その2
次の日、重苦しい足でTNSの扉を潜る。
「……おはようございます」
「おや、二日目のご出勤ご苦労様だね。大体、初日で根を上げる奴らばかりだったが、君は違うようだ」
室長はニヤニヤとしながらローズンが用意した珈琲をすすっていた。
「僕にはもうココしか無いですから。研究が出来るだけマシです」
そう言って家から持ってきた、観葉植物や盆栽をデスクに並べる。
「そういえば君は植物関連の学者だったな。研究用の植物か?」
室長は興味深げに鉢植えを見る。
「ポックルやマクラーレン達を研究に使うなんてとんでもない!」
「……君、植物に名前をつけているのか」
「家族だから当然です」
「家族ねぇ」
僕が誇らしげに胸を張ると、室長は興味無さそうに再び珈琲に口を付ける。
「ところで、天花君はどんなアクシデンドを引き起こしたんだい?」
何かを思い出したかのように室長は僕に訊いてくる。
「アクシデントですか? いえ、特に何も」
「何もやってないのにTNSに放り込まれるとか、君、誰かに根深い恨みとかされているんじゃないか?」
「そんな事もないです。このTNSは研究室の天満リーダーが推薦出してくれて、それで……」
「ほぉ。大体理解出来た。君はそのリーダーに捨てられたんだ」
室長のとんでもない結論に僕はまたフラッと眩暈が襲う。
「おっと、また気絶されては困るぞ。運ぶ手間が増えてしまう」
「だってあの優しい天満リーダーが人材を捨てるようなこと、ありえませんよ。だってリーダーは、このTNSを中立的な研究をする機関だって……」
僕の言葉に室長はゲラゲラと笑い出した。
「室長、何が可笑しいんですか?」
「まさか、ニュートラルサイエンスの方で説明して騙す奴が現れるなんて思いもしなかった。たしかに、正式名称はそっちの方で構わないが、有事の時に限ってのみだからな。俗称としては“特に・何も・しない”研究室だから、TNSって呼ばれているのだよ」
そ、そんな。ということは、本当に僕はリーダーに騙されて。
「生憎だがご愁傷様だな」
ニヤニヤと笑う室長、そんなに僕をみて面白いもんですかね!
「……ちょっと、天満リーダーを殴ってきます」
信頼していた人に裏切られて、僕は自棄っぱちになっていた。きっと、僕の研究を引き継いでウハウハなんでしょうね! この怒りは殴らないと収まりませんよ!
「TNSに配属が決定した以上、有事の時以外は他の研究棟には入れないようにプロテクトがかけられる。だから、殴りたくてもお前の居た生物分野のB棟には入れないぞ」
「そんなぁ。ところで、さっきから室長の言っている“有事”ってどういうことですか?」
「研究所が存続の危機に陥ったりする場合にTNSは本領を発揮するが、私がここの室長になって以来、そんな事は一度も無かったからな。希望はナイと思ったほうがいい」
そう笑いながら室長が話していると、いきなり研究室の扉が開かれ、副所長が現れた。
「やあ、TNSの諸君。ご機嫌は如何かな?」
「あ、副所長、おはようございます」
「……チッ」
僕は副所長に恭しく一礼をするが、室長は不機嫌そうに舌打ちをするだけだった。
「天下の副所長様がこんな墓場に何か御用ですかね?」
「新しく来た新人君を実験台にしていないか見張りにきたのだよ、国成」
二人の間にはまるで火花でも散っているかのように、にらみ合う両者。
「人をマッドサイエンティストのように言いやがって。お前の方がよっぽど悪者だよ、“したじき”め」
「したじきではない、しもじきだ。三年経ってもまだここの暮らしがお気に召さないのかな? 好きな物は何でも与えているというのに」
「誰が好き好んでこの軟禁生活を気に入るものか。私の言動を見に来たというのならもういいだろう。とっとと帰れ」
親子くらいの歳が離れていると思われる副所長を睨みつけながら、室長はシッシッと追い払うような動作をする。
「それでは失礼するとしようか? 伏見君、くれぐれも私の忠告は守るように頼むよ」
副所長は室長を見て鼻で笑いつつ、研究室を後にした。
「天花君。もしかしたら、アイツに変なことを吹き込まれたのかもしれないが、アイツのいう事は気にすることは無いからな」
「結構仲が悪いように見えたのですが、何かあったのですか?」
僕の問いに暫く室長は考えたのち、
「アイツは私をココに閉じ込めた張本人だからな」
「え、あの副所長がですか?」
あんなに皆のことを思っている副所長が室長のことを監禁状態に追い込むだなんて、一体どういうことなんだろうか?
「よほど、私の功績が恨めしいのだろうな。件の論文を発表してから暫くして、このG棟が建てられ、私はここに閉じ込められた。まぁ、生活の補助はローズンがしてくれるし、帰る家もそもそも無かったから良かったけどな。さて、昼時だ。ローズンの作った料理でも食べるかね?」
ローズンが作った昼ごはんを堪能している最中、僕の研究所内のみで使える内線携帯がピリリと音を響かせた。
TNS入りした僕に何か用事がある人がいるのだろうかと携帯を取り出すと、画面に表示されていたのは、僕が今一番殴りこみにいきたい相手である天満リーダーだった。
もしかして、自慢話でもされるのだろうかと恐る恐る出てみることにした。
「……もしもし、天満リーダー。僕は貴方に……」
「あっ、てん……ザッザザ……た……」
どうやら電波の状況が悪いらしく、向こうの音声が聞き取れない。
「すいません、聞き取れないので、もう一度お願いし……」
「た、たすけっ……ブツッ」
その一言で通話は途切れた。僕は携帯を持ったまま首を傾げる。
「……どうかしたか?」
「いや、リーダーから変な電話が掛かってきて、何か助けてって」
その瞬間、ローズンの目が赤く点滅し始めたのだ。
「えっ、な、何?」
「天花君、よろこべ、好きなだけそのリーダーを殴れる時が来たみたいだぞ」
室長はニヤリと笑いながら、席を立つ、先ほどまで居た実験室へと向かった。
「先ほど連絡が入った。B棟で巨大な物体が暴れまわっているらしい」
「巨大な物体ですか?」
「そう。君宛にかかった電話が助けを呼ぶものであるのなら、天花君の元いた研究室で何かが起こってしまったということになる。そして私たちはこれから、それを無かったことにするという任務を遂行することになる」
室長は慣れた手つきで薬品を調合していく。
「……有事ってことですね?」
「そういうことになる。TNSのもう一つの顔である、トラブルを・無かったことに・するという役割になるな。私にとっては久々の外だ、存分に暴れさせてもらうぞ」
ケケケと奇妙な声を出しながら室長は楽しそうに調合を続けている。
そういえば室長は三年間、ずっとこのG棟に閉じこもっていたんだよなぁ……。
「三年もこの研究室に居て飽きなかったんですか?」
その言葉に調合する手が止まる。
「……飽きるという感情なんて、一ヶ月もすれば消えてなくなる。その時が私にとっての“死”だったのかもしれないけどな」
そう言ってまた調合を始める室長。
「ところで、君はその研究室でどんな実験をしていたのかい?」
「ん、B棟でですか? 植物の成長を効率的に促す栄養剤の開発を研究していて、僕はそこで調合に必要な構成式を作っていましたけど」
「これはあくまで私の推測に過ぎないが、その天満リーダーという奴は、君の成果を自分のものにしたいという願望から君をTNSへと左遷させ、研究を引き継ぐという名目で自分のものにした」
「どうして、リーダーがそんなことをしないといけなかったのでしょうか?」
「それは自分が作ったことにして特許とかを取りたかったのだろう。しかしだ、君の考えた構成式には何かの欠陥があったか、もしくは、そのリーダーが調子に乗って構成式を少々書き換えたことにより、植物が異常な育ち方をしてしまった。そしてソレは人間達だけじゃ歯が立たなくなった」
そしてTNSに助けを呼んだのだろう、と室長は話す。
「うー、出来る限りなら後者の可能性でお願いします」
僕自身が間違えたことにより、こんな事態に陥ってしまったというのはどうにか避けたい真情だった。
「まぁどっちにしろ、ソレを外部に漏れないうちに隠匿するのが私たちの仕事だ」
室長は調合が終わり、毒々しいピンク色の液体が詰められた注射器をケースに仕舞いこんでいく。
「その見るからに危なそうな液体はなんですか?」
「これか? 幾ら巨大物体といっても、正体はたかが植物だ。これはそんな植物の細胞壁を溶かす魔法の液体だよ」
ケースをそう言って愛おしそうに頬ずりする室長。
「……室長って、化学専門でしたよね?」
「理科というものは、何処かで全て通じているものだからな。最も、私は三年間の間、G棟に所蔵されている専門書を読み漁っていた為か、どの分野でも分かるのだがね」
ぜ、全部の分野もいけるだなんて、真の天才ってきっと室長のことをいうのだろうなぁと心の中で考える。
そんな室長はどうして、閉じ込められなければならなかったのだろうか。あの副所長のことだ、きっと何かお考えがあるんだろう。
「何をボーっとしているんだ? B棟まで行くぞ?」
白衣をひらめかせて、僕達は実験室をあとにした。
『緊急事態につき、G棟職員の入室を許可する』
……ピッ。 ガチャ。
カードキーをかざすと、アナウンスと共に扉が開かれる。
「開いた」
「いくぞ」
室長の先導で僕は歩みを進める。
たった一日しか経っていないというのに、なんだか久々に来たような感覚になる。それにしても、棟の中はシンと静まり返っており、誰もすれ違うことは無い。
しかも、
「……蔦?」
棟の壁一面にびっしりと蔦が生い茂っているのである。少なくとも僕が最後にここを通ったときには生えていなかった。
「暴れまわっている生物の仕業だろうなぁ」
心配でキョロキョロしている僕と違い、室長はルンルン気分で進んでいく。よほど、外に出られたことが嬉しいらしい。
「君の研究していた部屋は何処だ?」
「B棟二階、二六四研究室です」
「では、階段で移動しよう。エレベーターはどうやら使えないらしい」
僕がエレベーターの方をちらりと見ると、完全に蔦に掌握されているような感じだった。
仕方なく、ひいこらと階段を上がり、二階へとやってくると、更に蔦の量が増えているような気がした。
「近いってことですかね?」
「そうなるな。そろそろ二六四研究室だ」
僕達は目的地にたどり着くと、蔦の中心はやはりこの部屋かららしい。二六四研究室から放射状に蔦が生えているのが分かる。
僕はゴクリと唾を飲み込み、扉の前に立つ。
「開けるぞ」
室長が思いっきり研究室の扉を蹴り上げると、そこには、
全長二メートルくらいある巨大なガーベラが咲いていた。
「で、でかっ」
余りの大きさに僕は腰が抜けそうになる。ふと、ガーベラの中心に何か垂れ下がっているのに気が付いた。
良くみると、それは人間の足だった。
「が、ガーベラに人間が食べられてるっ!」
僕は急いで巨大なガーベラの前まで駆け寄り、垂れ下がっている足を掴んで引っ張ってみる。すると、ズルズルと埋まっていた上半身部分が姿を見せ始めた。
やがて、全て引っこ抜け、ベシャという音と共に床に落ちた。
「……!」
ガーベラに食べられていたのは、僕が殴りたい上司ナンバーワンの天満リーダー、その人であった。リーダーは巨大な花のヨダレか蜜かよく分からない液体で埋もれていた部分がびしゃびしゃになっていた。
「て、天満さん、しっかりしてください」
僕は少々乱暴に天満リーダーを揺さぶる。しかし、彼は起きるような様子は無い。
「息はあるようだし大丈夫だろう。問題は、コイツが大人しく注射させてくれるかだな」
室長はそう言って巨大植物を指差した。僕がリーダーを引っこ抜いたときは動くような様子は無かったように見えたけど……。
室長はケースから薬品が入った注射器を取り出す。すると、次の瞬間。
「ウォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
研究室が揺れるほどの声が響き渡り、僕は思わず耳を手で塞ぐ。地響きと共に、床までうねり出したかと思うと、それは、びっしりと生えた蔦だった。
そんな蔦の一本が注射器を持った室長に襲い掛かろうとしていた。
「室長!」
僕は咄嗟にそう呼ぶと、室長はひょいと植物の攻撃を避けた。
「こんな幼稚な攻撃で私のことを倒せるとでも思っているのか?」
ニヤリと笑う室長。
なんだか、室長の方が悪の親玉って感じがするんですけど!
「三年間も引きこもっていたヒッキーの実力をとくと見せてやろう」
そう言って室長は巨大植物に向かって走り出す。途中飛び交う蔦の攻撃をまるで踊っているかのように避ける室長。
……この人は運動神経までチートなんだろうかと、僕はペチペチと蔦の攻撃をくらいながら考えていた。
「残念だったな!」
そう言って、注射器を植物の茎の末端に投げつける。それは見事に命中し、植物の動きは止まった。
そして、巨大植物の茎部分がいきなり膨張を始めたのだ。
「な。何が起こるんですか?」
「細胞壁を破壊してやったからな。溶けたセルが膨張を始めて、やがて……爆発するだろうな」
「ば、爆発!?」
なに呑気に言っているんですか、この人は、爆発なんてしたら僕らの命が幾らあっても足りないじゃないですか!
「まぁ、良くて爆発で生じた液体でずぶ濡れ、最悪、肋骨を骨折だろうな」
そう呑気に笑う室長。だーかーら、なんでそんなに呑気で居られるんですか、この人は。
「一先ず逃げましょう。……あ」
僕は足を前に出すと、倒れている天満リーダーの腕に当たった。
「……」
僕は暫く倒れているリーダーを見つめ、やがて、背中で担ぐ。
「ソイツまで連れて行くのか? あんなに恨んでいたのだろ。置いていけばいいじゃないか」
室長の言葉に僕は首をふった。
「たしかに殴りたい相手ですけど、ここに放置するのは何か違う気がして」
「ふぅん。なるほどな」
室長はそう納得する。何処か納得するような要素なんてあったっけ?
「では、脱出しようか」
「はい!」
僕はズルズルとリーダーを若干引き摺りながら、研究室から脱出した。
さて、件の事件から三日経った。
事の顛末を話すと、天満リーダーは僕の研究成果を自分のものにしてやろうと企て、僕を研究者の墓場と有名だったTNSへと異動させた。そして、邪魔な僕が消えたことによりリーダーは研究成果を自分の名義で特許を取ろうと資料作成のために実験をしていたが、何を考えたのかリーダーは僕の考えた構成式を書き換えてしまい、それを信じた他の研究メンバーが調合。そして、ガーベラに投与した結果がアレだった。
他のメンバーは即座に逃げたので無事だったが、一番近くにいたリーダーはガーベラの餌食になってしまったというわけだ。無事で何よりだったけど。
僕達TNSの活躍により、即座に植物は処分されて外部に事件は漏れることは無かったけど、リーダーは事件の責任を取らされ、次の日には研究所を追い出されるハメになった。
B棟は蔦が生い茂って壊滅的な状況で、修復にはあと半月かかるとのこと。他の研究員は今G棟の空いた実験室で研究を再開している。
「そういえば、B棟には戻らないのか? 事件も解決したのだから戻れるように言うことも可能だが?」
室長はズズッと珈琲をすする。
「いいえ、僕は戻りませんよ。このG棟で研究を進めるつもりです。B棟に無かった機器もありますし、いろんなことにチャレンジしてみたいと思って」
「研究しても、発表する場なんて無いぞ」
「無かったら作ればいいんですよ。匿名でサイエンス誌へ殴りこむとか、方法はいろいろありますよ」
僕の言葉に、机をバンっと叩く室長。ま、まさか逆鱗に触れた?
「そうか……、匿名で出せばいいのか。どうして今までそんな簡単なことを考えなかったんだ私は、凄いぞ天花君! 君のお陰で目が覚めた」
そう言って僕に駆け寄り両手で僕の手を握り締める室長。その目はキラキラと輝いていた。
「そうとなったらこれから実験を開始する。手伝え、天花君!」
「はいっ!」
キラキラと輝いた目のまま、室長は開いている実験室へ向けて走り出した。僕も彼を追いかけるために部屋を出た。
【特に何もしない】じゃ僕らは終われない 黒幕横丁 @kuromaku125
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