その9
常に自己が生活の主人公である事―ブッダが切り開いた道をこのように捉えることもできるだろう。何ものにも縛られない自己を保持すること、常に自己が生活の主体として目覚めていること、これである。
人間を追うもの、駆り立てるもの、縛るもの、は何だろうか。ブッダはそれを渇愛と呼ぶ。盲目的な生存への貪りである。いわゆる三毒―瞋、貪、癡として現れるものである。これが苦を惹起する。渇愛は五蘊・十八界(六根・六境・六識)を対象として生じる。ブッダは五蘊・十八界の無常・無我・苦なることを説く。それによって渇愛から人を脱せしめんとする。渇愛はこだわりと言ってもいいだろう。とにかく何かを問題とし、それへの焦慮に心を奪われることである。人はそこで自由を失い、主体を失う。ブッダはこだわるべきものは何もないと説く。全ては無常であり、無我であり、苦なのだ。生きるか死ぬかという必死の形相を渇愛に追われた心はすぐするのだが、ブッダはちょっと待て、深呼吸をしてみよと言う。心を鎮めて、こだわっている対象をよく見てみよと促す。そこに無常と無我と苦を見よと言うのだ。それが知恵であり、目覚めていることである。ブッダはどんなものにも引き回されない、しっかりした主体を作ることを呼びかける。
「これが」「これさえ」という心が曲者である。そんなものがなくてもどうということはないのだ。そのどうということはないという道をブッダは見出し、その道を説き、生きたのだ。
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