第五話 労働者災害補償保険審査官に提出する、陳述書の叩き台⑴

大学で長らく法律の講座を担当してきましたが、労働法は専門外で、素人同様と言ってよいことから、法的主張は妻が委任した法律事務所に委ね、父親である私はもっぱら妻和子や息子正五郎から聞いた事実や診療録の記載、それに新たに出現したスマートフォンから得た事実等を基に、息子が受けたパワーハラスメントの実態について陳述を展開して行きます。なお、たたき台であることから、ここでは原則として実名は控えます。


① まずパワハラの被害者であると訴えている、故南埜正五郎の父親としては真っ先に審査官に読んで戴きたいのは2021/2/21のメールで、良識派の医師から正五郎に宛てたもので、病院内部で医師Kの正五郎への言動が〈モンスター化〉という表現で認識・共有されていることがお分かりいただけます。2/16に正五郎が堪らなくなり、精神科を受診することになる流れが了解できますでしょう。以下、メールの内容を記載します。(資料1)


「お疲れ様です。金曜日19時ころから1時間ほど栗原理事長と面談しました。やはりK先生のモンスター化が問題となっているようで、近日中に厳重注意とされるみたいです。


それよりも栗原先生は先生(正五郎のこと)の体のことを非常に心配していましたよ。ずっと家の中に閉じこもることによるアルコール摂取の増量が心配のようです。


これからはK先生と先生(正五郎のこと)が合わないように環境設定されるみたいです。


もうしばらく落ち着いたら ope (手術のこと)をする際には 私と一緒に行えることになりましたよ。


来週水曜日に理事長先生とお会いするようですが、先生(正五郎のこと)の希望をはっきり言った方がいいですよ。


K先生は順心病院の外科Drやスタッフからもかなり批判されているようですから。

 

くれぐれもアルコールに流されないようにしてくださいね」


以上のメール内容と、正五郎が16日に精神科を受診した折の診療録から、相当激しい、〈指導〉に名を借りたパワハラがなされていたことが推察されます。

 以下、特に診療録を精査して、陳述書として、審査官にお伝えしたい事項を展開していきます。


① 私は精神科にかかったことがないので、カルテというか診療記録を読むのは今回が初めてで、まず驚いたのは、客観性の担保は余り高くないのではないかという点です。外科や内科ではカルテに診察内容や検査結果、それに手術等がもう少し細かく書き込まれていて、ある程度の客観性が担保されているように思うのですが、このような印象を抱くのは、初めて見る精神科の診療録だからでしょうか。それから被診療者正五郎の表現がかなり端折られていて、聴きながらパソ打(パソコン打)ちしているのでしょう、誤字脱字や変換間違いが多く、その間違いが正五郎本人の資質と誤解されてしまいかねないところが非常に気になってしまいました。正五郎その者は結構文章力は高くて、日本拳法の師範や友人医師、それに医療スタッフの方たちに宛てたメールをこの先、可能な限り資料として摘示しますが、診療録に述べられている表現とは相当の差があることが分かって戴けるでしょう。いずれにしてもクリニックの院長は我々夫婦に、「僕は訴えるべきだと思います」と正五郎の意を酌んだ我々の背中を押してくれましたが、こんな内容のものを公的審理の場に提出されていたのでは、まさに贔屓の引き倒しで、足を引っ張りかねない書面となっていたように思います。まずはこのことを指摘しておいて、正五郎の各個の陳述を精査していきます。もちろん、極力客観性を担保する形で論述を展開していくことは当然であります。


② 最初に受診した2021/02/16の診療録についてですが、誤字脱字、それに漢字の変換間違いが多数見受けられるのは①で述べたとおりで、また表現も稚拙ですが、患者のしゃべる内容を追いながらパソ打ちせねばならないからでしょうか。いずれにしても内容的な点でかなり問題と思うのは、P185の下10行目から始まる「医者ではなくて看護師にほされた。先生の患者は診ない、手術もしない。って。病床稼働率がゼロになって。朝きて、昼前に仕事ないから返される。とにかく看護師の目がものすごくきつくて、。昼から朝まで飲んでた。そのときは、。毎日。それで肝硬変になった。倒れて、これではダメだと思い、ストレスがなければ酒は自分の意志でたてる。1か月半、一切周りを見ない、効かないってして~」(以上原文のまま)。


誤解のないように御伝えしますが、ここに言う看護師さんは順心病院での看護師さんではなく、以前の病院勤務のときの看護師さんです。久しぶりにようやく会えた正五郎が鬱と知って、妻和子が正五郎をサポートするために一緒にマンションで暮らすようになってから、ぽつりぽつりと話した内容では、患者さんのためになると過分な仕事を取り込んだところ、看護師さんたちの猛反発を食ったらしく、「看護師さんたちは、あんたと違って、家庭を持っている人もいるんだから、無理できないでしょう」と母和子に言われ、苦笑いを浮かべていたとのことでした。1月7日に手術ミスを犯し、人前での激しい叱責や罵りを受け、飲まずにいられず、とうとう1月13日に駅構内で倒れ、吉田アーデント病院へ救急搬送されたことの説明の延長のような、そんな以前の病院でのストレスを語った精神科医への陳述ではないかと思います。さて、前置きはこれくらいにして、本題に戻りますと、この文にあるように、正五郎はよく自分が肝硬変であるとか、アル中だとかの表現を使うのですが、これは専門医の診察や検査結果ではなく、自虐的に使うことが結構多く額面通り受け取ってはいけないと思っています。黄疸や腹水解消マニュアルを確立し、それに自信を持っていたことも自虐的表現を多用する理由だと考えているのですが、ただ、8月に職場復帰して、執拗で陰湿なパワハラ(正五郎の患者さんのカルテの覗き見や勝手な書き込み、それに正五郎の席の後ろに立っての嫌がらせ等)を受ける前と、その後では肝臓の状態はかなり違うのではないかと考えています。8月前では、診療録にもあるように、パワハラのストレスから飲酒量が増えて相当肝臓を傷めているように思いますが、8月に酷いパワハラを受けて自暴自棄になり、二度自殺まで決意した状況での肝臓の状態とは相当深刻度が違うように思われてならないのです。これまでは運動や肝臓マッサージをするなりして、黄疸や腹水の解消をしてきたと母和子に語っていましたが、自暴自棄になって母親の来訪さえ拒み続けたことから、10月17日に私たちがマンションを訪れ無理に和泉の自宅へ連れ帰ったのですが、今回、容易に腹水と黄疸が治まらないのは、本人も母親の和子も心配していました。ただ、親の助けがあれば何とか乗り越えられると楽観視していたようで、本人はひたすら運動し食事も心掛けて黄疸と腹水の解消に努めていましたが、結果的には、執拗なパワハラによるフラッシュバックストレスと過度の集中的な飲酒が、これまでのレベルを超えた状況を作り出し、もはや正五郎の黄疸・腹水解消マニュアルでは不可能な事態が体を蝕んでいたと、今となっては考えています。なお、パワハラの苦しみから息苦しくなって救急搬送された時も(亡くなる1ヵ月11日前の10月9日、神鋼記念病院にフラッシュバックによるストレスに襲われ、息苦しくなって救急搬送)、思ったほどの深刻な診断結果が出ていないと、本人は医師である親友にメールで語っていることから(資料2)、吉田アーデント病院と神鋼記念病院の診断書を参照していただきたく、資料として提出します(資料3と4)。


③ 診療録に「~大出血して殺しかけた。~」という記載がありますが、正五郎が患者さんに用いる表現としては、そのような言い方はしないと思われるので、少々違和感があることを指摘して、2021/02/16の診療録について続けます。P186の上から17行目の「今年1月に鎖骨の手術で、あきらかに僕のミスで、術z年経過からも、大出血して殺しかけた。そこから先輩の風当たりが強くなって。その日から飲んだわけではないけど、ともかく。関連病院行ったり来たりしてる先生だけど、同じ電カルテでmみれるけど、その先生の訂正が青地でびっしりかかれてる。その先生と一緒に手術やる日は1,2時間説教sされて。完璧を求められる、。苦しくて。ずっと見られてるし。また怒られるって。なって。下痢と、酒もあって、今度の酒は今までの酒と、翌日足腰断たないくらいに酒wお飲むようになって~」(以上開示文書の診療録P186原文)。


 この2月16日の正五郎の精神科医への陳述では、本人はまだパワハラを受けていることを自覚しておらず、自分が悪いと思い詰めて、ひたすら医師Kのパワハラに黙ってじっとを耐えて酒に逃げているのが分かりますが、資料1の記載から明らかなように、良識派である医師のメールでは、病院内部では正五郎をひたすら追い詰める医師Kのパワハラが、モンスター化しているとの認識が共有されているのです。


後にも述べますが、自己が出来ない特殊技能を持っている後輩への嫉妬から、正五郎を人前でひたすら追い詰めて自己顕示欲を満たそうとする、このKという男の人間性が如実に現れている行動パターンで、息子正五郎の屈辱を思うと父親として何とも堪らなくなります。神戸大学日本拳法部師範へのメールで述べているように、クラブや後輩たちへの迷惑を考え、Kの理不尽な人前での攻撃に黙ってじっと耐えてきたのでした。


正五郎は親族が京都にある旧帝大医学部を現役トップでの入学を果たしたことから、京都と東京の旧帝大を受け続けましたが、合格を果たせませんでした。三浪目は余ほど疲れていたのか、私が母校の医学部受験を勧めると、「うん、そうする」と、あっさりと神戸大の医学部受験を決めてしまいました。ともかく学業的には、浪人生活が長くコンプレックスの塊のような一面もありまして、手術ミスの結果、患者さんに申し訳ないという気持ちと助けてくれた外科のスタッフの方たちに済まないという思い。このように精神的に落ち込み弱っているところへツボを押さえた攻撃を受けると、今回のように容易に鬱に陥ってしまったのでしょうか。


 ただ正五郎は本人が思っているほど無能ではないことは、手術の失敗の僅か五か月前に順心病院へ採用された折も、基本給が130万円で、明らかなパワハラを受けているとの病院内部の認識・共有があれば、資料1のメールが示すごとく理事長がパワハラ医であるKに厳重注意をしてくれ、Kの正五郎への接近禁止措置を取ってくれるのです。手術を失敗した患者さんに、理事長が一緒に謝りに行ってくれ、後にも述べますが、Kのパワハラが如何ともし難いと判断されれば、順心リハビリテーション病院への配置転換をしてくれているのです。その際、勤務時間が半分になっても給料はそのまま保証されるという厚遇でした(資料5)。


 なぜ、このような優遇措置が取られたのか。それは正五郎の特殊な技術を高く評価してのものではないかと、私は理解しています。硬膜外ブロック注射が上から下までできるという正五郎の特技で、しかも患者さんに打つ前に自分の体でまず試してみるという謙虚さではなかったのでしょうか(資料6)。また、設立が予定されている、整形外科をメインとする医療センターというか病院では、お前のセクションが一番忙しいなるんやからと、一緒に組む先輩医師である良識派のドクターから告げられたりしているのです。しかし、これは先輩医師Kには面白くなく、正五郎が新たなプロジェクトに参加することが耳に入ったり、数ヶ月前に採用された新米にもかかわらず余りにも優遇されているとの認識を持つと、もはや我慢できなくなってきていたのではないでしょうか。それが、手術ミスをきっかけに、どっとパワハラが押し掛けてきた理由ではないかと私は理解しています。つまり攻撃の糸口をこれまで探っていたところ、手術ミスという絶好の材料が目の前に現れたのです。外科のスタッフの方たちが懸命に手当てをしてくれているのに、それを見ながらニヤニヤ笑っていたというのは、Kの心裡を如実に表しているように思います。この点は、後の資料でも検討して行くことになり、Kの言動がほぼすべてにわたり二語に収束されると考えています。正五郎の〈辞職への追い込み〉、ないし〈嫉妬〉がキィワードとして機能する場面です。が、いずれにしても取り敢えずは、真実性に大きな疑問の残る診療録の問題ヵ所を順を追って検討して行くことにします。


④ 診療録188ページ。2021/03/02の上から26行目以下の記載について。


読んでみて愕然としています。読んだ当初は逐一反論を試みましたが、冷静に正五郎の立場に立って考えてみると、ある意味、無理からぬ点もあるかと、謙虚に受け止めて考察を進めようと、方向転換を図ることにしました。私が冷静さを失い正五郎と対決姿勢を取ることは、パワハラを指導と言い張るKや事務長を利する結果になってしまい、また労災であるとの構成をしてくれている法律事務所の努力に水を差しかねないからです。


さて、「子供の頃、いい家庭に育ったとはいいがたい」との26行目の記載ですが、このような正五郎の発言が出るのは、私の生活のリズムとの関連で、子供心にそのような印象を植え付けたのではないかと反省しています。後にも述べますが、正五郎が大学へ入学するまでは結構過酷な日々を送っていまして、出来るだけ普通の親と同じように接するようにしていたのですが、午後から始まる塾や予備校それに大学の講座との関連もあって、深夜に及ぶ講義案作成が通常で、平日はたいてい正午近くまで睡眠をとっていたことから、一般家庭での父親としての役割がかなり欠けていたのは事実であります。正五郎が大学へ入学するまで、夕食を共にした折には、「普通の家庭に生まれたかった」と、よく言われたことが記憶に残っていますが、正五郎の思い描くいい家庭とは、もっと父親と接することのできる家庭であったのでしょう。


「父が司法試験の勉強と称してほとんど働いてなくて~」との、記載ですが、これは正五郎の勘違いで、塾や予備校で講師生活をしていました。理学部の物理学科を出ているので、数学と物理、それに英語を教える講師生活でした。正五郎が生まれる少し前から、講師生活をつづけながら、高校の同級生で京都大学へ入って目いっぱいの学生生活を謳歌して来た石橋久典君と、堺の鳳と富田林で数英塾を開きました。こちらの方も結構な収入がありましたが、夕方から働きに出る父親の生活を正五郎がそのように見ていたとは、この診療録を見て初めて知ったとともに非常に驚いています。


 正五郎が小学校6年のときに、私の生活環境が激変しましたが、これは予備校講師と塾経営をしながら書き上げた〈古都にくちづけ〉という小説の出版が機縁でした(ペンネームは酒井光久)。脳死をテーマにしながら、若手の女性刑法学者が大学病院の医療ミスに迫る内容のもので、京都大学の図書館勤務の方たちから点訳の申し出があったことも影響したのか、この本により、資格講座を全国展開する早稲田セミナーから公務員講座の講義依頼を受けるとともに、顧問への就任を依頼されました。時給制でしたが、顧問料とは別に一時間8000円という1990年代では破格の依頼内容でした(予備校の講師料が1時間2500円でした)。


「父親が司法試験の勉強と称してほとんど働いていなくて~」という正五郎の診療録の記載は全く事実に反するものですが、そのようなことを医師に伝えたのは、私の生活リズムが偏ったもので正五郎との接触機会が少なかったからなのか、それとも鬱ゆえなのか、理解に苦しんでいます。というのは、1993年から始まった大学での公務員講座は、追手門学院大学の講座を皮切りに、関西学院大学や立命館大学、それに同志社大学の講座等、関西の著名な大学の講座を手あたり次第取っていた時期であり、大学の講座と夕方からの各サテライト校での講座を合わせると、一日、六時間の講座がざらでした(一時間半が一単位で、三時間で一講座を構成していたので)。税金面は妻に任せていたが、還付金が毎年かなりあったのを覚えています。予備校での経験を公務員試験講座に応用したことが合格率の増加につながり、多くの大学の講座を取れるようになったのだと分析して、公務員講座の運用にあたりました。このように、正五郎が言ったのであれば誤解に基づくもので、診療録の記載は正確性を欠くものです。


正五郎が余りにもこだわっているので、誤解を解く意味で、司法試験に関して少し紙面を割きます。私は神戸大学の理学部物理学科へ入ったものの、物理は不向きと考えて、卒業に必要な単位のみ取得し、あとは法学部の大学院へ入って、法哲学の研究に従事しようと考えました。その際に受験科目として選んだ行政法が、早稲田セミナーで講師として採用される大きな理由でした。ただ、大阪大学の大学院受験の折に、憲法の口述試験で、司法試験委員をされていた覚道教授から、哲学で生活するのはなかなかむつかしいので、学究生活を送りたいのであれば、君の場合、司法試験に受かって講師採用を果たすのも早道かも知れない、との示唆を受け、これが司法試験を受験するきっかけでした。ところが短答式という最初の試験は、かなり過酷な講師生活を続けながらも簡単に受かるのですが、当時は五百人程度しか論文式試験の合格枠がなく、11回論文試験不合格という憂き目を見てしまいました。


11回も論文試験を受けたのは、多分に早稲田セミナーの校長の意向が絡んだもので、公務員講座で成功した手法を司法試験講座に広げたかったからでした。ただこれで勘弁してくれと受験した最後の試験も、法務省の成績通知はB評価でした(法務省の成績証明書が残っています。現在の合格枠ではBでも確実に合格らしいのですが)。短答式試験前日、夜の七時半まで大学(大阪経済法科大学)での特別講義を終えて翌日受けた司法試験でしたが、これで私の司法試験受験は終わりました。ただ、このような事情は正五郎には知らせていなかったし、背中を見て育ってくれればよいというのも、私の考えでした。だから、マイナーな論点ですが、私が原告として提訴した行政訴訟で、〈組合施行の区画整理では、増換地は許されない〉との、我が国初の最高裁判決が確定したことも正五郎には伝えていないし、診療録の記載を読む限りでは本人は知りもしなかったのでしょう。不正の宝庫と言われ続けてきた、組合施行の区画整理の場合の増換地。2008年の最高裁判決確定後は、もはや許されなくなったと、明石市の担当者から運用実態を知らされて、我々の主張が認められ解釈理論に基づく正しい運用がなされているのであると少し誇らしい気分に浸れたものでした。


最高裁の初の判決を原告として確定したことは、正五郎に誇ったことはないし、誇ろうとも思わなかったが、一体どこを見て、私を「父親はいわゆるボーダーで、社会になじめないにんげんだったけど~ともかくコンプレックスの塊で~自分を大きく見せようとする。やってることは母のひもみたいな~途中かrア働きだしたけど。~(原文通り)」との評価が出来るのか。接触機会が少なく、父親としての私の存在が希薄で理解不足ゆえか、それとも鬱という病気のなせる業なのかと、少々悩んでいます。正五郎の言う、母親のひもみたいな人間が、堺市にかなりの土地を所有し、恵まれない施設に10万円単位ではありますが、寄付をするでしょうか(たまたまタウン誌に掲載されたため、ツバサという身体障がい者施設への10万円の寄付が知られましたが、自分から公表したことはありません)。大学への寄付も5万円単位(理学部3万、大学2万円)ですが、これは広報に掲載されるので正五郎は知らないが、一部の人は知っています。


以上のように、診療録で息子正五郎が語っていることは、事実とかなりかけ離れており、これを真に受けられると、私も妻もとんでもない誤解を受けてしまいます。こんなものを何かの判断基準にされると、本当に、困ってしまいます。いずれにしてもこのような診療録が公的場に出ている以上、一つ一つ丁寧に、事実に反する点は、訂正していくつもりですが、父親としての役割が足らなかった反省と共に、鬱という病気への認識がまだまだ甘かったと思い知らされています。ただいずれにしても、正五郎の残したメールや数々の資料から、父親として確信できることは、息子にとって耐えがたいパワハラがあったということ。正五郎の人格を踏みにじる、執拗なパワハラがあったということです。この認識は、正五郎が私や妻和子に関して事実と異なる意見を診療録で述べていたことが分かったとしても、私や妻にとってパワハラ事実は客観的裏付けに基づくものであり、容易に動かしがたいものであります。


⑤ 診療録P188最下段からP189の二行目にかけての、「子供のときの母の記憶は起こっている姿しかない(原文表記のまま)」との記載についても、本当に正五郎の発言かと当初、疑ってしまいました。我々夫婦は精神分析学派に心酔しているのではなく、フロイトの考えそのものを盲信しているのでもありませんが、学習能力を後天的に発展させる達成動機については、フロイトの考えが結構理にかなっていると考え、修正を加えながら、それに従った育児をしてきたつもりです。つまり、物事を達成しようとする達成動機の発達には、8歳までの母親の育児態度に大きく影響されるという考えですが、8歳までは叱っても、その後は本人の自主性にゆだねた育児に心がけるというものです。


以上の観点から、8歳までは少し叱ったことはあるかも知れませんが、母親のおっとりした優しい性格からは、〈怒っている姿しかない〉というのは、何とも理解しがたく、正五郎に付き従って泥遊びや昆虫採集の供をして、帰って来ては風呂場で湯浴びさせたり、衣類の洗濯にいそしむ姿が私の脳裏に焼き付いています。実際、幼児期の正五郎の写真が家に溢れかえっていますが(次男が生まれてからはビデオカメラでの撮影が主)、上に挙げた内容のもので、笑顔の絶やさない子供でした。この正五郎がなぜ、このような発言をしたのか、鬱ゆえなのか、それとも8歳以前の叱られた記憶が鮮烈に残っているからなのか。理解に苦しんでいます。同様に、「母はだいぶ前にうつ病になった」との正五郎の発言が診療録に記載されていますが、そんな話は聞いたことがなく、妻和子はそもそも精神科にかかったことなど、一度もないのです。私は全くの虚言かと思ったのですが、妻和子に確認したところ、正五郎から随分以前、診療方針についてスタッフの方たちとの人間関係の悩みを相談された折に、「お母さんだって、奈良のおばあちゃんとのことで、鬱になりかけたわよ」と語ったことを思い出したようで、恐らくこのことを言っているのではないかとの返事が返ってきました。この事件は親族の大半が知っていることなのですが、和子の母親が同居する特定の相続人に有利な遺言を書かせようと、父親に嘘八百を並べ立てた事件で、聡明な母親がこんなひどいことをするのかと、妻和子が実際かなりの精神的ダメージを受けたのが私にも伝わってきました。現に私も抗議の手紙を義母に書いたことがあります。       


以上のように、診療録での私や妻和子に関する記述はかなり事実と異なっていますが、全く腑に落ちないことかと言われれば、私の至らなさや母和子に対する誤解ゆえであると思えば、確かに腑に落ちることであって、あまり神経をすり減らして検討する事項ではないと考えるようになった次第です。

 弟に関する記述も、当初、反論を試みましたが、正五郎と弟とのメールのやり取りを見てみると、結構仲が良くて、正五郎は兄として慕われている内容のものが多く残っています。勉強を見させているときも頭をたたいたと聞いたので、家庭教師を代えさせましたが、一度きりで、弟は意にも介していないようなので、私の過剰反応であったのかと、反省しています。


警察の世話になったことも二度ありましたが、一度目は、終電に間に合わず、ボロボロの放置自転車を拝借して、正五郎は自転車窃盗の嫌疑をかけられたのですが、完全に捨てられていた自転車と分かり、警察では事件性はないと判断されました。同様にラウンジからの70万円の過剰請求を受けた事件もありましたが、結局、正五郎の脇の甘い、お人よしの性格が出たもので、事件性のないものでした。


⑦ 診療録P189二行目から六行目迄の「いま母とは仲がいい。でも父とは一切しゃべらない。 ~父は宮仕えしたとはいえ、大丈夫かなっていうぐらい自分の見えない人で社交辞令をまに受けて痛いことばかりする。国司の勉強中に大音量で大人がした理。~(以上原文のまま)」


P188では、私は妻のひもみたいな、という表現から、宮仕えに格上げされたようですが、その他の表現は、医師の漢字の変換間違いもあって、意味の判読が困難ですが、明石で家族四人で暮らしていた頃のことを語っているのでしょう。弟の真住が兵庫県立大学(旧の姫路工業大学)へ入学したのを機に、正五郎のマンションで真住も一緒に暮らさせることにしたのですが、2006年になって、明石市に100坪の一軒家を借りて、一家四人一緒に暮らすことにしたときの事を正五郎は医師に語っている記述です。和泉市の家を置いたまま、一家四人明石市へ引っ越してきた理由は、私の所有する堺の土地に区画整理が入ったのですが、大学で行政法の講座を担当する者としては到底是認しえない内容の仮換地処分だったので(当初の約束と違い、私の土地が356坪から206坪に減っていた。おまけに地積が三倍に膨れ上がっている地権者もいた)、仮換地処分取消訴訟を起こしたところ、それこそ何とも言えない執拗な脅迫を受け、私のみならず子供たちにも危害が及ぶ場面が想定されたので、一家四人、明石で暮らす選択をしたのでした。利権が絡む場合の、反社会的勢力の脅迫はすさまじいもので、テープにとって〈堺を食い物悪人の脅し〉としてネットに上げていますが、脅迫者は南署の署長の名を挙げ、もみ消してもらった事件も自慢げに語るのです。大阪地検特捜部にかつて籍を置いていた亀井正貴弁護士に、脅迫罪での逮捕は可能かと相談したところ、私が恐れずに脅迫者に言い返していることから、脅迫罪にいう〈畏怖〉を認定することは難しいと判断され、これは大阪府警の監察官の判断も同じでした(私は南署の署長への加重収賄罪の捜査を頼んだつもりでしたが、結果は、署長の左遷で終わったとのことでした)。建設業退職金共済制度を悪用した12億5千万円の詐欺を犯し、アルバイトの社員に高額の生命保険をかけての生命保険金詐欺(私が調べた限りでも二人の社員が殺害、というか不審死を遂げて、会社が保険金を受け取っていました)まで犯している人物たちから家族を守るには、取り敢えず、神戸と姫路の中間の明石で一緒に暮らす。この選択を選んだのです。「国司の勉強中に大音量で大人がした理」という個所は、医師の国家試験の勉強中、正五郎の部屋の真下に居間があったのですが、そこで私が食後眠ってしまうことがたまにあり、いびきがうるさくて勉強できないと、二度ほど抗議に階下へ降りて来たことがありましたが、その時のことを言っているのでしょう。

 

いずれにしても、これまでの記述からお分かりいただけるように、診療録で医師に語っていることが正確に正五郎の表現内容を表していたと仮定しても、これまで客観的な事実を上げて訂正してきましたように、私や妻に関する記述はかなり過去のものであり、記憶があいまいになっていて、最近のパワハラに関する記述とは同等には扱えないということがお分かりいただけるのではないでしょうか。これは、これ以降の、診療録の記述にも当てはまりますので、以下では、簡潔に反論を述べて行きたいと思います。


⑧ P189の八行目から十八行目の「弟のことをぼろかすにいう。爬虫類とかかえるとか」の記述に関して。


これも随分以前の話で、和泉市の家での出来事です。次男の真住が幼稚園児の時かそれ以前のことだったと思いますが、我が家はかつて山頂にあった土地に家が建っているので、昼は庭に鶯やメジロ等の野鳥が訪れるのですが、夜になるとガラス窓に張り付く蛾や小さな昆虫を目当てにヤモリが出没します。その捕食行動を見ながらの、食事中の一コマから取り出したものでしょう。次男の真住の席が私の隣で、彼にガラスの食器棚からグラスを取ってもらおうとしたとき、ガラス扉にピッタリと手の形が残ったのを見て、「真住、あそこのヤモリさんみたいに、ガラスにピタッと貼り付けるかもしれんぞ」と言ったことを思い出しては、正五郎は何度も引用するのですが、その都度、表現が過激になって来て、弟のためにはよくないので、控えるように言い続けてきたのですが、明石の家でも飲酒を控えるよう注意した折に、「お父さんは、僕が留年したから、僕を嫌うようになって。な、真住。お前も爬虫類やって、言われたな」と、隣に座る弟を自分の味方に引き込もうと、十数年前の出来事を引き合いに出すのです。母親に「あほなこと言わんときなさい」とたしなめられ、目に涙を浮かべながら、正五郎は二階の自室へ上がって行った記憶があります。


「そんなことを言ってもあいつはきずつかない、。なぜならあほヤカラって」(診療録原文のまま)。


これもひどい表現で、本当に正五郎が言っているのであれば、鬱ゆえか、それとも私によほど反感を持っていての誤解に基づく発言であろうと思うが、母和子に言わせると、私への誤解に基づく反感から、穿った表現をしているのであろうとのことです。病院用地まで用意してくれているのに、一年留年したことを私が怒っているのではないかとの誤解。事件性はないと判断されたが、警察沙汰になったことの負い目等で、私に見放されたと思い込み、反発的意見を診療録で述べているのではないかというのが、妻和子の考えです。その証拠に、冷蔵庫をマンションへ運び込んで、親身に世話をするようになってからは、私への排斥的表現は一切なくなっていることがその理由であると言います。


 いずれにしても、診療録に正五郎の発言として書かれており、しかも公的機関にそんなものが提出されていることから、反論として私が書かざるを得ないのですが、このような診療録の記載形態は、医師と患者の信頼関係をすこぶる悪くするように思う。せめて、あらかじめの了解を得て、テープに録音することも患者さんに了解してもらい、そして文章に起こしたものについて、患者さんの了解を得て診療録として公的機関へ提出することを認めるべきではないかと考えています。このような、不意打ち的な聴取というか録取は、何度も言うように、患者さんと医師との信頼関係をすこぶる損ねると思うからです。いずれにしても、既に正五郎が語ったものとして、公的機関へ提出されているので、何度も述べますが、誤解を招くと思われる個所で重要な点は、出来るだけ客観的事実を支えにして、主張していきます。


⑨診療録P189の上から十三行目から十六行目迄の「父が兜土地ころがしで大損して、そのときに分かれろっていったけど、分かれる気力がないって。母親が。昔はよくケンカしてオカンがでていってた。家は母親名義だったけど」(原文のまま)の記載について。


漢字の変換間違いが多くて、意味が分かりにくいのですが、恐らく「父が株と土地ころがしで大損して」、それを機縁にして正五郎が妻和子に「分かれろ」と言ったということでしょう。これも本当に本人が言ったのであればひどい内容で、客観的事実に合致しているのは、和泉市の家の名義は妻和子名義であることくらいでしょう。私はこの診療録を見るまでは、ここまで私に正五郎が反発しているとは露ほども考えていなかったのですが、妻和子に言わせると、先ほども述べたように、一年留年したことと、警察の世話になったことから、正五郎は私に見放されたと勝手に思い込んで、反発するようになったのではないかということです。警察の世話になったと言っても、事件性もないことから、私は叱りもしなかったのですが、大学で法律を教えている私にとって不名誉になると勝手に思い込んでいたのでしょうか。


ところで、正五郎が述べている「株と土地ころがしで大損して」に関してですが、なぜこのような話が出て来たかと言いますと、私は両親の離婚により、一歳の時に南埜の家に養子に入ったのですが、実父は52歳で癌で亡くなっており、その折、私の相続放棄書が偽造され権利が消されていたのです。偽造から27年後、小学校の教師をしていた異母妹の中尾粋子と中学校の教師をしていた異母弟の中尾泰基、それに後妻に入った中尾アイ子との間で遺産の再分割協議書を作成し、私の取り分である2億円余りの資産を取り戻したのが、正五郎が高校生の時でした。妻和子の相続財産が入るのは、それより後のことで、いずれにしても正五郎がゆったりと浪人生活が送れたのも実父の相続財産を回復したことも小さくなかったのです。一部は株に投資して損はありましたが、向かないと思い、株はやめております。土地は転がすようなことはしておらず、かなりの部分は、私の名義で残してあります。このようなわけで、正五郎が診療録で述べている事項は、大半が誤解に基づいた事実と異なるものであります。


⑩ 以上から、正五郎が診療録で述べている私や妻和子に関する記述は、古い事項は記憶があいまいなゆえか、また最近のものであっても、幼児期に培われた私への反発に基づく誤解ゆえか、かなりの部分が事実に適合しないものであります。公的機関に診療録が提出されているので仕方なく反論として書きましたが、私の不徳も手伝い、正五郎にこのような気持ちを抱かせ、結局、救いの手を及ぼすことが遅れたことが残念でなりません。馬鹿が付くほど脇が甘く、また呆れるほどお人よしの正五郎を思うと、本当に残念でなりません。


パワハラの結果、どん底に追いつめられてようやく完全に酒を断つ決意をし、最後は誰が自分を助けてくれるかを悟ったようでしたが、経験したことのないパワハラに襲われ(資料として、2021/02/16の診療録の記載に言う表現が分かりやすいでしょう。1、2時間の説教、執拗な監視という個所です。またその他、これまでの資料から、カルテへの勝手な書き込みや非難中傷を含む掲示板への書き込み等です。これらは現場に立ち会ったスタッフから聞き取りをして貰えれば分かって戴けるでしょう)、結局、歯止めの効かない飲酒がこれまで確立してきた肝臓回復パターンを凌駕し、もはや肝臓が回復不能の状態に至っていたのでした。分かっていれば、我々はどんなことをしてでも助けたのでしたが、息子の肝臓の状態を理解できず、節約させようと、私たちは年金生活で余裕がないからと言い聞かせたことを妻も私も後悔しています。遠慮させてしまって御免と、妻の和子は正五郎の遺骨に毎日手を合わせています。生体肝移植でも何でも出来るならば、それに支出する費用は手元にあるのに、結局助けられずに、正五郎を亡くしてしまいました。短くも長い、駆けぬけて行った40年でした。自分は冷蔵庫もない、暖房も効かない部屋で暮らしながら、弱い人に頼まれればホイホイとお金を工面してやって、本当に生き方の下手な子でした。

先ほども述べましたが、冷蔵庫を車でマンションへ運び込み、母親と一緒に和泉市の自宅への送り迎えをし出してからは、私に見放されたという誤解もなくなったのでしょう。6月以降は診療録にも、以前のような私への反発発言は影を潜めています。


⑪最後に診療録P207に関して意見を述べることにします。診療録の中の記載になっていますが、正五郎が亡くなって一ヶ月経過後に死亡報告を兼ねて私と妻和子がクリニックへ行った時のことで、私と妻が診察を受けたわけではありませんので、我々の言動が診療録に記載されることは全く持って不可解で、しかも了解なく録取されていることは非常に不快であります。まずこの点を指摘しておきます。漢字の変換間違いや正確に伝わっていないというか、我々が言ったことと異なる記載が見受けられるので、重要な点のみに限りますが、以下に訂正を入れておきます。19行目ですが、「神戸市は解剖はいやがってて」という記載がありますが、我々はそのようなことは言ったことがなく、解剖を拒んでいたのは本人である正五郎の生前の意思と妻の和子です。神戸市が解剖を嫌がっていたわけではありませんので、これは誤った録取内容です。下から6行目の記載も「謝罪と、1千万の金もらった」というような言い方はしたことがなく、耳原病院から謝罪と一千万円の解決金が支払われた、との表現をしただけであります。もらったというのは、あまりにも情緒的意味が強く、すこぶる抵抗があります。父の医療事故死の裁判では、満額の支払を受けられるというのが当方の弁護士の判断でしたが、私は謝罪があれば、一千万円でよいという判断をしたのであり、もらったという表現とは相いれない状況でした。最後から2行目以下の記載も尻切れトンボの表現で、意味がよく伝わっていないので、このような記載が診療録として提出されることにはかなり抵抗があります。何度も言うように、信頼関係を破壊しかねない録取であり、あらかじめ録音することを患者さんに了解してもらい、そして再現したものについて確認を取ってから、診療録として作成すべきではないかと考えています。正確性にかなり問題があり、また不意打ちのようで、すこぶる気分が悪いからです。

 

⑫忘れるところでしたが、診療録P206の下から四行目(2021/11/16受診)の記載も、親として非常に抵抗があります。「酒、女、ばくち、しか遊びを知らない」(原文通り)、との記載ですが、もし正五郎が本当に言ったとしても、鬱に陥った患者のこんな表現を、そのまま公的機関への提出書面にすることは、患者の了解を受けるべきではないかと思います。まさに誤解を招くからです。私の知る限り、正五郎はパチンコはするが、その他の賭け事については聞いていません。また、パチンコも余暇を利用する程度でした。酒は確かに体を痛めるところまで行ってしまいましたが、今回のパワハラ以前は自分で肝臓をコントロールしながらの飲み方であり、死に至るものではありませんでした。また、人に絡んだり、事件を起こすような酒の飲み方でもありませんでした。女性に関しても、独身の男性が関与する程度の女性関係であり、それによって大きなトラブルを起こしたことは聞いていません。しかし、診療録の記載では、まるで自堕落な、人生の落後者のような印象を与える表現として受け取られてしまいます。まさに医師にあるまじき人格の持ち主と思われてしまいます。私が患者であれば、了解もなく、こんなものを公的機関に提出されることは全く持って抵抗があるし、断固拒否します。


⑬ 以上①~⑫までは、余計と思われるかもしれませんが、我々一家の人となりや社会とのかかわりを知っていただきたく、書きづらいこともあえて書いてきましたが、正五郎そのものは後輩の面倒見がよく、彼らに好かれる人生を送って来て、患者さんに対しても、戴いた手紙の内容は過分なお褒めの言葉が並んでいて、医師として生きがいのある日々を送ってきたと感じさせてくれるものでした。確かに手術ミスは犯しましたが、患者さんも納得してくれたというのに、ここぞとばかりの激しい攻撃を受け、負い目でふさぎ込む者への余りと言っても過言でない執拗なハラスメントを受けたと思うのです。そこで以下の第六話では、医師Kの言動につき、診療録を基に、可能な限り客観的事実を提示しながら、陳述書をまとめてみます。その際、メールで明らかにされている医療センターというか、整形外科に特化した病院の開設計画との関連における正五郎の関与や役割が、どのような形で関係者の嫉妬心や攻撃感情を刺激したのか等についても、合理的推測を交えての検討を試みます。

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