第3話 隔離地区へ

 車から外に出ると同時に人気のない場所特有の空気が押し寄せてくる。


 やはり、隔離地区とは思えない場所だ。境界線ぎりぎりのところまで接近したというのに、隔離地区特有の肌から得体のしれないものに侵食されるような嫌な感じがまったくない。人の姿が一切ないことを除けば、日本のどこにでもある田舎の小さな都市としか思えない場所であった。


「隔離地区なんて入らないほうがいいに決まってますけど――なんというか、本当に普通の場所っすね。どう考えてもこの先が隔離地区に指定されている場所とは思えませんが――」


 運転席側から降りた一花が周囲の様子を確認しながら率直な言葉を漏らす。一花も若手ではあるものの、同期の一般枠で協会に入ってきた者たちよりも遥かに実戦経験を積んでいる。


「でもまあ、なんというかおかしな場所でもありますね。人がまったくいないことを差し引いても、なにかありそうな感じがします。ただの気のせいならいいんですが」

「どうだろうな。あのテツさんが引退を決意した案件があった場所だ。なにもなけりゃそれでいいが、たぶんそういうわけにはいかねえだろう」


 こちらの言葉に対し、一花は「やっぱそうっすよねー」と気の抜けた調子で返答してくる。言葉面は極めて楽天的であったが、身に纏っている空気はかなり鋭い。もうすでにこの先でなにか起こることを確信しているようであった。協会に入って三年だというのに、これだけの切り替えができる奴はそうそういない。さすがとしか言いようがないものであった。


「とにかく、だ。準備すっから鍵くれ」


 その言葉を聞くと同時に一花は持っていた鍵を藤夫に投げ渡す。投げられた鍵はまるでこちらが差し出す手の位置を完璧に予測していたかのようであった。藤夫は鍵を受け取り、トランクを開けた。


 トランクに入っていたのは荒い作りの輝く石がいくつも入った箱。神石。新世紀の幕開けとともに発生した文字通り神が宿った石である。二〇〇一年に空が焼けた結果、生物、非生物を問わずこの地上にあるあらゆるものに神が宿った。これも神が宿り、大きな変質を起こして生まれた物質の一つである。知らない者が見れば、輝いているのでものすごく価値があるように見えるが、質さえ考慮しなければそこらを小さなショベルで掘っただけで出てくるくらいありふれたものだ。いまとなってはかつて使われていた石油石炭天然ガスよりも遥かに高効率な資源として広く使われている。


 藤夫はその箱から携帯するのに邪魔にならなそうなものを二つ取り出し、トランクを閉め施錠。


「石、持っていくんですか?」


「一応な。ここに逃げてきた馬鹿に使うもんじゃないが、本当になにかいるのなら最低限を備えは必要だろう。使わずに済めばそれでいいが」


 これがなければ、他の神がかりや悪神憑きと渡り合うことは不可能だ。逃げた奴程度であれば必要ないが、ここにいると思われるなにかが未知数である以上、ちゃんと備えておくべきであった。こんなところで死んでしまってはなにも意味がない。自らの目的を叶えるために、協会から離れる決意をしたのだから。


 目と鼻の先に幾人もの人間が行方不明となっている場所があるというのに、桜はいつも通り変わることなく咲き誇っていた。長い間、人の手が入っていないせいか、普段見かけるものよりも生命力に満ちているようにも見える。自然というのは本当に雄大で力強い。できることなら、酒でも飲みながら花見をしたいところであるが――


 それをやるのは、やるべきことを済ませてからだ。仕事をさぼって飲む酒は至高であるのは間違いないが、いつもそうしているわけにもいかないのもまた事実である。なにより、なにかを達成したあとに飲む酒だってそれほど悪くない。


「ところでセンパイ、ここに逃げていった馬鹿はどうします?」


「できれば生きた状態で確保するのが望ましいが、場所が場所だから想定し得ない事故が起こる可能性もある。先方からは、なにがなんでも生きて捕えろとは言われてない。だから、最悪死体でも大丈夫だろう。身の危険を感じるようであれば、やっちまっても構わない。その判断は、お前に任せる」


「わかりました。死なない程度に痛みつけて捕縛できるよう、最善を尽くしてみます。で、もう一つ。ここにいるっていう狼のほうは?」


「そうだな――」


 どう答えるべきか判断に迷うところだ。この場所が汚染されていないことを考えれば、危険度の高い悪神憑きではないことは間違いないはずだが――


 応えあぐねていたタイミングで、携帯端末が鳴動する。メッセージの着信。送信元は協会の営業部。こちらに仕事を投げてきた相手だ。画面を操作し、来たメッセージの内容を確認する。


 隔離地区三三四には逃走した芳村卓也以外にもう一名別の者がいる。通称コードF。芳村卓也はできれば生きて捕えてほしいというのが依頼者の意向であるが、必ずしも生きて捕えることはできないということをこちらから依頼者に告げてあり、生死は問わない。


 しかし、コードFと接触をした際には、必ず生きたまま確保して欲しい。こちらは上層部の意向である。もしコードFと接触し、確保できたのであれば追加で報酬を出す。その額に関しては、そちらに決定権がある。以上。


「……なんだこりゃ」


 予想外の内容であったため、藤夫は思わず顔をしかめた。


 コードFとやらを生きたまま捕らえられたら追加で報酬を支払う、ということ自体は別にいい。だが、その追加報酬の決定権をこちらに与えてくるというのは異常だ。請負の類で普通だったらあり得ない。


「どうかしたんすか?」


 こちらの様子を見て、一花が声をかけてくる。どうするべきか一瞬悩んだのち、藤夫はいましがた協会の営業部から送られてきたメッセージを一花に転送した。


 その内容を見た一花も先ほどのこちらと同じように顔をしかめたのち「これ、やばくないっすか?」と返答する。


「ああ。この手の仕事で報酬の決定権を相手先に与えるなんて普通はしねえからな。よっぽどのなにかがあるってのは間違いねえなこりゃ」


 こちらは、自分以外に雇っているのは一人だけの零細個人事業主である。それなりにやってきたものの、それでも仕事の選り好みなどできるほどの余裕はない。現にいままでもどれほどしようのない依頼であっても受け、こなしてきた。だが、これは――


 もしかしたらこの仕事を受けたのは間違いだったかもしれない。とはいっても、もうすでにこちらは仕事を受けてしまっている。ここでキャンセルなんてしたら、いままで少しずつ積み上げてきた信頼が一気に崩れるのは確実だ。間違いなくそれは目指すべき先が遠ざかることになるだろう。


「で、お前はどうすんだ? ケチな協会が相手方に報酬の決定権を明け渡すような案件だぞ。それでもついてくるか?」


「もちろん行きますよ。当たり前じゃあないですか。最近少しばかり刺激がなかったですし。あと、センパイだってよく言ってたじゃあないですか。貸しは作れるときに作っておけって」


 一花にそんなことを言ったかどうか記憶になかったが、誰かに貸しを作っておくのはそれほど悪いことではない。


 なにより、これだけのことをやってくる案件をこなしておけば、次以降なにかあったときに有利に働ける。零細個人事業主にとって大手とのパイプというのはとても大事だ。


「ほら、あとよく言うじゃないですか。進めばふたつって」


「なんだそりゃ。はじめて聞いたぞそんなの」


「最近やってたアニメでそんなこと言ってました。駄目っすよセンパイ。仕事も大事っすけど、最近のトレンドにも触れておかないと、置いていかれますよ」


「わかったよ。時間あったら見ておいてやる。あとでタイトル教えろ。どちらにしろ、まずはこっちをこなさなきゃならん」


 そう言って、隔離地区との境界線へと近づいた。こちらと向こう側を遮るうっすらとした膜が目に入る。それに手を伸ばす。不思議な感触がこちらへと伝わってくる。そのまま膜に手を突っ込んで――


「行くぞ」


 突っ込んだ腕で膜をこじ開け、その中へと入り込んだ。

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