リトルトン学校
仲村有生
第1話
俺は、カフェで美月を待っていた。
「ねえ、久しぶりにちょっと話せない?」
そう言って電話で美月に誘われたのは、昨日のことだ。美月とは数か月前を境にぱったり会っていなかったから、少しだけ顔が強張った。なんだろう? 何か重要な話か……? そう思ったけれど、美月の気分屋はいつものことだったからあまり深くは考えなかった。あの頃、どれだけ美月の横暴に振り回されていたか分からない。今も、とにかく明日の夕方ごろに会いたい、とだけ聞かされ、問答無用でカフェの場所を指定された。はあ、とため息を吐いたが、とりあえず分かった、とだけ返事をした。しかし、電話を切った後、思いがけず緊張している自分がいたことに気付いた。美月とは、普通に話さなくなったわけではなかったから。
そして今日、約束の時間にカフェで待っていると、案の定美月は時間通りに来なかった。一瞬怒りが湧いたが、すぐにふう、と息を吐いて自分を落ち着かせた。こんなことは、いつものことだ。諦めて、ウェイトレスを呼び止め、コーヒーを注文した。コーヒーを待っている間も美月は来ない。外を眺めた。来ない。メニュー表をちらちら見る。来ない。イライラしているところに、美月よりも先にコーヒーがやってきた。全く、何してるんだか……と思っていたところで、ようやく美月がやってきた。カランコロン、と扉のベルが鳴り、いらっしゃいませ、という声がする。思わず、俺は顔を伏せた。その顔は、あの頃のままだった。あの頃の、美しいまま……。ふるふると頭を振った。邪念だ。そんなこと、考えちゃだめだ。
「お待たせ」
何の反省もしていない様子で、けろっと席に座った。ブロンドの髪、すっと筋の通った鼻、色つやの良い唇……そして、切れの長いアイスブルーの瞳……。
「お前、反省してないだろ」
「そんなことないよ」
美月の悪びれない態度に嫌気が差し、足先がトントンと動き始める。
「それで、話ってなんだよ?」
「ああ、話ね」
美月は通りかかったウェイトレスにコーヒーを注文すると、ぽつりと話し始めた。
「最近聞いた話なんだけどさ、リトルトン卿知ってるでしょ?」
「ああ、もちろん」
「リトルトン卿、生きてるらしいよ」
「リトルトン卿が?」
驚いて、思わず飲んでいたコーヒーを吹きだした。
「ああ、もう、大丈夫?」
美月がハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう…………」
僕は恥ずかしい気持ちを抑えつつ、ハンカチを受け取って、服を拭いた。
リトルトン卿と言えば、ちょっとした有名人だ。確か、なんとか財閥の社長で、一代で相当の財を成した人らしいだとか聞くが、そちらの方はあまり有名ではない。リトルトン卿と聞いてまず人々が思い浮かべるのは、リトルトン学校のことである。リトルトン学校は、その名の通りリトルトン卿が創設した学校で、中高一貫の男子校である。そしてこの学校が特殊なのは、選抜基準に学力を一切設けていないという点だ。入学に必要なのは…………美貌。ただ、それだけである。
しかし、この話はあくまで十七年前までの話だ。十七年前、リトルトン卿が交通事故であっけなく亡くなったという話が新聞の一面を飾った。「リトルトン卿、交通事故に死す」などというふざけた文言と共に。そして、それをきっかけにリトルトン学校の体制は一新され、一般的な学校と同じように学力試験による選抜が行われるようになった。今でもリトルトン卿は有名だが、十七年の月日が流れ、かつてのリトルトン学校はある種の都市伝説と化してきている。
「なんで、今頃?」
思わず、言葉が口からこぼれた。
「さあ」
美月は肩をすくめた。美月が動くたび、金色のさらさらとした髪が少年のまつ毛を撫でた。
「ちょっと前からそういう噂があってさ。なんか、リトルトン学校って変わったでしょ?」
「変わった?」
うーんと唸ってみたけれど、あまり思いつかなかった。
「変わったかな?」
「やだなぁ、分かんない? なんか美形の男子が増えた気がしない?」
美月は、そっと流し目で外を見やった。
今俺と美月がいるカフェからは、窓から外が良く見える。そして、そこにはリトルトン学校の仰々しい校舎が、我が物顔で居座っていた。
時刻は午後四時。大量の生徒たちが門からぞろぞろと出てくる時間だ。
「イケメンだねぇ」
美月は、すっかり冷めきってしまった紅茶で喉を潤しながら、うっとりとその生徒たちに視線を向けた。
「でもさ、お前、今リトルトン学校にいるんだろう? 確かお兄さんもそうだったんじゃ……」
「あんまりお兄ちゃんの話はしないでよ」
むっと口をとがらせて、眉をひそめた。
そうなのだ。美月はたしか十五歳でリトルトン学校の三年生だったはずだ。兄貴は十七だから恐らく五年生。三年制高校の二年生にあたる。
手持ちのコーヒーに砂糖を一さじ入れて、スプーンでかき混ぜながら、
「お兄さんのこと、嫌いなのか?」
「どうして?」
「だって、兄貴の話はしたくないって……」
「ああ、まあ、したくはないよ。でも、別に嫌いってわけじゃない…………」
と、ごにょごにょした口調で言った。その時俺は、なんとなく、お兄さんのことが好きなんだろうと思った。
「お兄さんのこと、本当は好きなんだろう?」
「だ、誰が…………」
ぽっと頬を赤らめた。
それを見て、おや、と思った。なんだか反応が、普通の兄弟に対するものとは違うような気がした。ただの思いつきで言ったまでなのに、美月は、もじもじと俯いたままで、しばらく気まずい沈黙が流れた。しかし、それがどういう意味を表すのか俺には分からなかった。
「俺、変なこと言ったかな」
「ええ、ああ、言ってない、言ってない…………」
美月は頭を大きく横に振りながら、なおもごにょごにょ何かを言っていたが、それを誤魔化すように、紅茶をすっかり飲み干した。
「違う、兄貴……の話じゃないの、今言いたいのは。つまり、最近のリトルトン学校はやたらとイケメンが多いでしょ? だから、リトルトン卿は実は死んでなくて、十七年経ってほとぼりが冷めてきた今になってもう一回リトルトン学校の実権を陰で握り始めたんじゃないかって噂なの」
「それはないんじゃないか? だって、リトルトン学校は美形の男子っていうのが募集要項だっただろう? しかも入学から卒業まで生徒側は一切お金を払わなくて良くて、その代わりに学校から毎月何十万もの金が振り込まれるっていうから器量の良い息子を持つ親たちがこぞって学校に応募させたんじゃないか。よっぽど金持ちだったんだろうなリトルトン卿は。まあそれは置いといても、今のリトルトン学校はそんな募集をかけていないし、普通に学費も払わないといけないだろ。それで器量の良い男子ばっかり都合よく集まってくるか?」
「まあそこだよねぇ、問題は」
窓の外は、段々と夕暮れが近づいてきている。もう秋である。日は短くなってきて、どっぷりと赤い夕陽が空に浮かんでいる。太陽に昼間のような力はなく、空の端は紫がかっていた。
「問題?」
「僕は真相を突き止めたいんだよ。だって、学校に通ってると、僕の一つ下、二つ下の学年が、それより上の学年と比べて明らかに皆顔が良いんだよ。本当だよ。絶対何かあるんだよ。確かにどうやってあんなにイケメンばっかり集められるのか分かんないけど、知りたいんだよ」
息巻いて話す美月に半分以上呆れながら、僕は今日飲んだコーヒーのことをぼんやりと思い出していた。
「わざわざそんなこと話すために学校早退して、ここのカフェに俺を呼び出したのか?」
「もちろん。だって、実零君最近仕事忙しいんでしょ? 僕が都合合わせなきゃしょうがないでしょ。学校くらい早退するよ」
思わずため息が出た。
「呆れたな。そんなこと、俺に話してどうするっていうんだ。全く…………もうそろそろ帰るか?」
「待って、話はこれで終わりじゃない」
「何?」
美月は嬉しそうに、薄く形の整った唇でにっこりと笑った。
「調べて欲しいんだよ」
「何を?」
「だから、なんで最近のリトルトン学校はあんなにイケメンばっかりいるのか。もっと言うと、リトルトン卿は生きてるのか」
僕は冗談だろうと思った。ふざけるなという言葉が喉まで出かかった。どうしてそんなことを頼まれなければならない?
だが、美月の目を見る限り冗談を言っているようには見えなかった。そのことが、僕を地の底まで絶望させることは言うまでもなかった。
「嫌だよ」
「どうして?」
「面倒すぎるだろ。俺はやらないぞ」
どうしてだか分からないか、美月は断られるとは思っていなかったらしく、何で? と不思議そうに聞いた。
「リトルトン卿が生きてるかなんてどうやって調べるんだよ」
「知らないよ」
「知らないってお前…………」
「実零君リトルトン学校の友達多いから何とかなるでしょ。それにこんなこと頼めるの実零君しかいないよ。お願い」
「変わらないな…………。お前の頼み事はいつもむちゃくちゃだよ」
「そういう所が嫌だったの?」
「嫌だったよ」
「じゃあなんで今日会ってくれたの?」
「それは…………」
美月は席を立つと、隣に座って、僕の手をそっと握った。
「お願い……実零君にしか頼めないよ、僕…………」
そう言われては、僕は折れるしかなかった。
リトルトン学校 仲村有生 @yuochan_zikaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。リトルトン学校の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます