第5話 おかしく異様な世界
「やっぱここ、妙な場所っすね」
隔離地区に入り込んでからしばらく進んだところで、一花がそう切り出してきた。
「同感だ。少なくともここは、悪神憑きによって汚染されたわけじゃないってことだけは間違いない」
悪神憑きの排除は協会の神がかりの仕事である。それも基幹業務といってもいいものだ。悪神憑きの放置は、そうなった当人だけではなく周囲の環境にも悪影響を及ぼすものである以上、この仕事をやっていれば確実に隔離地区での戦闘は避けられない。それは、いまもなお協会に所属している一花は言うまでもなく、かつて協会に席を置いていたこちらも同じである。
汚染が進んだ場所は、神がかりではなくとも、ここが異常な場所であることをはっきりと認識できる空間だ。汚染の度合いが高ければ視覚的にはっきりとその異常が見えるし、視認できるほどの異常がなかったとしても、ここがおかしいことを感知できる。よほどのことがない限り、隔離地区とそうでない場所を見誤ることはない。
「汚染はされていないが、ここのどこかになにかいるってことだけは確実だな。それも、普通なら遭遇することはないようなレベルの。どういうものであれ、請けちまった以上、やるしかない。なによりこっちは後ろ盾のないしがない個人事業主だ。信頼を落とすような真似はしたくねえしな」
少なくとも、いまはまだ。この先どうなるとしても、大きな組織からの信用はあって損するものではない。現状は信用を積み上げていく段階である。来るべきときに備えて。そのために動き続けているのだ。
「それで、どうします? そろそろ別々で動きますか?」
「……いや、二手に分かれるのはまだ早いな。芳村のほうはともかく、協会が必ず生きて捕えろといってきたコードFとやらがなんなのかまったくわからん以上、現時点では単独行動するのは避けておくのが無難だろう。なによりいまの俺は手持ちが少ないからな」
石などに神が宿り、時間をかけて生成されたものが神石である。この世界の在り方を根本的に変えることになった物質の一つ。いまは主にエネルギー資源のひとつとして広く使われているものだ。そしてそれは藤夫にとっての生命線でもあるものだ。
持ってきた神石は二つ。質はそれなりに良い。芳村だけなら使わずともなんとかなるが、コードFとやらに関する情報がまったくない現状では心もとない量だ。車にはまだ充分なストックがあるが、状況によっては車に戻ることが不可能になる可能性も大いにある。隔離地区というのはその中にあるものを出さないようにするものだ。入るのは容易いが、出るのは難しい。
「わかりました。センパイの護衛をさせていただきますよ。わたしがついてきたのは完全に自分の勝手ですし」
「ああ、頼むよ」
一花はこちらを護衛するだけならばあまりにも過ぎた戦力というよりほかにないが、他に選択肢がない以上、それ以外にできることはなかった。あとで埋め合わせくらいは必要だろう。終わったから考えておくか。
だが、いまはまず仕事をこなすことが先決だ。ここでそのもう一つのターゲットであるコードFとやらに、ここに入り込んだ連中みたいに行方不明にされてしまったら元も子もない。命が懸かっている状況で他のことを考えるなど、死にに行くようなものだ。
周囲を見渡す。
相変わらず、人の姿がまったくないことを除けば、どこにでもある田舎の小さな都市としか言いようがない。隔離地区は異様で異常な空間であるが、この場所はそれとはまったく別種の異様さ、異常さに満ちている。
「一体、ここになにがいるんですかね。協会が直々に必ず生きて捕えろ、報酬は受ける側が自由に設定していいって言うくらいですし、間違いなく触れないほうがいい案件な気がしますけど」
「なんであったにしろ、請けちまった以上、やるしかねえな。あのケチな協会が相手方に報酬を自由に要求していいって言うくらいだ。ヤバかったとしても、それなりのメリットがあるってことでもある。精々、取れるだけ取ってみるさ。無事終わればって話にもなるが」
依然として、不審なほど静まり返った空虚な町を進んでいく。
変わることなく、どことなく異様で異常な空気に満たされているが、その大元となるなにかはまるで見えてこない。
人間にとって、正体不明というのは最も恐ろしい存在だ。特殊な力を持つことが当たり前になった現代においてもそれは変わらない。恐怖というものは心を蝕み、思考を阻害し、判断を誤らせ、その手足を鈍らせる。恐ろしいものに立ち向かうときほど、恐怖に駆られてしまうことを避けなければならない。
だが同時に、恐怖が一切ないというのも危険なものだ。一切の恐怖がなかったとしても、判断や思考を誤らせる。どんな状況であれ、適度な恐怖はいつも必要なのだ。だからこそ難しい。
さらに進む。
やはり、周囲に異様で異常な空気には満ちているが、その発生源らしきものはまったくない。ここになにかあるということがそもそもこちらの錯覚ではないかと思えてくるほどだ。しかし、なにもないのであれば協会が改めてこちらに指令を出すはずもない。であれば、なにかあることは確実であるが――
探知に優れた者がいれば、ここになにがいるのかある程度見えてきたのだが、こちらも一花も探知に優れた能力ではない。ないものを望んだところで、どこからともなく都合のいいものが湧いてきてくれることなどないのだ。ここにいるのがなんであったとしても、いま持っているカードだけでなんとかする以外にできることなどない。それが現実における戦いの不文律である。特殊な力を持っていたとしても、それだけは常に正しく成立する公理だと言えるだろう。
この場所には、どこにでもここにいるはずのなにかの目があるかのようだ。もしくは、そのなにかの体内にいるのかもしれない。そのわからなさがどんどんの嫌なものを強く滲ませていく。
やはり、動きを阻害されるのを覚悟してもっと神石を持ってくるべきだったか? これもいまから悔やんだところでどうにかなるはずもない。人間というのはどうあっても間違える存在だ。常に正しく、間違えないなどあり得ない。だからこそ前に進むことができるのだ。それは、この世界において人だけが持っている力である。
その瞬間であった。
静寂に支配されていた場所にわずかな異音が響いたのだ。それは間違いなく人が発したもの。そして――
「センパイ、いまの――」
足を止め、一花がこちらに視線を送る。
自分たち以外にここにいるのは芳村とコードFとやらならば、考えられる理由はただ一つ。芳村がコードFに襲われているのだ。遠くから聞こえてきた音は、恐らく襲われた芳村の悲鳴だろう。
「急ぐぞ。小悪党とはいえ、目の前で殺されるのは気分が悪い。生きたまま捕らえたほうが警察の印象もよくなるだろうしな」
芳村の悲鳴が聞こえてきたのは西のほうだ。具体的な距離は不明だが、耳に入ってきたことを考えるとそれほど離れていないはず。
「それじゃあ、わたしが先行します。後ろはお任せするんで、ついてきてくださいよ」
一花がそう言い終えると同時に、二人は加速し、芳村の悲鳴が聞こえてきた方角に向かって駆け出した。
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