その8 同  上  7

  八 パスーラ


八二四 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別の真理に固執している。


八二五 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を〈愚者である〉と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争をかわす。―みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んで。


八二六 集会の中で論争に参加したものは、称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、(論敵の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。


八二七 諸々の審判者がかれの所論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北したものは嘆き悲しみ、「かれは私を打ち負かした」といって悲泣する。


八二八 これらの論争が諸々の修行者の間に起こると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。


八二九 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。


八三○ 心の高ぶりというものは、かれのそこなわれる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。


八三一 たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求め、喚声を挙げて進んでゆくようなものである。勇士よ、かの(汝にふさわしい、真理に達した人の)いるところにいたれ。相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのである。


八三二 (特殊な)偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、―「論争が起こっても、汝と対論する者はここにいない」と。


八三三 またかれらは対立を離脱して行い、一つの見解を〔他の〕諸々の偏見と抗争させない人々なのであるが、かれらに対して、あなたは何を得ようとするのか? パスーラよ。かれらの間で「最上のもの」として固執されたものは、ここには存在しないのである。


八三四 さてあなたは(「自分こそ勝利を得るであろう」と)思いをめぐらし、心中にもろもろの偏見を考えて、邪悪をはらい除いた人(ブッダ)と論争しようと、やって来られたが、あなたも実にそれだけならば、それを実現することは、とてもできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る