愛妻家の日




 あの方はね。

 愛しき妻が悲しい顔になる。


 そんな顔をしないでくれ。

 感情を押し殺してほしいわけではない。

 笑いたくもないのに、笑っていてほしいなんて死んでも言わない。


 ただ。

 毎日、毎日が笑う日であってほしい。

 そんな日々を送ってほしい。

 悲しむ日も怒る日もあっていい。

 囚われて苛まれる人生であってほしくないのだ。


 もちろん、あいつにも。

 だから俺は、

 愛妻家の俺はタイムマシンを作った。

 作って、あいつの傍に居ると決めた。


 それが愛しき妻の願いだから。


 贈られたラベンダー入りのお守り袋を胸に添えて、心の支柱にしていざ参らん。











 あの方はね。伝説のエスパーなの。

 今まで何度も何度も世界を救ってきた。

 けれど、限界が来たのね。

 エスパーとしてのこれまでの記憶を封印して、新しい人生を、まっさらな人生を生きようとしていたの。

 あの方がそれを望むなら、私は、私たちはそっと見守ろうとした。


 ただ、あの方が望んだのはそれだけじゃなかった。

 エスパーとして歩んで来たあの方の記憶を消し去ろうとしたの。

 一切合切。

 無自覚だと、思う。

 私たちが持っているあの方の記憶も消し去ろうとしているの。


 あの方が望んでいるのなら。

 でも、私たちが忘れたら、あの方に何か遭った時に。

 ええ、私たちができることなんて微々たるものそれでも。

 微々たるものでも、私たちはあの方の支えになりたいの。




 忘れてはいけないの。

 あの方が忘れたとしても、私たちは決して。

 でも、もう無理。

 記憶を抑え込んだ反発であの方の能力も少しずつ暴走している。

 特殊なカプセルに入れてあの方を眠らせて抑えているけれど、あの方の力に私たちは吞み込まれてしまう。

 消されてしまう。

 忘れてしまう。


 お願い。お願い愛しき人。

 あの方をひとりぼっちにしないで。

 お願い。








「俺は愛妻家、俺は愛妻家、俺は愛妻家」


 抱え込んだラベンダーの匂いをこれでもかと吸い込んで記憶を取り戻し、友人を睨みつける。


 わかっている。

 友人は意識的に記憶を消し去ろうとしているのではないと。

 絶対多分。

 いや、そうだよな。

 無意識だよな。

 そうだよな。

 え?


 まさか意識して俺の記憶も消し去ろうとしてんの?

 俺おまえがエスパーだった頃なんて知らないけど。

 愛しき妻から聞いたことしか知らないけど。

 おまえが愛しき妻の初恋の人だってことしか明確に覚えてないけど。

 あとはほにゃららら。

 え?それもだめなの?又聞きもだめ?エスパーの力を封印していた頃のおまえとの記憶も消されちまうの?


 つーか。愛しき妻との記憶も消し去ろうとしてない?

 え?何で?

 愛しき妻が、おまえが超絶すごいエスパーだって知っているから?

 愛しき妻を思い浮かべたら、おまえが超絶すごいエスパーだって連想されると思ってんの?


 えええ?

 なりふり構わず、おまえがエスパーだった頃の記憶を消し去ろうとしてんの?

 ええええええ?




「おまえ、本当にラベンダーの香りが好きだな」

「まあな。愛しき妻を思い出す香りだからな」

「心身に染み込んでいるからラベンダーなんて必要ないだろう」

「いやいやいや。必要だよめっちゃ必要。愛しき妻とのことを忘れるなんてあり得ないけど、俺、ばかだからさ。ラベンダーの香りで大雑把だった記憶を細かく思い出すの」

「へえ」


 え?なにその空ろな目。

 なんでラベンダーずっと見てんの?

 つーかおまえ、本当にエスパーだった頃の記憶を封印してんの?

 違うの?思い出してんの?思い出したの?


 あれ?

 そういえば、エスパーって心が読めるって聞いたような。

 え?なにその顔?

 なにその笑顔。

 心臓が引き絞られるからやめてくんない?

 そんなの。




「いつからっ「ありがとうな、心配してくれて」

「おまっ」




 そんなの。




「ありがとうな。楽しかった。すごく。だからおまえは愛しき妻の元に戻って、笑って過ごせ。たくさん」




 おまえも一緒に。






















 ラベンダーの香りがすると、あいつを思い出す。

 愛妻家のあいつを。

 心躍り、心温まる記憶が蘇る。

 ただ一時の安寧の日々が。


















 なんて。


「こんなに騒がしくない日々があったんだって」

「おいおいおい。なーに物思いに耽っちゃってんのかな~」

「そうですよ!ほら。次の星に行きますよ!」

「あ~も~うるさい~」


 俺は耳を押さえて、それでも、愛妻家のあいつと、あいつが愛する彼女を置いていくことはせずに連れて行く。




 ラベンダーの香りと共に生きて行く。

 時々、甘いガムを噛んで。


















(2023.2.1)



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匂いの記憶 藤泉都理 @fujitori

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