その2

 市川正一という人がいる。日本共産党中央委員であり、昭和四年四月に天皇制警察に検挙され、昭和二十年三月、日本帝国主義の敗北を目前にして、非転向のまま宮城刑務所で獄死した。彼は獄中での非人間的待遇のために栄養失調となり、歯を失ってほとんど食事もできない状態だったが、なお燃えるような闘志をもって侵略戦争に反対し、断固としてたたかい続けた。

 彼はそのような状況にありながら、父母が山口県から面会に上京するようになったさいには、「旅程と費用概算」など当時の旅をできるだけ楽しくするための心遣いを示した。又彼は父母に次のような手紙を書いている。

「僕はいたって元気ですから御安心下さい。決してカラ元気なのではありませぬ。心に少しも悲観することなく、常に自分の歩んだ道が正しかったと信じているのですから、元気なのは当たり前です。たびたびおたよりは致しませぬが、僕のことは一向ご心配にならぬことです」

 獄死した市川は、身長一六八センチでありながら、苛酷な獄中生活のため体重はわずか三一・六キロになっていた。死因は「老衰」とされ(と言って享年五十三歳)、遺体は解剖のままその後三年間、東北大学医学部のホルマリンの池に放置された。

 国領五一郎という人がいる。市川正一と同じ日本共産党中央委員であり、昭和三年十月検挙され、昭和十八年三月、堺刑務所で獄死した。四十歳だった。彼は厳しい制限のある獄中でもたゆみない読書、学習を続け、内外の情勢をよく分析し、家族への手紙の中でも「今はつらくともやがては必ず変わる」と確信を語り続けた。さらに支援者である一婦人に次の言葉をおくっている。「……働いて正しく生きてゆこうとしている人間にとっては、未来は光明に満ちているのです。今ここでは、何一つそれについては書けませぬが、少なくとも我々は人類の歴史始まって以来かってなかった真実に千載一遇の面白い、意義ある時代に生まれ合わしているのです」(以上の記述は新日本文庫『日本共産党の六十年』による。)

 虐待の中で、死を前にしながら、これらの共産主義者の平安な、明るい心境は印象深い。何がそれをもたらしたのか。

 根本的にはマルクス主義(科学的社会主義)がもたらした社会発展に関する知見(認識)だろう。

 知が人間を解放する。自己を含めた存在に関する透徹した認識だけが人間を自由にし、主体的にし、つまり解放する。

 マルクスとエンゲルスは人間の意識から独立した客観的実在を積極的に承認した。彼等は客観的実在を観察し、調査し、分析し、そこからだけ真理を導き出そうとした。この態度、方法が科学的社会主義の根幹である。客観的実在は人間の意識に反映し、それを規定する。

 ブッダにも現実の凝視がある。現実の人間、肉体を持ち、老病死を被り、悲愁苦憂悩の中にもがいている人間をありのままに見つめる。仏典には「如実に見る」という言葉がよく出てくるが、それはブッダのこの態度をよく表している。現実にある苦悩、それから解放される=解脱することが目的なのだ。そのためにブッダは人間存在を観察し、分析する。その結果が五蘊(うん)(色・受・想・行・識)である。色(肉体)、受(感覚作用)、想(表象作用)、行(意志)、識((識別、判断)が人間存在を構成しているとする。形而上的思弁は原始仏典には殆ど見られない。形而上的問題についてのブッダの無回答は有名である。

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