小さな勇気とラッキースター

夢月七海

小さな勇気とラッキースター


 結婚式で、良い人と出会えるんじゃないの?

 ――幼馴染のカズヤの結婚式に出席すると話した時、俺は母からそう言われた。


 確かに、結婚式で初対面の子と気が合ってゴールイン、という話は、別に珍しくはない。ただ、そんなことが自分にも起きるなんてイメージすら出来ずに、あの時はまさかと苦笑するだけだった。

 それが、「良い人」と出会ってしまった。もう少し正確に言うと、「良い人」と再会した。


 会場は、新婦のハツエちゃんのふるさとである恩納おんな村の小さな式場。規模も小さく、カズヤとハツエちゃんは高校の頃から付き合っていたから、知らない出席者の方が少ない、という状況下だった。

 俺は高校の友達と一緒に丸いテーブルを囲んでいて、式が始まる前までおしゃべりをしていた。だから、司会席に誰が立っているのかは、マイクを通した声が聞こえてくるまで、気が付かなかった。


『本日は、お忙しい中、志慶真しげま和也・初江夫妻の式にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます』


 司会席に目を移し、喋っている相手を見た時、「ん?」と真っ先に思った。似ている、でも、そんな訳が、とも。

 それは、俺と同い年くらいの女性だった。黒いポニーテールをして、黒のベストに赤い蝶ネクタイをしている。その笑顔が、あの子とダブった。


『申し遅れました。本日の司会を担当します、安次富あじとみ芽衣めいと申します』


 彼女がぺこりと頭を下げて、拍手が響くのに、俺はそれに合わせるのが一瞬遅れた。あの子ではという予感が現実になったことに、驚いてしまったからだった。

 『普段は、ウェディングプランナーをしておりますので、司会は不慣れですが……』と、自虐している彼女の声が、水中で出しているかのように不明瞭になっていく。


 いや、潜っているのは、俺の方だ。

 小学生だったあの日。彼女が初恋だったあの頃の俺の情景に、ダイブしていく――






   □






 いつだったか、小学生のある日、将来の夢というテーマの作文で、俺はクラスメイトの前で、初めて「プロレスラーになりたい」という夢を発表した。年代的にも、土地柄的にも、プロレスとあまり縁がないので、この夢とはカズヤ以外にははっきりといえなかった。

 勇気を振り絞ってみたものの、反応は芳しくない。プロレス自体がピンと来なくてきょとんとしている奴、苦笑を漏らしている奴ばかりで、先生すら、生温かい目で見ているだけだった。


 ただ、唯一、俺の発表に対して、真剣な顔で手を叩いて賛辞を送る同級生が一人だけいた。その子が、メイだった。

 たったそれだけで、恋に落ちた。顔がどうのこうのじゃなくて、彼女の何に対してもしっかり受け止める心に、惹かれた。


 だが、その事は、誰にも言えなかった。幼馴染であるカズヤにも。

 その理由は、メイの微妙な立ち位置にあった。言い方は悪いが、彼女はクラス内でも、ちょっと軽んじられていた。


 友達同士でグループを作るのが当たり前なのに、メイだけはどこにも属さず、好きな所へ好きな時に混じっていった。「男」「女」という性差を俺たちが意識し始めて、異性と話しかけるのを躊躇ってしまう年代になっても、メイだけが例外で、普通に男子とも何の抵抗もなくお喋りしていた。

 見た目もそうだが、それ以上に、あけすけな裏表のない態度に、みんな幼さを感じ取っていたからかもしれない。メイは、同学年だけど、みんなの妹のように思われていた。


 そんな彼女のことを好きになったと言えば、プロレスラーになりたいという夢以上に、異端と思われるかもしれない。だから、俺はそのことをひたすらに隠して、好きな人を訊かれたら、クラスの人気のある女子を「気になるかも」と言い濁していた。

 メイ自身については、好きな人がいるのかどうかすら、噂になっていなかった。俺はそのことにほっとしつつ、いや、俺も眼中にないのではと、変に焦っていた。


 小学六年生になり、修学旅行の日を迎えた。俺たちは、県内の歴史や産業を学んだ後に、北部のリゾートホテルに泊まった。

 そこで迎えた自由時間に、ホテル敷地内のビーチに降りても良いことになった。冬だったので、流石に泳ぐ人はいなかったが、ボール遊びをしたり、ビーチフラッグごっこをしたりと、同級生はそれぞれで遊んでいた。


 俺も友人たちとビーチボールで遊んでいたが、メイが人の輪から離れているのに、ふと気が付いた。波打ち際をぶらぶら歩き、突如しゃがみ込むのを繰り返している。

 何をやっているのか気になって、俺は友人たちに断りを入れてから、彼女の元へ歩み寄った。メイはこちらに背を向けて、しゃがみ込んだまま、じっと砂浜を見つめている。


「メイ」

「あ、拓海」


 振り返ったメイは、俺を認めると微笑んだ。それが、誰に対しても変わらないものなので、胸の中で複雑な気持ちが渦巻く。

 そんな気持ちを微塵も出さないように、俺も笑い掛けながら、彼女に尋ねた。


「何してんの?」

「ヒトデ探してるの。死んでるヒトデ」

「ヒトデを? なんで?」

「ホテルのホールで、貝殻のセットとして売っていたけれど、それは高かったんだよね。だから、海に落ちていないかなぁって」

「ふうん」


 俺はさりげない返事をしながらも、目では必死にヒトデを探していた。もちろん、見つけてメイにプレゼントしたかったからだ。


「拓海は、ラッキースターって知ってる?」

「ううん。何それ?」


 立ち上がったメイの背中を見て、そっと追いかける。俺の方が彼女よりも背が高いので、自然な歩幅で彼女の隣に並んだ。

 メイによると、ラッキースターというのは、昔放送していたアニメの魔法少女のアイテムの一つだった。ラッキースターが魔法少女の頭上で輝くと、彼女に対して悪いことが何も起きなくなるというのだ。


「すごいな、無敵じゃん」

「そうでしょ? もちろん、一分間だけって制限があるけれどね」


 メイは、話をしながらも、視線はずっと下に向けられている。ヒトデを探しているのだろう。


「そのラッキースターがさ、ヒトデと似ているなぁって思っていて。もしもそれが、私の頭上にあったら、転校することも無かったんじゃないかなって」

「ああ……」


 メイは、父の仕事の都合で、別の中学に行くことが決まっていた。それを教えてくれた時には無かった寂しさが、彼女の横顔に、初めて浮かんでいた。

 ……俺は、すぐに胸がいっぱいになって、思いが溢れてしまった。だから、今まで聞きたくても言えなかったことを、放っていた。


「メイは、好きな人いる?」

「あー、好きな人かぁ……」


 すると、メイはとても困ったような顔をした。彼女のそんな顔も、この六年間の中で初めてだったので、俺はその困惑の理由が読み取れなかった。


「私さ、好きな人、いないんだよね」

「えっ? そうなの?」

「うん。友達に、好きってどんな気持ちって来たことあるけれど、何と言われてもピンとこなかったんだ。まだまだ子供なんだろうね」


 ハハハとメイが笑う。ただ、その笑い声はいつもの明るさとは正反対で、どこまでも空虚に響いていた。

 これはチャンスじゃないかと、俺は打算的な思いが芽生えた。今、告白をして、ゆっくりとでもいいから、俺のことを好きになってほしいと伝えれば、彼女は頷いてくれるかもしれない。


「ねえ、拓海の方はどう? 好きな人、いるの?」

「……」


 その一瞬の決意は、俺に尋ね返したメイの瞳を見ると、吹き飛ばされてしまった。周りと自分が違うのだということに、不安になって、どんなものにも縋ろうとしている彼女の瞳を。


「いないよ」

「そっかー」


 だから、嘘をついた。告白をするよりも、小さな勇気を振り絞ったその一言は、メイを確かに安堵させた。

 ……あの時、俺はどんな顔をしていたんだろう。記憶の中で浮かぶのは、泣きそうなのに無理矢理笑顔になっている顔だ。でも、メイが普通に笑い返していたのだから、何の違和感の無い表情を作れたんだと思う。


 結局、俺たちはヒトデを見つけられずに、自由時間が終わった。だから、俺は自分のお小遣いを全部使って、ホテルで売られていた貝殻のセットを購入した。

 ホテルを出る直前に、何とか隙を見つけて、メイと二人きりになれた。ホールの片隅で、ヒトデを取り出すと、メイは「わっ!」と驚いた口を覆った。


「買ったのこれ? 高かったでしょ?」

「大丈夫。お小遣い、余分に持ってきていたから」


 笑って言ったその一言も、小さな嘘だ。お土産も購入して、俺の財布はすでに空っぽだった。

 そのままこのヒトデを、メイに手渡しても良かったけれど、俺はその前に彼女の頭上に翳した。


「幸運の星が、君に輝きますように」

「……拓海って、意外とキザだったんだね」


 笑い声を立てながら、手を伸ばしてメイはラッキースターを受け取った。「ありがとう」と言った後に、「そういえば」と続ける。


「魔法少女が一度、そのラッキースターを失くしたことがあってね、その時はありとあらゆる不幸が降りかかったんだよね」

「マジか。それは先に言ってほしかったなぁ」


 俺は肩を竦めて苦笑しつつ、メイの代わりに不幸になるのなら、全然平気だと思っていた。






   □






「拓海、久しぶり! 聞いたよ! プロレスラーになれたってね!」


 和也の結婚式が終わってから、スタッフ出入り口のすぐそばで、俺とメイは改めて再会した。彼女のはしゃぎっぷりは、小学校の時と同じで、まるで十数年の年月が無くなったかのようだ。

 もう一度彼女に会おうと決意したものの、俺はまたたじろいでしまった。この態度の裏側にあるのは何だろうかと。素直に受け取っていいのかどうか。


「うん。お陰様で」

「お陰様って、私は何もしていないよ。ちょっと他人行儀だなぁ」

「ごめんごめん。久々だったから。……メイは、ウェディングプランナーになったんだな」

「うん。小学生の時の夢とは、違うけれどね」

「ケーキ屋さんだったよな? でも、みんなを笑顔にしたいって夢は、叶っているだろ?」


 俺は励ますつもりでそう言ったら、彼女はびっくりしたような顔になった。


「小学校の時の作文、よく覚えているね」

「あー、なんか、印象的だったから」


 慌てて誤魔化してしまう。本当は、メイの夢だったから、覚えていた。

 すぐに話を変えようと思った。というよりも、俺にとってはこの会話の主題なんだが。


「カズヤの式って、知っていたんだ」

「うん。担当は、私の先輩だけど、ここ小さいから、私も手伝っていて」

「カズヤとは会ったのか?」

「もちろん。びっくりしていた。でも、拓海とか、他の同級生には秘密にしておくって言っていたんだ。驚かせてやりたいってさ」


 メイは、カズヤを困った子だと言いたそうだけど、その大変さを愉快がっているのがよく伝わってきた。

 メイを見た時に、カズヤが俺の初恋に気付いていて、仕組んだじゃないかと思った。だけど、俺に対して変なことをしてくるやつじゃないと、改めて分かって、ほっとした。


 もう一つ、聞きたいことがあった。メイは今、結婚しているかどうか。

 婚約指輪はしていない。けれど、結婚式場で働くにあたり、外しているという可能性もある。


 俺が、不安に押し潰される前にと口を開こうとすると、彼女が急に後ろを振り返った。

 その目線の先には、大きな窓があり、そこからは青い海がどこまでも広がっていた。そこから風が吹き込んでいるかのように、メイは髪を耳にかき上げる。


「すごくきれいでしょ? こっち側についた窓からだと、必ず海が見えるのが、ここの自慢なんだ」

「そうだな。いい天気で良かった」


 意図が読み取れないので、とりあえず首肯すると、メイが振り返った。満面の笑みが浮かんでいる。


「修学旅行の時、拓海がくれたラッキースター、今も大切にしてるよ」

「え、そこまでしなくてもいいのに」

「もちろん、他のみんなからのプレゼントも大事にしてたけれど、手元に残っているのは、あのラッキースターだけ」

「それは……」


 期待の言葉は、口の中でラムネのように、ジュワッと溶けた。

 メイが俺に向けている視線は、あの頃とちっとも変わらない。誰のことも大好きで、しかし、誰のことも恋の対象にしていなかった、あの頃と同じ瞳だ。


「どんなに不安な日があっても、私には悪いことが起きないんだって思うと、小さな勇気が湧いてくるの。だから、何にでも立ち向かえた」

「ああ、そうか。嬉しいよ」


 その一言で、充分な気がした。叶わなかった初恋を引き摺って、恋人ができても長続きしなかった俺が、やっと吹っ切れるきっかけになった。


「実はさ、あれ、小遣い全部使って買ったんだ」

「え、そうだったの。ごめん」

「小学六年の話だからさ、もう気にしていないよ」


 事実を知って、慌てふためくメイを見て、カラカラと笑う。これが、俺にとっての初恋のけじめとなった。

 直後、俺の携帯に、カズヤからのメッセージが届く。二次会をするので、会場に来てくれという内容だった。


「じゃあ、俺は二次会行ってくる」

「私も参加したいけれど、仕事がまだあるから。ごめんね」

「いいよ。むしろ、こっちが長々呼び止めちゃったから」


 「バイバイ」と、あの頃と何も変わらない言葉と笑顔のメイに、軽く手を振る。そして、僅かな郷愁だけを胸に、彼女に背を向けた。



























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小さな勇気とラッキースター 夢月七海 @yumetuki-773

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