない言葉で何事か指示を出した。


 それからしばらく待っていると――


「ははは! お呼びですか玄武殿!」


 赤い鳥の特徴を備えた異種族が、意気揚々と乗り込んできた。


 鳥人間というより、むしろ人間の服を着た人間大の鳥としか言いようがない。


 頭は完全に鳥のそれで、髪の代わりに色鮮やかな飾り羽を生やし、着物の袖からは腕の代わりに翼を覗かせている。


 足も鳥特有の形状をしていて、靴を履くことができないからか、石畳の廊下で爪をカチカチと鳴らしていた。


「我が予言、見事に当たりましたでございましょう! さぁさぁご決断を! この丹法士を登用なさるか否か!」

「その前に確かめておきたいことがある。構わないね?」


 部屋の壁際で待機していた俺に、蛇の玄武が目配せを送る。


 だが、俺はすぐに口を開くことができなかった。


 丹法士を名乗る赤い鳥人がやってきた瞬間から……いや、この部屋に近付いてくる間にも、俺は他人に共感してもらえない強烈な違和感を覚え続けていたのだ。


 窮奇と交戦する直前、遠くから漂う血の臭いを鋭敏に感じ取ったのと同じように、本来ならあり得ない感覚が鼻腔を刺激する。


 幾度となく、再三に渡って結果、嗅覚に変質をきたしてしまったのだとしたら……俺の身体は、一体どんなモノに成り果てようとしているのだろうか。


「黎駿殿? 彼に尋ねたいことがあったんだろう?」


 訝しげに俺を見る蛇の玄武。


 告げるべきか飲み込むべきか。


 逡巡しゅじゅんの末、俺は感じたままの言葉を声に出した。


「どうして……こいつからがするんだ?」


 静寂は一瞬。


 俺が二の句を発するよりも早く、蛇の玄武が放った水圧の槍が赤い鳥人を直撃し、扉を突き破って反対の壁に叩きつけた。


「なっ……!?」


 慌てて俺も部屋から飛び出す。


 想像を絶する反応の速さに思考が追いつかない。


 俺はまだ事実を言葉にしただけだった。


 それ以上に踏み込んだことは口にしていない、そのはずなのに。


「ガグッ! ゲッ! ゴッ……!」


 赤い鳥人は砕けた壁にめり込まされ、無惨に歪んだ脚と翼を投げ出して、真っ赤な鮮血と――漆黒の呪いを止め処なく溢れさせていた。


 いや、違う。


 傷口から溢れた血が、瞬く間に漆黒の泥のような呪詛へと変わもどっているのだ。


「これは……一体……」

「真っ当な生物ではないな。見たことも聞いたこともない」


 蛇の玄武も廊下に出て、慌てる番兵を押し退けながら、満身創痍の赤い鳥人を見下ろす。


「……こうなると、分かってたのか?」

「まさか。暗器を使う素振りが見えたから先手を打っただけだ」


 番兵の持っていた槍を使い、蛇の玄武は赤い鳥人の袖口を探った。


 かしゃん、と音を立てて暗剣が床に落ちる。


 しかも刃に泥状の呪詛が塗り込められた徹底ぶりだ。


「さて、致命傷を与えたつもりはないが……」


 赤い鳥人の身体が急激に膨れ上がる。


 そして一瞬の後、聞くに堪えない音を立てて弾け飛び、肉片と共に漆黒の呪詛を撒き散らした。


「……道連れ目当ての自害か。案の定だな。拘束するだけ時間の無駄、尋問の余地は最初からなかったというわけだ」


 肉片と呪詛は蛇の玄武が作り出した水壁に阻まれ、誰に触れることもなく防がれていた。


「本当に法術士かどうかは疑っていたが、よもやここまでとは。呪いに侵されているというよりも、呪いが生物を模しているというべきか」


 俺と蛇の玄武の肩越しに明明も顔を覗かせるが、あまりに現実離れした現状に言葉もないようだ。


「さて……どう思う、黎駿殿」

「……全ては何者かの、恐らくは『渾沌』の手中にあった。そう考えるのが妥当なのかもしれないけれど……」

「渾沌とやらの正体が分からなければ、何も分かっていないのも同然だな」


 蛇の玄武の言う通りだ。


 雪那の宝珠に父上の乱心、俺が直面している問題にも渾沌が関わっているのは間違いない。


 正体が分からない敵を相手取るほど危険なことはないだろう。


 そして、渾沌が俺達のことを邪魔者だと認識してしまったなら、その危険は何倍にも膨れ上がってしまう。


「……もう一つだけ、確かめたいことがある。玄武領を偵察していた穹国の兵士、目的は玄武領の資源だったんだよな? それは誰の指示だったんだ?」

「軍の指揮官か穹王……ということを聞きたいわけじゃないんだろう? 玄武領に目当ての資源があると吹き込んだ発案者。確か……シュウハクオンという名の法術士だったか」


 シュウ伯恩ハクオンキュウ国の王族に仕える法術士。


 確かに周法士は渾沌の呪いを解く手段を探していた。


 王族お抱えという立場上、玄武領に手掛かりがある可能性を助言するのは自然だし、それだけの知識を備えていても不思議はない。


 となると、あるいは元凶である渾沌に行き着いている可能性も――


「――決めた。周伯恩に会いに行こう。父上のところへ戻る前に」

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悪食王子と龍の姫 @Hoshikawa_Ginga

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