モルティングマン 第2部【The Loot Box Monster〜Molting-man〜Part2】

押見五六三

プロローグ

 その男はリビングで安価なソファーに座り、インスタントコーヒーを楽しんでいた。

 彼の身体からしたら、些かソファは小さい。だが彼は、このソファーを甚く気に入っている。唯一安らげる場所であり、ここに座っていられるという事は、今は平和だという証だ。

 彼のコーヒーカップを持つ手や、薫りを嗅ぐ鼻には真新しい傷が有る。よく見ると生傷は彼の身体の至る所にあり、彼が闘いを生業にしている事を教えてくれている。

 彼はその闘いの件で朝から基地に向かう予定だったのだが、伝令で今日は自宅で待機して欲しいとの事だった。

 そんな彼の元に、隣りの寝室からオーバーオールを着た小学生の娘がやってくる。


「パパ、ちょっといい?」


「なんだケイリー?」


「ノゾミさんがね、パパのプロテインサプリを食べていいか聞いてるの」


「駄目だ。あれはもう手に入らない貴重な物だからな」


「あとね、パパの電気カミソリを食べていいか聞いてるよ」


「駄目に決まってるだろ。明日から髭が剃れなくなる」


「あと、寝室のタンス食べて――」


「駄目だッ!タンスなんか食ったら承知しねえぞ!」


「ぜんぶ駄目だってー!戻せる?」


「もう食った後かよッ!!おい!!ノゾミ!!」


 男は慌ててリビングから寝室に向かった。

 そこには誰も居らず、変わらぬ部屋の光景があった。

 いや……変化している場所が一箇所有った。

 思わず目を疑いたくなる奇怪な光景が……。

 寝室の隅に置かれたアンティーク調な整理ダンスの上に、金髪少女の生首が置いてあるのだ。

 正確にはタンスから生首が生えている。

 知らずに訪れた人間が見たら卒倒しかねない不気味さだ。


「……何してんだノゾミ?」


「違いまス。タンスでス」


 タンスに生えた生首が喋った。

 瞬きもしない生首が、しれっと自分がタンスだと言い切ったのだ……。


「タンスが喋るわけ無いだろ」


「パパ!聞いて!学校のお友達から聞いたんだけど、日本のタンスは時々喋るらしいわ」


「そんなわけ無いだろ!何のメリットが有るんだ!」


「タンスさん、タンスさん。フェイスタオルはどこ?」


「三段目ノ引き出しでス」


「ワーオッ!パパ!タンスが喋ると、とても便利だわ!」


「必要ないッ!!」


「ママー!!こっち来てー!!パパがね、私達の命の恩人のノゾミさんをイジメようとしてるのー!」


「きたねーぞ!ケイリー!」


 ちょうどタイミングよく、娘の母親のアヴァが玄関側から首を傾げながらやってきた。

 その手に10インチ程のダンボール箱を持っている。


「ん?何だ?その箱?」


「今、玄関で宅配の人から受け取ったのよ。どうやら貴方宛てみたい」


「俺宛て?俺がここに住んでいるのを知ってるという事は、差出人はリンナか?」


「それが日本語で書いて有るから読めなくて……」


 男は荷物をアヴァから受け取ると、送り状を確認した。届け先の氏名欄には『ケイス・ドゥンカー』とカタカナで書かれてある。

 男の名前だ。間違いない。

 男、ケイスは自分の名前のカタカナ表記までは分かったのだが、依頼主の方の名前が漢字表記なので全く読めなかった。


「何て書いて有るんだ、これ?」


「貸して、パパ!」


 ケイリーは父親から箱を受け取ると送り状を確認する。そして口を窄めて不思議そうな顔をした。


「【空蝉ウツセミ】って書いてあるわ。エンプティ・シケイダの事よ。日本人の苗字や名前にしては珍し過ぎるの」


 その言葉を聞き、ケイスは慌ててケイリーから箱を奪い取った。


「ケイリー!アヴァ!お前達は下がってろ!ノゾミ!怒らないから出て来い!」


 その言葉が部屋に響いた瞬間、整理ダンスが真ん中から綺麗に割れた。

 中から粘液塗れの金髪少女が現れる。

 金髪少女は、いつの間にか頭に青いつば広帽子をかぶり、鮮やかなブルーチュールワンピースを着ていた。

 割れたタンスは不思議な事に、先程までの木の硬さを失って床に落ちている。まるで動物の皮のようだ。

 抜け殻と成ったタンスの中も粘液塗れに成っていて、肉眼では見えないが顕微鏡で調べれば地上では決して見られない何万種もの細菌が蠢いているのが分かるだろう。

 タンスの中に入っていた……いや、タンスに化けていた金髪少女のノゾミは、粘液が乾くとケイスの側に近寄った。


「ノゾミ。この間基地で盗み食いした金属探知機だせるか?」


「ハイ。出せまス」


 金髪少女ノゾミは右腕を前に伸ばした。

 金属探知機など手にしていない。

 だが……。


「るゥーるゥるるる、マジカルーこっそり食べちゃった金属探知機スティラーメタルデテクター!」


 金髪少女が全く必要ない呪文を叫んだ。

 彼女の右腕が真ん中から裂ける。

 裂け目の中から金属探知機の先端が出てきて、どんどん伸びてくる。

 右腕は完全に金属探知機に変わってしまった。

 そして彼女はそのまま金属探知機に成った腕を箱の上に翳した。


「反応有りマせん」


「そうか。箱を開けるから、もし中にヤバい物が入ってたら、そのまま食ってくれ」


「分かりマした」


 ケイスは険しい顔をしながら用心深く箱を開ける。

 アヴァが心配そうに見ながら娘の肩を抱く。

 対照的にケイリーは、楽しそうにワクワクしながら次の展開を期待している。

 金髪少女ノゾミは、食べる気まんまんで嬉しそうに待ち構えていた。


 箱が開いた。

 中には気泡緩衝材きほうかんしょうざいに包まれた丸いガラスが入っている。

 ガラスの中には沢山の煌めくラメやサンタクロース人形が……スノードームだ。

 ケイスは手にして安全を確認した。

 よく調べたが何の変哲もない普通のスノードームだった。


「オ醤油かけて良いでスか?」


「ガラスだからソースは染み込まねえよ」


「なオ、この物体はノゾミさんガ食べテ自動的に消滅させまス」


「腹こわすかも知れねえから、やっぱり食わなくていい」


「その中の紙モ食べちゃ駄目でスか?」


「中の紙?」


 ノゾミに聞かれて箱の奥に二つ折りのカードが挟まっている事に気付いたケイスは、そっと指に摘んでそれを取り出し、用心深く開けて中を見た。

 そこには、モノクロタッチの空蝉の絵と【第2ゲームスタート】という文字が書かれてあった。


「ストーカー野郎が……」


 どうやら彼は暫く、お気に入りのソファーには座れ無さそうだ。




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