Ⅱ ブッダに関するエッセイ
その1
人間の意識は元来動物的生存を維持するための機能であり、それが発達したものである。しかしその発達の結果、人間に於いては意識に課せられた動物的生存の枠が意識自体にとって桎梏と感じられるようになった。つまり生存を保つためのあれこれの思慮、およびそれにもとづく行為の結果が、恐怖、嫌悪、後悔、恥辱、自責、など苦慮の意識を伴うようになったのだ。
この苦痛と意識されるようになった生存の枠組から意識を解放しようとしたのがブッダの教説である。
縁起はブッダの根本教説である。「
西欧は我を立てる。自我と他者、人間と自然は常に対立している。西欧的思惟はこの対立の枠内にあり、主客は明確に分離されている。この苛酷な二元対立を救済するものとしてキリスト教の愛があるのであろう。西欧の強固な自我を否定できるものは絶対者、即ち神の愛でなければならないのである。
縁起の理法はそのうちに他者を含んでいる。他者、他物を自己の存在の前提としている。他者への配慮、他物との調和をその論理的帰結として要請している。自他は一如であり、主客の対立は表象であり、相互依存、相互交流の連関をこそ実相と見ている。この認識を情的な言辞で表したものが慈悲であろう。慈悲=他者、他物への配慮は縁起という存在論の中に包含されているのでわる。慈悲を愛と考えるならばブッダの教説の中に愛は含まれている。
付言すればマルクス、エンゲルスの弁証法は存在物を連関と発展においてとらえる。あらゆる存在物は相互に連関しており、その中で生成、発展していると説く。これは西欧的思惟のなかで生まれた思想であるが縁起の理法との親近性が認められる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます