その8 

 我々はこの人生に対して常に主体である。その意味ではブッダにさえ依存すべきではない。ブッダの教説の断片を呪文のように唱えて、現実に目を閉じるようであってはならない。自己と環境を自分の目でしっかりと見て、よく考えなければならない。

 それはまたブッダの教えでもある。例えば、「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(『大パリニッバーナ経』)、「自己こそ自己の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己を善く整えたならば、得難い主を得る」(『ダンマパダ』一六○)などの言葉が伝えられている。また、『スッタニパータ』の一○六四詩は、「ドータカよ。私は世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう」という言葉がある。これは本人が真理を認識しない限り、ブッダといえども彼を解脱させることはできないと述べているのである。つまりその人を救うのはその人自身なのだ。

 ブッダはただ方向を指し示すに過ぎない。解脱というゴールまでの道程を歩くのはあくまでもその人自身だ。その歩き方も主体のない歩きぶりでは堂々巡りをするだけで、いつまでも目的地には着けないということだ。

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