第三話 神戸大学日本拳法部師範への、正五郎のメール


「夜分に失礼いたします。誠に勝手ながらこの度、監督業を資質不十分で師範に解雇していただきたくご連絡いたしました。今年の年初に私が医療ミスをしてしまい、周囲に多大な御迷惑をお掛けしてしまいました。もう自分がなぜ生きているか、分からなくなってしまいました。手術が絡むミスなのですが、私の手に負えず他科の先生に御対応頂きましたが、K(パワハラ医のこと)という先輩整形外科医は手術中他の先生が頑張っておられ、私はパニックで蒼白状態の中、ニヤニヤ談笑しておられました。


以降、事ある毎に彼は私に粘着質に絡みだしました。最低でも週一で二時間近く医局で他のDrの面前で、時には声を張り上げ私に指導(という名の嫌がらせ―――著者南埜純一の書き込み)しました。私のカルテにも、確かに病んで至らなかった状態とはいえビッシリと注意喚起と指導が書かれ、毎日カルテを開くのが恐怖でした(些末な事項としか思われない個所を何度も何度も書き直すことを要求され、実際書き直しをさせられたとのこと―――南埜純一加筆)。


そうして適応障害とアル中で倒れましたが、復職しようという矢先にまた絡みが発生しております。この病院の理事長には恩があるので、直ぐには辞められない状態です。


しかし、まだメンタル不十分な状態でこれ以上絡まれたら私は咄嗟に何をしでかすか分からない状態です。大学の部、コロナ禍で頑張っている部員たちには決して迷惑を掛けたくないのです。どうか、どうか御理解頂けますよう、何卒よろしくお願いいたします。


未熟で大変申し訳ありませんでした」


① 日本拳法師範に対する、神戸大学日本拳法部の監督辞任許可の申し出のメールです。最初に掲載した良識派のドクターのメールから、5ヶ月経過した後に日本拳法の師範に送られた正五郎からのメールです。師範に対する辞任許可の申し出メールということで、本人はかなり控えめな表現を取っていますが、後に摘示する多くの補強事実から、執拗で悪質極まりないパワハラが続けられていたということが分かっていただけると思います。


②「曲がりなりにも結婚して子供もいてるんやろ! 弱っている人間をまだここまで追い詰めるのか!」 メールの存在を知り、私に正五郎の心裡が理解できていれば、パワハラ医とその相方に怒鳴りつけたい衝動を抑えきれなかったであろう。手術ミスで落ち込んでいる息子正五郎に、まるで子供のいじめのように執拗に迫っていたのであった。


③正五郎は何を言われても、自分が悪いのだから耐えねばならないとひたすら耐えている中で、ますます鬱症状が悪化して、落ち込んで行ったのだった。親友医師に、後にも引用するメールで、「何もかも接近禁止のはずが手を変え品を変え俺を監視し続けた彼奴(パワハラ医のこと)のせい。感情失禁して年甲斐もなく号泣したりもしたし、腹水で呼吸困難になって救急車も呼んでしもうたから(亡くなる1ヶ月11日前の10月9日、神鋼記念病院へ救急搬送)。精神疾患がここまできついとは思わなんだ。前後不覚で歩いてて、死んでもおかしくなかったからな」


④上の親友医師へのメールが、亡くなる18日前のものであり、和泉の自宅へ連れ帰っては休ませ、またマンションへ送り届けて母親と一緒に暮らすという日々の中で書き送られたメールである。精神的にもかなり改善し、できるだけ早く復職してパワハラ医師に裁判を掛ける―――この目的が正五郎の生きる最大の活力源であったように思う。


⑤ただ後に述べるように、八月(正確には七月末)に復職して、これも後に詳しく述べるが、何とも陰湿で執拗なパワハラを仕掛けられ、勤務のため順心会加古川病院へ出かけようとするが、マンションを出はするものの駅へ向かう足が動いてくれず、逆方向へ歩いて時間をつぶすという場面が何度も繰り返されたのだった。しかし正五郎が出てこないと、パワハラを仕掛けられないことから、パワハラ医本人ではなく共犯者といってよい男が何度も執拗に正五郎を病院へ呼び出すのである。理由は、「話をお聞きしたい」とか、「診断書の提出もお願いします」、等である。


⑥これに対する正五郎の返信は、「医局の机に張っております。連日の監視(パワハラ医による)ストレスで馬鹿の如く飲まざるを得ない状態で浮腫が強く、とても行けません」と、精一杯の皮肉を込めて返信メールを送るのであるが、相手は、「明日はお願いします」。「明日の順心リハビリと外来はどうしましょう?」 と返すのである。正五郎の返信は、「医局の机に張っております。連日の監視(パワハラ医による監視は、全面接近禁止にもかかわらず、パワハラ医が正五郎の席の後ろに立ち続けるという嫌がらせ手法―――南埜純一加筆)ストレスで馬鹿の如く飲まざるを得ない状態で浮腫が強く、とても行けません」と再び返すが、相手はひるむことなく、「お早うございます。(鬱であるとの)診断書の原本もお願いします」、と畳みかけるのである。さすがに正五郎も頭にきて、「疲れているので病院からの電話頼むからしないように。それとも病院は、俺をその程度としかみてないんか」と、体調不良と睡眠不足が高じて怒り出すのであるが、「順心リハビリテーションの管理課が年末調整の件で電話を行ったようです。順心病院から入ってないです」との返信が返ってくるのだが、真偽のほどは全く定かではないのである。


⑦ナカムラクリニックの中村院長のアドバイスにより、理事長が全面的な接近禁止措置を取ってくれても、パワハラ医は手を変え品を変えて、正五郎の患者さんのカルテのぞき見や電子掲示板への(こんなあほな医者がいてるとの)非難中傷を込めた書き込み、それに正五郎の後席に立っての監視圧力等を加え続けた。本当に信じがたいパワハラ医のパワハラ行為であるが、この男の目的がどこにあるか、読者の皆さんはほぼ理解されつつあるでしょう。いずれにしても、激しいパワハラにさらされ、耐えられなくなって正五郎がたまらず病院を休むと、今度は連係プレイで、相方が病院へ来させようと、こちらも手を変え品を変えて、呼び出すのである。


⑧以上は、新たに目の前に躍り上がって来たメールから、私が感じたというか、後に述べる多くの資料を基に推測した結果であり、独断と偏見に満ち満ちたとの批判を加える方もおられるかも知れないが、親としては至極当然な推量だと考えている。


⑨ところで、母親がマンションに泊まり込んで世話をする中で、子供の頃の感覚が蘇ってきたのであろう、息子がポツリぽつりと話す内容で興味深かったのは、自分の生きがいというか、楽しみは、患者さんに喜んでもらえることと後輩たちと日本拳法で汗を流すことだと語ったことだった。私は、医学を極めてその結果、患者さんに喜んでもらえる医師になってくれることを望んでいたのだが、正五郎はそんな大それた望みを持っておらず、目の前の、小市民的と言うと語弊があるが、小さくとも日々充実した生活を送ることを望んでいたのだった。その過程で習得したのが、後に詳しく述べる―――患者さんに打つ前に、自分の体に事前に注射を打って試す、硬膜外ブロック注射で、上から下までできるという点では、正五郎の特技であり、痛みを大きく和らげるという意味で患者さんに非常に喜ばれる、息子の誇る技術だった。


⑩正五郎は幼少期から中学時代まで、ファーブルに憧れ、彼の著書を読みふけり、また近くの信太山に出かけては、昆虫や珍しい植物の採取に余念がなかった少年だった。それが耳原病院での、私の父である彼の祖父の医療事故死をきっかけに、医師を目指すようになったのではないかと私は理解していたのだ。私の親族といえば、正五郎の親族にもあたるのだが、世界的に著名な外科医がいて、彼が幼少期から姉に、「あんたは森鴎外のような立派な医者になるんやで」と、繰り返し繰り返し語りかけられて育ったことから、知らず知らずのうちに、医師を志した正五郎に私もそんな願望を持つようになったのかも知れないが、正五郎にはよい迷惑であったろう。


⑪ナカムラクリニックでの院長の治療を受け、とぼとぼと元町から歩いてきた正五郎が私を見かけ、「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」と、私に頭を下げたときは、「何を馬鹿なことを。親が子供を助けるのは当たり前だ」と叱って、10年ぶりに会った息子の変貌ぶりに愕然としてしまったが、母親と身近に接する幼少時のような半年余りの生活の中で、ようやく元の快活な正五郎が蘇る兆しが見えてきて、私にもどのような医師を目指しているのかをはっきりと明言したというのに。後のメールでも明らかになるが、パワハラ時の鬱状態での飲酒、これにより肝臓がもはや回復不能状態に陥っていたのだった。

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