鼻歌のカノン

碧月 葉

鼻歌のカノン

「ちょっと〜泣くのはまだ早いわよ」


 教室を覗いた千葉先生が笑った。


『祝卒業』の文字が躍る黒板。

 3年間ともに歩いた子どもたちへ、メッセージを書いているうちに感極まってハンカチで目を押さえていた所を見つかってしまった。


「色々思い出したら、寂しくて嬉しくって」


「ふふ、だいぶ手が焼ける子どもたちだったものね。…… でも本当に立派になった」


 千葉先生は近くにあった机を愛おしげに撫でた。


「やつれ切った小学校の先生から、彼らを引き継いだ時はどうなることかと思ったけれど、素直でいい子たちだったよね」


 私たちは、しみじみと出会った頃に思いを馳せた。


 学級崩壊を起こしていたという小学生時代。

 中学にあがってきたあの子たちは、それぞれ好きな方を向いていて確かに不協和音みたいな状態だった。

 ふたクラスしかない小さな中学校で、元気過ぎる一年生を受けもったのは私と千葉先生のオバちゃん先生2人組。

 幸いなことに、このオバちゃん2人も元気すぎた。そして子どもが好きだった。

 

 小学生の時に散々「ダメな学年」「出来ない子」のレッテルを貼られた子どもたちは目に見えて自信を無くしていた。

 騒がしくして笑いをとりにいってしまうのはそんな気持ちの裏返し。


 とことん向き合おう。

 愛情もって接しよう。

 信じよう。


 そう決めた私たちは、持ち前の明るさを武器に子どもたちと一緒に歩いてきた。


 私は音楽の教員なので、彼らとの最初の授業は「校歌を覚えよう」だった。

 最初はバラバラな歌声。

 一人ひとりは力を持っているのに、なかなかそれをまとめられないでいる。

 まるであの子たちそのものだった。


「いい声だね」

「上手いうまい!」


 お世辞は言わない。でも良い所は見逃さないし聞き逃さない。

 すると子どもたちは、徐々に持っている力を発揮してくれた。

 そして最後には先生方も先輩達もびっくりする程上手に校歌を歌ったのだ。

 

 小さな変化は少しずつ他の変化を生み出し、学年の雰囲気は次第に変わっていった。

 もちろん苦しい時もあったけれど、今は成長したあの子たちが愛おしい。


 

「さあて、泣いても笑っても今日が最後の日よ。笑顔で送り出しましょう。松本先生、今日の校歌楽しみにしているわ」


 千葉先生は、瞳を潤ませて微笑んだ。


「ありがとう。ラストステージ、彼らの門出に華を添えられるようにベストを尽くすわね」



♪♪♪



 卒業式。

 万感の思いを込めてひとり一人の名を呼ぶ。


 引っ込み思案からしっかりものの委員長に成長したあの子も。

 とにかく部活に打ち込んだあの子も。

 クラスのムードメーカーとして盛り上げてくれたあの子も。

 卒業証書を手に、ここから巣立っていく。


「校歌斉唱」


 教頭先生の声が次第を読み上げる。

 私はグランドピアノの鍵盤に指を置いた。


 3年間慣れ親しんだ旋律が体育館に響き渡る。

 指が紡ぐ音、それに重なるハーモニー。

 出会って最初に練習したこの曲は、あの子たちと共に奏でるラストソングになった。


 校歌がマーチに聞こえるように、明るく、元気よく、前へ進めるように。

 愛しいみんな、さぁ羽ばたいていけ!

 

 

♪♪♪

 

 

 最後のホームルームが始まった。

 

 子どもたちに祝福と感謝とエールを送る。

 慣れ親しんだ子どもたちの顔、仕草。

 この当たり前だった風景が今日限りだと思うとやっぱり泣けてきてしまう。

 

「まっちゃん、どんだけ泣くの⁉︎ ハンカチ3枚目だろ」


 生徒に揶揄われながら、何とかホームルームを終えると。

 委員長が何やら合図を出しクラス全員がザッと立ちあがった。


 私が戸惑っていると、メロディが流れ出した。

 子どもたちのハミングだ。

 曲はパッヘルベルのカノン。

 美しいハーモニーが教室中に広がる。


 もう、上手いじゃない。

 いつの間に練習したのかしら。

 涙が止まらない私を見て、子どもたちはサプライズ成功とばかりに悪戯な笑みを送ってくる。


 合唱部の部長だった絢音あやねが笑顔で私のフィナーレを飾る花束を抱えてきた。


「先生も卒業おめでとう」

 

「ありがとう」


 この子達は、私の涙を止まらせる気は無いらしい。

 定年を迎える私はこれが最後の卒業式。

 本当に幸せな教員生活だった。


 これからはみんなそれぞれの道へ行く。

 鼻歌のカノンに包まれてこれまでの日々が今日終わりを迎える。

 そして、次が始まっていく。


 おめでとう私たち。

 ありがとうみんな。

 

 

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鼻歌のカノン 碧月 葉 @momobeko

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