第三十七話 領主

 パーラの元を後にした俺は、予定通り玄武の部屋を訪れることにした。


 さすがは玄武領の主というだけあり、塔の中でもとりわけ上等な部屋が充てがわれているらしく、更に扉の前には屈強な甲人が番兵として陣取っていた。


 まるで荒々しい岩のような甲殻だ。


 甲人だと知らなければ、そういう甲冑を纏った人間だと勘違いしていたかもしれない。


「ええと……言葉通じるのか……?」


 雪那や桃花達とは普通に会話できていたので、普段はあまり意識することがなかったが、他の種族には彼らなりの言語があるはずだ。


 中原の言葉が誰にでも通じると思わない方がいいだろう。


「君か。入ってくれ」


 室内から少年のような蛇の玄武の声がした。


 すると番兵の甲人は無言で扉の前を離れ、俺を部屋の中へと招き入れた。


 さっきの声は明らかに中原の言語だったはずだが、それを聞いて番兵が動いたあたり、もしかしたら俺の言葉でも通じていたのかもしれない。


 ……それはともかく、今はやるべきことに集中しなければ。


「改めて言うまでもないかもしれないが、畏まらず気楽にしてくれて構わない。我々の肩書など中原では何の意味もないものだからね」


 室内で俺を待っていたのは、そっくりな外見をした黒髪の少年少女――もちろん容姿がそう見えるだけで、俺なんかよりも遥かに長い時を生きている霊獣だ。


 蛇の玄武、冥冥メイメイ。亀の玄武、明明メイメイ


 見た目はよく似ているが、二人の態度や性格は全くの正反対。


 二人一組の守護霊獣というだけあって、それぞれの短所をお互いの長所で補っているのだろう。


「さて、黎駿殿。此度は本当に世話になった。もう一人の玄武共々、心から礼を言う」


 影の玄武は窮奇との戦いで重傷を負ったばかりのはずだ。


 しかし珀月と違って寝台ベッドの世話になることもなく、堂々とした態度で俺との応対を続けている。


 守護獣という特別な立場の霊獣だからか、蛇の霊獣の身体的な特性か、それとも単に珀月の方が消耗していただけなのか。


 三つ目の仮説が正しかったとしても、あれだけ痛めつけられておきながら余裕が残っていたことに変わりはないわけだから、結局は恐るべき耐久力タフネスだと言わざるを得ない。


「あ……ありがとう……君達がいなかったらって思うと……冥冥を助けられたのは、何もかも君のお陰だ」

「まったく……明明、人前でそう呼ぶなと何度も……」


 相方の明明から本名で呼ばれたことに対して、影の玄武は呆れた様子で眉をひそめた。


 明明とは異なり、冥冥の方は名前で呼ばれたがらないようなので、今後も引き続き影の玄武と呼び続けることにしよう。


 ちなみにこれは中原でも珍しくない反応だ。


 生まれた時点で付けられた名前は、極めて私的プライベートなものであると考えられ、社会に出てからは別の名前を名乗るという風習がある。


 男なら二十歳の成人から、女なら十五歳で天命を授かってからが一般的だ。


 つまり、例えば風蘭は本名ではない。


 父親からもそう呼ばれているのは、単に父親がもう一つの名前を気に入っているからだ。


 本名はまた別にあるはずだが、もちろん赤の他人である俺は知らないし、仮に知っていたとしても呼ぶことはない。


 また、公的な役職に就いているのなら、例えばエイ将軍のように、その肩書を使って呼ぶ方がより格式的フォーマルだとされる。


 もっとも俺はまだ未成年なので、ずっと本名だけで通しているのだが。


 そして明明の場合は……本人の好みか何かだろう、多分。


「本来なら、相応の謝礼を渡すべき場面なのかもしれないけれど、君達が求めているのは金品よりも情報なんだろう? 恐らくだが、我々がこのような状況に陥った原因は、君達が探し求めているものに近いはずだ」


 影の玄武は単刀直入に本題を切り出した。


「まずは、私がもう一人の玄武と袂を分かつと決めた理由から説明しよう」


 ――事の起こりは、俺が故郷を追放される以前に遡る。


 玄武領は強硬派の蛇の玄武と穏健派の亀の玄武が意見を交え、互いの妥協点を見出すことで運営されてきたが、蛇の玄武は『このやり方では本当の緊急事態に対処しきれない』という思いを抱えてきた。


 そんなあるとき、遥か南方から来たと名乗る異種族の――中原の人間ではなく、それより更に南の鳥型の異種族がやってきた。


 法術士を名乗るその鳥人は、仕官先を求めて大陸を北上してきたと語り、二つの不吉な予言をした。


 一つ、キュウ国の人間が玄武領に攻め込もうとしている。


 一つ、古の悪神を名乗る者が玄武領に現れる。


 どちらもにわかには信じられないものだったが、戯言だと無視するわけにもいかず、ひとまず蛇の玄武は穹国との国境付近に偵察隊を派遣した。


 そこで偵察隊が見たものは、玄武領に侵入した小規模な人間の兵士の集団だった。


 蛇の玄武はすぐさまそれを制圧させ、捕虜にした部隊長を尋問したところ、穹国が玄武領に存在する希少資源を求めていたと発覚。


 これを受け、蛇の玄武は予言が正しかった可能性が高まったと考えて、大急ぎで軍備の増強に取り掛かろうとした。


「しかし、我が半身は君も知っての通りの性格だからな。強硬手段に対して消極的であるのみならず、とにもかくにも人間に甘い。正攻法ではとても納得させられん」

「そ、そんなことは……」

「言われてみれば、避難先の人間から普通に受け入れられてたな。あれも日頃の行いの賜物だったってことか」

「うう……味方がいない……」

「ともかく、これが亀の玄武の追放に至った経緯だ。異論反論はあるだろうが、少なくともあのときの私は……いや、今もこれが最善の判断だったと考えている。結果的には完全な失敗に終わったが、それはあくまで結果論、当時の私にこれ以上のことはできなかった」


 後の流れは俺達も既に把握している。


 権力を独占して大部隊を編成し、更に窮奇を懐柔して味方に引き込もうとするも、窮奇の性格的に逆効果となって駐屯地を壊滅させられるに至ってしまったのだ。


「どうやって窮奇を説得しようとしたんだ?」

「隣国の侵略に備えていると伝えて、充分な報酬を用意すると交渉しただけだ」

「……そりゃあ、真っ当だな。窮奇にとってはいい獲物だったわけか」


 これまでの説明は筋が通っていて納得できるものだった。


 しかし、まだ腑に落ちないことがある。


「それで……俺達が求めている情報と、一体どういう関わりがあるんだ?」


 全くの無関係だったとまでは言わないが、前振りの割には関係が薄い。


 玄武領に侵入した穹国の偵察部隊の目的は、恐らく例の漆黒の呪詛の解呪方法を探していたのだろうとか、間接的で価値の低い繋がりしか見いだせなかった。


「重要なのはここからだ。我々の一連の情報をもたらした法術士……奴の情報源が気にならないか? 法術で予言したのなら大した話ではないが、もしも穹国と窮奇に起きた出来事をとしたら?」

「……まさか渾沌と関わりが!?」

「実際のところはまだ分からん。私もつい先程になって思い至った可能性だからな。しかし、本人に直接聞くことはできる」


 蛇の玄武は近くの台に置かれていた大きな鈴を手に取った。


「奴はこの城に逗留している。君が望むなら今すぐ呼び出そう」

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