どこに隠し持っていたのか。さすがに反応が早すぎる。お守りを見せる際にポケットから取り出したのか?


「いやあ、これを見せたときの反応でおや?って思ったけどガチだったなんてね」


 やれやれ、と彼女が首を振って溜め息を吐く。

 その動作の最中も、しっかりとカッターナイフの切っ先は僕の首元に突きつけられていた。

 あのときに力が抜けたのを気づかれていたのか。意外と目が良い。

 まあ、あと僕の影って明らかに薄いしね。物理的に。

 クラスメイトを殺すのは気分が悪いけど、と。

 微塵も気分が悪い様子がない顔でそう呟いた。

 赤く、鋭い目がこちらを射抜いている。先程会話していたときとは違って、冷たく、でもある種の熱を孕んでいた。


「……残念だけど、これじゃあ吸血鬼は殺せないな」

「そう。じゃあ試してみる?」 

 切っ先が首の皮膚に刺さる。こいつ躊躇ないな、と脳のどこかで考えた。

 さっきお守りに触れたときと同じで、じゅう、と焼ける音。同時に痛みが走る。

 ……やっぱ只のカッターナイフじゃないか。視認はできないけど、何か刻んであるんだろう。もしくは聖別でもされているか。

 まあそれはどちらでも良くて、大事なのはこれが吸血鬼に傷を負わせ得るものだということだ。


「気づいてると思うけど、これ普通のやつじゃないからね」

「普通のやつがよかったなあ」


 だったら無理矢理逃げられたのに。いやまあ今でも無理矢理逃げることはできるけど。

 すう、と目が細くなる。込められた熱の温度が上がっていく。


「……ずいぶん余裕じゃん。まあ、そりゃそうだよね」


 図太くなきゃ5人も殺せないし、と彼女が呟いて。

 ————いや殺してないけど、と言葉が無意識に口から突いて出た。


「はあ? この期に及んで無実でも主張するわけ?」

「いやいやいや、え? 僕を通り魔事件の犯人だと思ってるの?」

「なんでそっちが驚いてんの。通り魔事件の犯人は吸血鬼で、あんたは吸血鬼。これ以上に言うことある?」

「いやまあ、確かにそうなんだろうけど……」


 どうしようかなあ、と考える。

 実際通り魔事件の犯人が吸血鬼だとして、それが僕じゃない吸血鬼だってことを証明しなきゃいけない。

 友達も多くないし恋人なんて言うまでもないからアリバイとかもない。

 詰んだかもな、これ。


「僕が犯人とは別の吸血鬼だとしたら?」

「その証明は? あと吸血鬼な時点でアウトでしょ」

「いやあそうとは限らないって。悪い吸血鬼がいるように、そうじゃない吸血鬼もいるよ?」


 僕悪い吸血鬼じゃないよ。本当だよ。実際人間から直接血を吸ったことなんてないよ。


「…………」

「あとほら、僕ってハーフだし? 半分人間だから実質人間みたいなものっていうか?」

「ふうん、そうなんだ。でも半分は吸血鬼ってことでしょ」

「だとしても! 僕は吸血鬼としての本能に抗ってるよ。真面目に人間の学生としてがんばってたし」

「………………」


 あ、ダメだ。表情がなにも変化してない。

 というか目だけどんどん鋭くなっていっている。

 美人なだけに威圧感がすごい。


「私の両親はね、吸血鬼に殺されたの。首に穴が開いてて、ミイラみたいになって死んでた。あんたがそれをしないって確証はあるの?」


 どうなの、と赤い目がじっと見ている。

 吸血鬼に両親が殺されたなら、高校生ながらにここまでのことをするのは当然だろう。彼女の目に映る僕はクラスメイトじゃなくて、両親の仇と同じ吸血鬼ってことだ。

 それでも、激情のまま僕を殺そうとするんじゃなくて尋問めいたことをするのはすさまじい精神力だな、と思う。

 人間によっては甘さに映るんだろうけど————なんとなく、僕はそれを美しいと思った。

 しかし、どうしようかな。完璧に詰んだと言える状況だし、今この瞬間に真犯人が捕まってくれでもしない限り僕はやがて殺されるだろう。

 ため息を吐く。仕方ないか。

 教室の床に穴が開くだろうけど、彼女を殺してしまうよりも良いだろう。

 いくら僕が半吸血鬼だからといえ——地面を踏みつけて穴を開ける程度の脚力はある。

 やるぞ、とちょっと怠い体——お守りと突きつけられてるカッターナイフのせいだ——に気合いを入れようとしたそのとき。

 ぷるる、と音が鳴った。


「ちっ……はい、もしもし」


 こちらから目は離さず、カッターナイフは突きつけたままで彼女は電話に出た。

 一旦様子見しておこうかな。

 逃げるにしてもそれを彼女が他の人に伝えるのはできるだけ遅い方がいい。


「はい、今は教室です。クラスメイトに吸血鬼がいたので……はい。いえ、それはまだ————は? いや、それは……はい。了解しました」


 ぷつ、と電話が切られる。彼女が大きいため息を吐いた。

 カッターナイフが下ろされる。


「本当に、本っ当に癪だけど! あんたはまだ殺さないことになった。よかったね、寿命が延びて」

「おお! やったあ! 見逃してくれるんだね、ありがとう!」


 彼女が少し離れたことで軽くなった体を動かして喜びを表現する。きっと今僕は満面の笑みを浮かべていることだろう。

 いやあよかった。けっこうこの学校は気に入っているから、校舎を壊すのは忍びなかったのだ。

 そんな僕の様子を見て、彼女は眦をつり上げた。


「言っておくけど!あんたの疑いは晴れた訳じゃないから! 師匠せんせいがしばらくあんたを生かしておけって言ったからだから!」

「あ、そうなんだ。ちなみにそれはなんで?」

「……師匠が犯人がコウモリに化けたところを見たから。半吸血鬼にはその能力がないからって」

「確かにそうだね……僕はほら、出来損ないらしいから」


 ちゃんとした吸血鬼は狼やら蝙蝠やらに変身できるけど、半吸血鬼は出来ない。それどころか大体の能力が純吸血鬼に劣る。

 出来損ないと言われ続けて数十年、初めて出来損ないでよかったって思えたよ!


「で、そうだとしてもあんたを野放しにしてはおけない。だから、」


 まあそうだよなあ、と思う。実際そこらの人間よりは余裕で強いし。

 やろうと思えば全然5人くらい殺せる。

 そんなことを考えていると、彼女が大きいため息を吐いて、一度目を閉じて。

 覚悟を決めた顔でこう言った。


「今から一週間、あんたは私と一緒にいること。寝るときも起きてるときも、ずっと私が監視してるから」

「……は?」 



 と、いうわけで1週間のドキドキ同棲生活がはじまりはじまり——と、なるはずだったのだが。


「やあこんにちはお二人さん。そっちの男の子はどうでもいいんだけどさ、女の子の方、ちょっとおじさんを助けると思って協力してくれないかな?」


 教室のあれこれの後の帰り道。薄暗くなった中で二人並んで歩いていれば、急に目の前に男が現れてそう言ったのだ。

 中肉中背、眼鏡をかけていて、街灯の光に照らされて表情が見えない。

 ただ、レンズの向こう側の目は笑っているように見えた。

 そこに親しさなんてかけらもなかったけれど。

 ただ、男にあるはずの影は無かった。


「これってさ、ねえ、もしかしてだけど」

「…………」


 横目でちら、と彼女を見る。彼女も一瞬こちらに視線を流した。

 彼女が一歩後ろに下がる。僕は下がらなかったので、当然僕の後ろ側に彼女がいる形となった。

 なんとなく男の視線を切るように——彼女を背中に隠すような形で相対する。


「おっと、怖がらないでほしいな。おじさんはね、ちょっと君の血液が欲しいだけなんだ。それがないと死んじゃうからさ。ね、くれないかな」


 相手側からは僕が彼女を守っているように見えているんだろうけれど、どうも僕に対する呼びかけはない。

 言葉のすべてが後ろにいる彼女に向けたものだ。

 それは人間の男如き壁にすらならないという自負なのか、それとも。

 男に襲い掛かっているだろう飢餓の苦しみによるものか。

 ぽた、ぽたりと男の顎下から雫が落ちていく。確認するまでもなく、涎だとわかった。


「吸血鬼に渡す血液なんて1ミリリットルもないんだけど。蝙蝠らしくそこらの虫でも食べてれば?」


 おっと、結構煽るね。

 蝙蝠のうち血を吸う種は少なく、多くが虫を食べていることを前提とした彼女の言葉に、しかし男は眉を上げ、やれやれという風に手を挙げた。


「うん、うん。俺が吸血鬼ってことはわかっているのか。協会に関りがあるのかい? 俺も随分と有名になってしまったからなあ」


 まだ5人しか食べてないのだが、と呟く。

 男はでもね、と言葉を続ける。


「その可愛らしいアミュレットとカッターでは役に立たないよ。それでは吸血鬼は殺せない」


 目の前の男が放つ圧が増した。

 後ろは見れないけど、どうやら彼女はお守りとカッターを取り出しているみたいだった。


「やってみなきゃわかんないでしょ」

「いい気の強さだ。そういう子の方が美味いんだよな」


 ピリ、と空気が張りつめる。

 まさに一触即発という空気だった。

 でもさあ。


「間に挟まれてる僕のことも無視しないでくれるとうれしいんだけどなあ」


 ため息を吐く。

 僕を挟んで勝手にバチバチしないでほしい。

 特に僕を盾みたいにして隠れてる彼女とか。


「……ああ、すまない。どうも飢えて視界が狭まっていたようだ。

 ——どうだろう、今すぐそこをどいてくれれば君を殺さずに済むんだが」

「いやあ、この状況で女の子を差し出すほど常識がないわけではないんだよね」


 半吸血鬼だけど。


「ふむ、それではしょうがない。男の血を吸う趣味はないから——ただ殺すだけになってしまうのが忍びないが」


 そう言いながら男が懐からナイフを取り出した。赤く、刃物の煌めきはない。

 自身の血で形作られた代物だろう、とわかった。


「安心してくれ。心臓を貫けば人間は死ぬ」


 そうして、目で追うのも難しいような速度で肉薄し、刃を突き出した。

 つぷ、と左胸に刃が刺さる。一拍おいて、抜かれる。

 鮮血が舞う。

 血が男の体を、顔を彩った。


「————、」


 声の無い悲鳴が聞こえる。後ろからだ。どうやらこういうシーンを見るのは初めてらしい。よくそれで僕の首を切り飛ばすなんて言ったものだ。


「ああ、勿体ない」


 心底からそう思っているような顔で男はそう言った。頬に飛んだ血を指で拭い、そのまま指を口に入れた。


「やはり口に合わないな。えぐみ、苦み、嫌な酸味。男の血も女のように甘くあればよかったのに」


 さて、と呟く。

 男がまっすぐ僕の後ろを見ているのがわかった。


「次は、君だ」


 そう言って僕の肩に手を掛ける——胸を貫かれてまだ立ったままでいる僕が邪魔だったのか、押しのけようとする力を感じた。


 ——だが。


「……あ?」


 男の身体が崩れ落ちた。手から赤いナイフが転げ落ちて、そのまま赤い水溜まりへと溶けて行った。

 ひ、と小さく悲鳴を上げて彼女が飛びのいたのがわかった。というか僕にしがみつくようにしている。


「あーあ、なんで僕の血を口に入れたの」

「は……?」


 本当に困惑した風に男が声を漏らす。身体は小さく痙攣したままで、なんとか顔だけ動かして僕の方を見ていた。

 “親”の言葉を反芻するようにして声に出す。


「『吸血鬼は吸血鬼の血を吸ってはいけない。なぜなら体内で血の奪い合いが起こり、衰弱し、やがて死に至る』。これが僕たちのルールだろう? それすら知らなかったの?」


 詳しい仕組みはよく知らないが、吸血鬼は吸血鬼の血を吸ったら死ぬらしい。個体数が少ないから、共食いを防ぐためだろう、とあいつは言っていた。


「お、まえ……吸血鬼……」

「うん。まあ半分だけだけどね」


 多分半吸血鬼は珍しいから気づかなかったんだろう。僕って確率だけで言えばガチャのSSRよりもレアだしね。

 まあ、ということで。


「ドンマイ。今すぐには死なないからさ、教会の人たち呼んでおくね!」


 しゃがんで親指を立てる。男はもう言葉を返す気力もないのか、顔を青ざめただけだった。

 じゃあよろしく、と未だに僕の服をつかんだままの彼女を剝がす。

 そうして、僕は清々しい気持ちで家に帰ったのだった。


 

 放課後、夕焼けの射しこむ教室。いつも通り読書に勤しんでいれば、ふと僕の机の前に人影が立った。


「ねえ、あんた」


 顔を上げればギャルの彼女だった。首元にはロザリオがかけられていて、ちょっと近寄ってほしくなかった。


「何? 僕の疑いは晴れたから監視とかもいいんじゃない?」

「……そうなんだけど、さ」


 彼女は言葉を探すかのように言い淀んだ。

 この間のおしゃべりな姿が嘘みたいだった。それでも数分経って、覚悟を決めたような表情で言葉を紡いだ。


「この間はごめん。あとありがとう。自分では吸血鬼なんて怖くないって思ってたけど、本物を見るとやっぱ怖くて、わたしは力が足りないんだって思った」


 随分としおらしい態度だった。というか本物なら目の前にいるのに何を言っているのか。半分だからか? 吸血鬼成分が足りないってことですか?

 だから、と強い意志を込めた目で僕を見つめる。

 赤い瞳がきれいだった。


「私と、一緒に、戦ってほしい」


 夕日が彼女を照らして、彼女の顔は赤く染まっていて。

 はたから見れば告白の現場みたいだろうな、と頭のどこかで思う。

 正気かこいつ、とも思った。

 いや、まあ返す言葉は決まってるけど。


「——吸血鬼って、知ってる?」

 



 ということで。この後なんやかんやあってコンビを組むことになったり、思ったより彼女が戦えないせいでほぼ僕がなんとかしたり色々あったけど割愛。

 まあなんだかんだ僕と彼女は血なまぐさくて楽しい日常を過ごしたのでした。

 おわり!

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吸血鬼って知ってる? 雨露多 宇由 @gjcn0

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