第三十六話 証言

 最初に訪れたのは、窮奇キュウキこと珀月ハクゲツが担ぎ込まれた部屋だ。


 玄武よりも先にこちらを選んだのは、特に深い理由があったからではない。


 ただ単に、玄武がいる部屋よりも近かったからだ。


 どちらにせよ両方に話を聞く予定なのだし、仮にまだ意識を取り戻していなかったのだとしても、そのときは改めて玄武の部屋を訪ねればいい。


 そんなことを考えながら部屋の扉を叩こうとしたところ、手が触れるよりも先に中から扉が開かれた。


「おう、やっぱりあんたか。足音で分かったぞ。他の連中は?」

「一応は怪我人なんだし、集団でぞろぞろ押しかけるのも悪いだろ。話を聞くだけなら俺だけでも充分だよ」

「お気遣いどうも。こっちは見ての通り大丈夫そうだ」


 顎で寝台ベッドの方を示すパーラ。


 そこに見えたのは、寝台ベッドに横たわって眠る珀月と、その傍らに座る桃花トウカの姿だった。


 珀月は白い虎柄の髪をした人間の姿を取っていて、うなされることもなく静かに眠り続けているようだ。


「まだ意識は戻らないのか?」

「いんや、ちょっと前に目ェ覚ましたぜ。またすぐに眠っちまったけど、あんたが知りたそうなことは聞いといた」


 パーラに肩を押され、寝室の前からさり気なく離される。


 桃花と珀月に迷惑をかけまいという、パーラなりの配慮だろう。


 俺としては必要な情報が手に入るならそれで充分だし、無理に抵抗したとしても体格差で押し切られるだけだろうから、大人しく距離を取っておくことにする。


「まずはお嬢とハクゲツに代わって礼を言わせてくれ。ありがとう。あんた達のお陰で、お嬢を悲しませずに済んだ。あたし達だけだったら、ここまで都合のいい結果にはならなかったろうな」

「礼なんかいいよ。お互いに協力し合うっていう約束なんだからさ」


 俺が勝手に謙遜しているわけではない。


 雪那も同じことを言っていた、俺達の総意だ。


「それより、珀月から聞いた話っていうのは?」

「聞いた内容をそのまんま順番に伝えるぞ。あたしの判断で弄ったりしたら、どうせろくなことにならないからな」


 パーラはそう前置きをして、珀月の証言内容を淡々と語り始めた。


 ――珀月が『自分は窮奇だ』という感覚を覚えるようになったのは、今から半年ほど前のことだった。


 その感覚の正体と原因は一切不明。


 不明瞭かつ漠然とした感覚に過ぎず、当初は自分でも頭のおかしな妄想だと思っていたらしい。


 だが、そこに四凶の一柱『渾沌コントン』を名乗る人物が現れたことで、状況が一変した。


 この人物の素性もよく分からず、実際に遭遇した時間もごく短かったので、姿形や顔立ちすら覚えていないそうだ。


 ともかく、渾沌を名乗るその人物は、珀月に窮奇としての目覚めを促すような発言をして、二つの厄介なものを強引に押し付けてきた。


 一つは漆黒の呪詛、渾沌の呪い。


 もう一つは宝珠の破片。


 あくまで珀月の推測だが、呪いによって珀月本来の霊力が消耗させられ、そこに押し付けられた破片の作用で窮奇の影響力が増大したことで、人格が歪められて窮奇に近付いていったのではないか、とのことだった。


「ちょっと待て、宝珠を奪ったのは窮奇じゃなかったってことか?」

「あいつの証言を信じるなら、な。どう受け止めるのかはあんた次第だ。とりあえず続けるぞ」


 珀月は心身共に窮奇へ近付いていきながらも、なけなしの理性を振り絞って故郷の白虎領から出ていった。


 後は俺達も知っている通りだ。


 麓城ロクジョウではキュウ国の穏やかな治世を乱す目的で暴れまわり、玄武領では蛇の玄武が掲げた大義を嘲笑あざわらって駐屯地を壊滅させた。


 東に向かって移動したことに意味はなく、白虎領を飛び出した勢いのまま、深く考えずに同じ方角へ進み続けただけらしい。


「ちなみに、麓城で人間に呪いを植え付けたとか、そんな真似をした覚えはないらしい。ていうか、他人に染せるもんじゃないみたいだな。少なくとも本人は無理だと思ってる」

「渾沌とやらが大暴れに便乗したってところか。玄武とはどんな話をしたんだ?」

「悪い、訊いてねぇや。玄武がいるんだから別にいいやって」

「それもそうか。しかし参ったな……」


 パーラから伝えられた珀月の証言を、頭の中で何度も思い返して咀嚼しながら、自分なりの考えを纏めていく。


 現時点で言えることは一つ。


 四凶の一柱を名乗る自称『渾沌』――一連の出来事に黒幕と呼べるものが存在するのなら、それは十中八九この人物だ。


 再三に渡って祓い続けた漆黒の呪いも、恐らくは雪那の宝珠を砕いて破片を奪い去ったのも。


 目的までは分からないが、清河セイガの幽霊水軍に宝珠の破片を与えたのも、間違いなくこいつの仕業だろう。


(四凶、渾沌……さっき雪那から聞いた話だと、神代に生きていたっていう本物の渾沌の特徴は……)


 他の四凶と比べ、渾沌にまつわる伝説は捉えどころがない。


 伝承ごとに内容がバラバラで一貫性がなく、しかもそれぞれの伝承で語られる特徴も曖昧模糊あいまいもこで、当時の人もよく分かっていなかったのではと思ってしまう。


 曰く、熊のようだが頭のない獣である。


 曰く、大陸の中央を治める皇帝だったが、顔に七つの孔――両目、両耳、鼻、口が存在しなかった。


 曰く、六足四翼の肉塊じみた顔のない生命体で、その体色は赤色とも黄色とも。


 曰く、毛深い犬に似た姿で、目と耳はあるものの機能はしておらず、内臓はほとんどなく、自分の尻尾を咥えてぐるぐる回っている。


(……まさに混沌って感じだな。無秩序にも程がある)


 肉体面だけでも大した混沌カオスぶりだが、もちろん性格面でも一貫性は皆無だ。


 善人には危害を加え悪人には従順という、窮奇に似た性格で語られることもあれば、それとは反対に理知的で親切な人柄と描写されることもある。


 正直なところ、渾沌に限って言えば、伝承を手掛かりにするのは間違いだ。


 何が何だかよく分からないという結論しか得られない。


「なぁ、レイシュン。あいつ、もう大丈夫だと思うか?」


 心配そうな声色の言葉を投げかけられ、ひとまず思索を打ち切る。


「あいつというと……珀月か」


 珀月の人格が再び窮奇に近付いてしまい、元の木阿弥になりはしないか。


 きっとパーラはそんな心配をしているのだろう。


 もちろん断言できるだけの根拠は何もないが、推測でよければある程度の仮説を立てられる。


「希望的観測で、なおかつ本人の予想が当たっているなら、いきなり台無しになったりはしないと思うぞ。呪いで抵抗する力を奪って、宝珠の破片で窮奇の影響を活性化させてる以上、両方とも取り除いてしまえば何とかなるはずだ」

「あんたもそう思うか。ほんと、これで解決してくれたらいいんだけどな」

「気持ちは分かるけどさ、あんまり楽観的になりすぎるのも考え物だぞ」

「それくらい分かってるって。でも期待するくらいならいいだろ? せっかく上手くいってんだからさ」


 困ったように笑うパーラ。


 今の推測はあくまで希望的観測にすぎない。


 最大限悲観的に考えれば、珀月はもう二度と元には戻らない、と考えることもできる。


 何故なら、いくら変質の原因を取り除いたところで、変質した結果が可逆的だとは限らないからだ。


 例えば建物が燃えているとして、炎を消すことに成功したとしても、炭になってしまった部分が元通りになることはない。


 それと同じように、珀月の人格のうち既に『窮奇』で塗り潰されてしまった部分は、永遠にこのままだとしてもおかしくはないだろう。


 正直、俺にはどちらに転ぶのか全く分からない。


 何事もなかったかのように回復するのかもしれないし、現状の危うい状況がずっと続くのかもしれない。


 だがどちらにせよ、現状は桃花達にとっては大きな前進だ。


 喩え悲観的な予想が当たっていたとしても、どこにいるのか分からない行方不明状態よりも、自分達の目の届くところにいる方がずっと対処しやすいに決まっている。


 パーラもこの辺りのことを理解しているからこそ、喜びと不安の入り混じった笑顔を浮かべているのだろう。


「あたしが聞き出したのはこれで全部だ。他にも手伝えることがあったら何でも言ってくれ。そういう約束なんだからな」

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