吸血鬼って知ってる?

雨露多 宇由

「ねえ、吸血鬼って知ってる?」


 放課後、夕焼けが射しこむ教室。

 読書をやめて頭上から投げ掛けられた言葉に頭をあげれば、そこにはクラスメイトの女子がいた。


「は?」


 何を言ってるんだこいつは、という感情が息と共に声になって口から出ていった。

 僕に問いを投げ掛けたのはいわゆる1軍女子というか、有り体にいってギャル。

 今まで話したこともないし、関わりなんて1ミリたりとも無いゆえに、胸中が困惑に染まる。

 というか今吸血鬼って言ったか?


「……さっき集会で先生が『最近不審者が出没するから早く帰りなさい』って言ってなかった?」


 実際これは生徒たちの間でも騒がれていて、大半の生徒は大人しくさっさと家に帰っていた。

 わざわざ全校生徒を集めた集会で言うくらいなのだから、その警告の真剣度は推して量るべしだろう。


「あは、私けっこう強いから大丈夫だよ。それにそれはお互い様でしょ? そんな真面目君みたいな見た目して、意外とワルなんだね」


「まあ、そっちは見た目そのままだね」


 目を細めてそう言った。確かに僕は教師の言葉に反抗するような人間には見えないだろうし、実際そう過ごしてきた。

 だから彼女もそんなことを言ったのだろうけれど————彼女も、見た目はどうあれそういった教師からの警告を無視するような人間ではないはずだった。


「ふふ、けっこう言うじゃん。まあそんなのはどうでもよくてさ、吸血鬼って知ってる?」


 だからこそ、そんな彼女の口から吸血鬼なんて言葉が出るのに驚いた。そう言ったことには縁が無さそうな人間だと思っていたから。

 じ、と猫じみた赤い目が見つめてくる。どうも冗談で言っている風には読み取れなかった。


「血を吸ってコウモリとかに化けられるやつ?」

「そう! 血を吸う化け物!」


 にこにこしながら、彼女はどこからか椅子を持ってきて僕の正面に座った。机に身を乗り出す。

 急に距離を詰めるな。心のパーソナルスペースバグってるのか?


「怪力かつ俊敏、変幻自在で神出鬼没。すごいよね、そんな怪物がいたらどうなっちゃうんだろう」


 そう語る彼女の頬は、上気するように赤くなっていた。

 彼女の詰めた分の距離だけ、椅子を引いて遠ざかる。


「確かにすごいかもね。……好きなの? 吸血鬼」

「いや? 全然。むしろ嫌いだけど!」

「うわあいい笑顔。そんな笑顔で言うことじゃないと思うなあ」


 意外と頭おかしいタイプなのかな、と彼女を見ながら思う。話したこともない男子に急に話しかけて、その話題が吸血鬼で、でも彼女本人は吸血鬼が嫌いだという。

 こんな人間いるんだ、という感情だった。降る話題にしてもなんで吸血鬼? 親しい人間が相手だとしても躊躇うレベルだぞ。

 ……いや、ああ、そうか。


「そういえば、不審者って吸血鬼らしいね。まあ噂レベルだけど、被害者はみんな血液が抜かれてたとか」


 最近この辺りで発生している連続通り魔事件。

 大体事件が起こる時刻の周辺で不審者の目撃情報があり、しかし警察が必死に捜索しても霧のようにその正体は掴めないらしく、気づけば被害者がまた一人増えているのだとか。

 だからこんな話題を出したのか、と何となく納得した。それでもちょっと引くことに変わりはないけど。


「そうそう! 怖いよねえ、こんな田舎に通り魔とかさ」


 ふふ、と笑う。


「それに吸血鬼なんて! 本当だったらどうしようね!ほら私けっこう可愛いから、標的にされちゃうかも!」


 そう言う彼女の顔は、どう見ても怖がっている様子には見えなかった。どちらかと言えば——陶酔、しているような。


「ああ……吸血鬼は美しい女性を狙うんだっけ。そうだとしても自分でいうことではないんじゃないかな」


 彼女がパチリ、とウインクする。自分がどう見えているのかをきちんとわかっている動きだった。


「やだなあ、私が可愛いのは周知の事実でしょ?」

「あれだね、結構自己愛が強いタイプなんだね。知らなかった」

「そっちこそけっこう言葉が鋭いタイプなんだね。知らなかった」


 いたずらっぽい顔でこちらを見てくる。猫みたいな目だから、そういう顔をすると本当に猫みたいだった。

 爛々と赤が輝いている。カラコンをつけているのだろうけど、いやに生物的だった。


「それに君も襲われたらやばいんじゃない? ほら、戦えなさそうだし」

「吸血鬼と戦う力なんて現代の若者が持ってたらおかしいでしょ」


 一瞬だけ、空白があった。

 まあ、そういうのはどうでもよくてさ、と彼女が呟く。


「吸血鬼から身を守るために必要なのはなんだと思う?」

「え、いや、本当に吸血鬼だと思ってるの?」


 さすがにそれは噂を真に受けすぎなんじゃないかなあ。


「うーん、いやまあ、そうじゃなくてさ。吸血鬼から身を守るものって何か知ってる?」


 ここまで会話していて気づいたが、どうやら彼女はけっこう強引なところがあるらしい。

 ギャルという人種ゆえのものなのか、それとも恵まれた容姿による自己肯定感の高さからなのか。

 まあどちらでもいいけど、とりあえずこの問いにちゃんと答えないと永遠に同じ問いを繰り返されそうだった。

 今まで触れてきた小説とかアニメとかを思い出しながら答える。


「えっと……にんにくとか? あと十字架とかかな。ファンタジーものではそういうのが弱点として描かれてるよね」


 神聖な何かとかもよく効くよね、と付け足す。


「ピンポーン! さすがよく知ってるね。あとは銀とか、日光とか。ああ、心臓に杭を打たれると死ぬとかもあったね」


 指を降りながら吸血鬼の弱点を数えていく。

 気づけば教室には夕日が指していて、彼女の綺麗な黒髪が茜に照らされていた。


 ぼう、と僕はそれを眺めていた。

 インナーカラーが紫色だということに今気づいた。


「あはは、心臓に杭を打たれたら吸血鬼だって死んじゃうよね」

「それはその通りだと思うよ。それで生きてたら只の化け物じゃないか。......まあ、吸血鬼も化け物だけど」


 そうだよねえ、と彼女が呟く。ぐい、と距離を詰めてくる。

 整った顔が正面にあった。


「ね、今もってる?」

「持ってる? いや何をさ」

「吸血鬼の弱点。ほら、にんにくとか銀製のやつとかさ」


 ふわり、と女の子らしい匂いが香る。


「持ってないけど……いや、そんなの吸血鬼対策に学校に持ってきてたら変人か異常者だと思うよ」


 教室が茜に染まっていく。遠くで鐘の音が鳴った。

 赤い眼がこちらをまっすぐに見ている。

 ふふ、と彼女が笑った。そうだよね、と呟くのが見えた。


「その通りだと思うよ。うん、本当に。じゃあさ、今、なにも持っていないんだよね」


 気づけばすぐ目の前に彼女の顔があった。

 吐く息さえも触れてしまうくらいに。


「にんにくも、銀も、吸血鬼に対抗できるものはなにも持っていないんだね」


 多分端から見たら恋人同士に間違われるような状況で、けれど彼女の声に籠っていた熱はそういう可愛らしい感情じゃなかった。

 首の後ろがチリチリする。

 秋だというのに肌寒いような感覚がした。捕食者を目の前にした被食者ってこんな感じなのかな、とも思った。


「……そう、だけど。もしかしてそういうグッズをくれるの? お札とかさ」

 継いだ言葉はどこか震えていたと思う。

 彼女はにんまり、という擬音が似合うような笑顔を浮かべた。


「あったりー! ほら、じゃん! 私特製のお守りでーっす」


 その言葉を聞いて、そして彼女の取り出したものを見て急に力が抜ける。

 それは銀色のプレートだった。手のひらサイズで、表面には何かの文字の羅列が刻まれている。


「……あー、霊感商法的なやつ」

「違うよ! れっきとしたガチのやつだよ! 私が丹精込めて、寝る時間を削ってまで作ったやつだよ!」

「いやあ、君が手ずから作ったとしても効果がある証明にはならないし」


 なるほど、今までなんの関わりもなかった僕に彼女が接触してきたのはそういうことか。

 チョロそうなやつって思われたんだな。僕の他にもこうやって押し売りしているんだろうか。

 美人局ってやつかあ。


「で、なに? それをくれるの?」

「ううん。今ならなんと3980円。お買い得じゃない?」


 くれないんだ。


「けっこう高いなあ。学生相手なんだからもうちょっと安くした方がいいんじゃない?」

「私が友達とのお茶を断って、お肌を犠牲にして作り上げたものがこれより安いわけないでしょ!?」


 本当だったら1万円くらいにしたいけどそうすると売れないし、と呟くのが聞こえる。

 霊感商法業界も価格競争とかが激しいんだろうな。


「ほら、買おうよ。これさえあれば吸血鬼なんてイチコロだよ……たぶん」


 おい最後の方で自信をなくすなよ。

 上目使いでこちらを見てくる彼女の視線から逃げるように横を向いた。


「いらない」


 別に必要ないし、と手を振ってそのお守りとやらを下げるように促す。

 そのとき。

 指先が触れた。

 触れて、しまった。

 チリ、と電流が走る感覚。

 鋭い痛みと、肉が焼けるような匂い。

 思わず手を引くと同時に正面に顔を向ける——が。


「動かないで。さすがに吸血鬼だって首が飛べば死ぬでしょ?」 


 ——カッターナイフが、首もとに突きつけられていた。

 

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