里帰り

こぼねサワー

第1話【完結】

 秘境の温泉があると聞き、旅好きのぼくは、新幹線と列車を何本も乗り継ぎ、とどめに、半日に一本しかない単線列車に揺られた。


 車両の長辺に沿って長いシートが1列づつ配置されているタイプの簡素な座席で、ぼくの対面のシートの真ん中あたりには、車窓を流れる初夏の新緑によく映える、淡い色のワンピースを着た、20代後半くらいの女性が座っていた。


 一両しかない車両に、乗客はぼくと彼女ふたりっきりなのである。

 声をかけないのがかえって変な気がして、ぼくは、なけなしの愛想笑いをせいいっぱいにつくろうと、

「やはり、温泉旅行ですか?」

 と、たずねた。


 彼女は、伏せた顔を静かに上げて、かすかに微笑み、

「いいえ。実家に里帰りです」

 と答えたきり、またうつむいてしまった。


 それっきり会話はとぎれてしまったが、終着駅につき、ぼくが立ち上がって網棚に手をのばし、荷物を取ろうとしていると、

「よいご旅行を」

 と、きれいな笑顔で声をかけてくれて、軽やかにホームに歩き去っていった。


 駅を出て、けもの道のような細い山道をてくてく歩き、このあたりに一軒しかない小さな温泉宿についた。


 夕焼けの木漏れ日を浴びながらの濃厚な源泉掛け流しの岩風呂をぞんぶんにタンノウしてから部屋に戻ると、夕食の支度をしにきてくれた女将さんが、恐縮そうに言った。

「若いお客様には退屈じゃないですか? ここいらには飲食店もコンビニもないから」


「いえ、静かでとても落ち着きますよ。でも、住んでる人たちにとっては、ちょっと不便でしょうね」


「この宿のほかに、ここいらに人は住んでませんよ」


「え? でも……」


「むかしは、駅の向こうに小さな村がありましたけどね。10年前にダムができて、家も畑も、みんな水の中に沈みましたので」



 おわり

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里帰り こぼねサワー @kobone_sonar

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