第2話 桜花の中で

「センパイ、そろそろ運転変わってくださいよ」


 これから対象となる相手の情報に目を通していた柴吉藤夫の隣で、退屈そうに運転をしている前田一花は極めて不満そうな声で文句を漏らした。


「あともう少しだから我慢しろ。せっかく花見の季節なんだからよ。運転しながら桜を見てりゃあいいじゃねえか」


 窓の外にはぎらぎらと輝くように桜が咲き誇っている。これだけ咲き誇っているにも関わらず、花見をしに来ている人間は皆無であった。どことなく不気味な光景。場所が場所なので、当然ではあるのだが。


「飲み食いも遊びもできない花見なんて楽しい要素なんてありませんよ」


「それには同感だが――どちらにせよ、これから仕事なんだ。飯はともかく酒は駄目だろ」


「それくらいわかってますけど――気分的な問題ってヤツですよ。運転ってそれなりに気を遣うものじゃあないですか」


「それにも同感だ。だが、その前にひとつ訊いていいか?」


「なんです?」


「そもそも俺はお前に協力を要請した覚えがないんだが」


 今回は協会からフリーで動いている藤夫のところに落ちてきた案件である。内容的に自分だけでもなんとかなりそうな案件であり、委託先の協会に対し、援軍の要請をしたわけでもない。それにも関わらずこの後輩は何故か一緒に車に乗って仕事先に赴こうとしている。


「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか。せっかく可愛い後輩が手伝ってくれるわけなんですし、そのほうがセンパイだって楽できるでしょ?」


 悪びれる様子もなく一花は言葉を返してくる。


「楽できるのは確かだが――こっちはお前みたいな高給取りを気軽に払えるほど金銭的な余裕なんてねえんだよ。零細企業を舐めんな」


 いま隣でへらへらと運転している後輩は協会の特別枠で入ってきた正真正銘のエリートである。高難度の選択式と記述式の筆記試験に実技試験、面接試験をくぐり抜け、年に数人いれば豊作と言われ、年によっては一人も採用されないことも珍しくない。わかりやすく言ってしまうと国家公務員におけるキャリア組のような存在だ。一般採用だったこちらとはスタート地点からして違う。


「別にただでも構いませんよ。なんといってもお世話になったセンパイですからね。一度くらいはただ働きくらいしてあげますよ。気にしないでください」


「俺が気にすんだよ。下手に好意に甘えて本来払うべきものを払わずに済ませていると、大抵よくないことになるからな。仕事に対して報酬を支払うのは当然のことだ。それがどんな相手であってもな」


「ふーん。その考えはよくわかんないっすけど――報酬とかはいいんで、とりあえず運転変わってくれません?」


「さっきも言ったが、あともう少しだから我慢しろ。帰りは俺が運転してやるから。お前の働きぶりにもよるが」


「……わかりましたよ。ちゃんと帰りは運転してくださいよ。いくらセンパイのだからっていっても、他人の車を動かすのって結構気を遣うんですから」


「驚いたな。お前でも他人に気を遣うことなんてあるのか」


「そりゃありますよ。これでも学生のときは気を遣えると評判だったんですから。まあ、実際は知りませんし、興味もないのでどうでもいいんですけど」


 相変わらず口がよく回る奴だ。顔を会わせるのは久々だが、変わりないようであった。特別枠の労苦がどのようなものなのかこちらにはわからないが――見た限りではそれなりにうまくいっているのだろう。


「で、今回の相手はどんな奴なんてすか? センパイの様子を見た感じでは、たいしたことではないように思えますけど」


「お前が思っている通り、たいした相手ではないよ。能力を悪事に使ってそこらの人間から小金を巻き上げているよくいるタイプだ。能力の等級は三流以上二流以下ってところか」


 いまから二十年以上前の新世紀の幕開けとともに天は焼け、どこかにいた神々は地上へ墜ち、地上のあらゆるものにそれらが宿った結果、かつては超能力、異能力と言われるものを人類は手に入れた。そうなれば必然的に、手に入れた力を悪用して犯罪行為を行う者も現れる。今回の件も基本的にはその典型的なものだ。


「普段はザコいセンパイでもなんとかなるような?」


「ああ。普段はザコい俺でもなんとなるような。そういやお前の端末には情報を送ってなかったな。送ったから運転終わったら目を通しとけ」


 はっきり言ってこの件に一花を持ってくるのは、たった一人で木の棒を振り回して暴れてる輩に対して戦車を持ち出すようなものである。オーバースペックとしか言いようがない。だが――


「……確かにセンパイの言う通りっすね。というかこれ、わざわざこっちに投げてくる必要もないレベルじゃないですか? 警察でも問題なく処理できる案件だと思いますけど。もしかしてこの程度の案件に手を出さないといけないほど厳しいんですか?」


 一花は運転をしながら横に置いてある携帯端末に目を向ける。よそ見運転であるが、自分たち以外に誰も通っていないはずなので特に問題はないだろう。


「こっちは零細企業だからな。そういう案件もやっていく必要があんだよ。でもまあ、お前の言う通りだ。本来ならこれは、俺たちがやる案件じゃない。ただ、逃げた先がまずかった」


 一花がこちらへと目を向ける。


「お前、隔離地区三三四は知ってるか?」


「耳にしたことくらいはありますけど――詳しくは知りませんね。わたしが協会に入る前に起こった出来事ですし」


 隔離地区とは重大な悪性変異を起こした能力等級一級以上の人間――通称、悪神憑きにより深刻な汚染が進んでしまった区域を言う。一定以上の能力等級を持つ人間である神がかり以外の立ち入りを禁止されている。いま藤夫たちが追いかけている芳村卓也の逃走先がこの隔離地区に指定されている場所であった。


「でも、隔離地区というわりには随分と澄んだ感じっすね。というか、どう考えても隔離地区になるような場所とは思えないんですが」


「俺もそう思う。隔離地区特有の嫌な感じはどこにもない。どう考えてもそうなっていることがおかしいんだが――調べてみると、どうやらこの場所、色々といわくがあるみたいでな」


 こちらの言葉を聞くと同時に、一花が身に纏う気配が一変する。この切り替えの早さはさすがとしか言いようがない。


「まず、隔離地区に指定されてからいまに至るまでの七年で、二十人以上が行方不明になっている」


「……まじすか。それは偶然とは言えない人数ですね。いままで行方不明になった人たちになにか共通点とかは?」


「少なくとも、俺が確認できた範囲ではなさそうだ。肝試し感覚で入った高校生や大学生のグループや観光客、この近辺の都市にいる浮浪者、不法入国した外国人、ネタ探しにやってきたマスコミ関係者――年や見た目、国籍に共通点は見られない。ここで失踪した大学生のグループの中に一人だけ帰ってこれた奴がいたんだが、そいつが言うには――」


 そこで一度言葉を切り――


「狼が出るらしい」


「……いや、なに言ってるんすかセンパイ。ニホンオオカミなんて百年以上前に絶滅してるんですから、そんなもんいるわけないじゃないですか。日本すよここ。その大学生、錯乱して凶暴化した犬と見間違えたのでは?」


「同感だが、神が墜ちてから人類以外の動物種にもかなりの変異が生じている。その中に狼ないし狼に見えるような動物がいたとしてもおかしくはない。なにより、その大学生の証言を聞いた限り、錯乱していたのは間違いないが、嘘を言っていなかったらしい。そこには協会のカウンセラーも同席していたようだから確実だろう。もし嘘を言っていたのなら、さっさとこいつをスカウトしたほうがいいな。協会のカウンセラーを騙せるレベルの嘘つき大学生なんて、そういないぞ」


「狼ないし狼に見えるなにかがいるのであれば、なんで死体は残ってないんです? わざわざ行方不明って言ってるってことは、そういうことっすよね? 捕食した相手を埋めて弔ったり、隠蔽工作するとは思えませんが」


「その通りだ。その大学生を除いていまだに死体は見つかってない。その大学生はこうもっている。それに襲われたとき、まるで丸呑みにされたかのようになにも残さずに消えちまった、と」


 どういう状況だったかまでは、記録には残っていなかった。文書からでもその大学生がかなり錯乱した状態だったことが読み取れるレベルなのだ。襲われたそのときの状況を正確に話せるはずもない。


「で、他にもまだなにかあるんすよね?」


 相変わらず鋭い奴だ。普段おちゃらけているような奴とは思えない。いや、普段はそういう道化を演じているのかもしれなかった。この後輩なら、これくらいのことを平然とやってのけてもおかしくない。


「……隔離地区指定の理由および原因の詳細が、当時現場で実働していた者と上級役員以外閲覧不可になっていた」


「それは……相当っすね。でも、現場にいた当事者から直接訊くってのはできなかったんですか? 口には戸が立てられないと言いますし」


「無理だな。その当事者ってのがあのテツさんだからな。現場にいた当事者はテツさん以外全員行方不明だ。知り合いだからって機密を言うような人じゃないし、拷問しようが大量の自白剤を飲ませようが口を割らねえよ、少なくとも、俺にはあの人の口を割らせるのは無理だ」


 そのテツというのは、協会に入ってばかりの頃に一年ほど指導してもらっていた歴戦の大先輩でもある。


「わたしもインターンの頃に少し世話になりましたが――確かにそうっすね。あの歳でとっくに一線を退いているにも関わらずあれですから」


 珍しく乾いた笑い声を漏らす一花。それだけでインターンのときにどういう指導を受けたのか容易に想像ができた。


「記録を見た限り、この案件があのテツさんが一線を退くことになった原因みたいだ。俺がテツさんのところを離れたあとすぐみたいだな。死ぬ瞬間まで前線にいると誰もが思っていたあの人がだ。ただそれだけでよからぬなにかがあると匂わせるには充分だろう」


「でも、全部非公開にされていたわけじゃないんですよね。なにか手がかりになるようなものはなかったんですか?」


「どうやらテツさんは、この隔離地区三三四の付近で追っていた悪神憑きとの戦闘があったらしい。通称呪い蜂。しっかりと記録が残っているくらいだから、かなり厄介な奴みたいだが――」


「その呪い蜂とやらも、行方不明に?」


「ああ。しっかり記録に残ってるような悪神憑きが生死も消息も不明になるなんてそうそうない。いま向かっている場所でなにかあったのは確実だろう」


「ひとつ疑問なんですが――なんでそんなやべー案件がセンパイのところに来たんですか?」


「俺だから、だな。仮に俺がここで行方不明になったところで、それを隠蔽するのも理由を捏造するのも簡単だからだろう。いまの俺は、協会から独立しているから、簡単に使える捨て駒だ。成功すればよし、失敗したら相当の準備をしてことに当たればいい。要するにそういうこった」


「センパイは、それでいいんすか?」


「いいか悪いかでいえばよくないが――そういう扱いをされる覚悟はできている。そうじゃなきゃ、独立なんてできねえよ」


 そこまで言ったところで、フロントガラスの先にうっすらとした障壁が目に入った。隔離地区の証。一花は車を停止する。


「車はどうします?」


「ここで停めといても問題ねえだろ。ここまで駐禁を取りにやってくる仕事熱心な警官がいるとは思えねえし」


「それもそうっすね」


 一花はエンジンを止め、キーを引き抜いてこちらへと手渡した。


「それじゃあ、まず準備を始めよう。たいしたことやるわけじゃあないが――必要だからな」


 藤夫はそう言い、一花もそれに同意したところで、二人は車から外に出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る