嫌われた方がましだったよ

「栞、今度の日曜、会えないか?」

「え?別にいいけど」

「じゃあ、3時にいつもの喫茶店で」

「…うん」


何か、嫌な予感がした。その予感は、日曜日が訪れる前に、確信に変わった。約束した…させられたその日の帰り道。私は目を疑った。


「たっくん!逢いたかった!」


「!?」


私より、明らかに年下の女の子が、そう叫んで、飛び込んだ胸のあるじは、拓真、だった。東京、青山の冬のイルミネーションの下、誰から見ても、2人は恋人同士だった。私は、驚いた。もう…何が起きているのか…全く解らず。そのまま、自分でも自覚なしに、2人の後をそっとつけた。


2人は私が、拓真に連れて行ってもらった事の無いすごく素敵なイタリアンのお店に入っていった。慌てて、コンタクト外し、メガネをかけ、私も店内に入った。すると、


「これ。これ渡したくて今日、急に美嘉を誘ったんだ」

「え?これ…」


そう、それは、だった。何が起きてる?拓真は私と付き合ってるんだよね?私、拓真の彼女…だよね?拓真の、彼女、私だよね?何だか、気管がぜーぜー言う。心臓が高鳴る。冷や汗が背筋に流れる。そのまま、息も出来ず気配を消して、そっと2人の会話に耳を澄ました。


「うれしー…」


美嘉、と呼ばれた女が、涙目になって、その指輪を見つめる。もう怒りなんてない。悲しみもない。辛ささえどっかに飛んで行った。ただただ、現実を見ていた。その現実に、私は、それ以上、その場に居る事が出来なくなった。2人にバレないように、そっと席を立つと、店を跡にした。



その後は、イルミネーションが煌めく街をフラフラぶらついて、一人カラオケをして、居酒屋で熱燗を3本飲んで、千鳥足になりながら、家に帰った。玄関のかぎを開け、扉を閉めると、その扉に背中をこすりつけながら、しゃがみこんだ。拓真と付き合いだして、私が怒る事はあっても、泣いたことは1度もなかった。



今夜、止まることなく頬をひたすら激走する涙の足が、洋服まで駆け抜けてゆく。



「はは…はははは…ばっかみたい…」



そして、次の日、私は、日曜日を待つ気にはなれなかった。だから、朝1番で、拓真に声をかけた。で。


「拓真、今夜、飲まない?」

「あぁ…でも、日曜に会うじゃん」

「今日が良い」

「…まぁ…良いけど…」


引き延ばしても仕方ないか…みたいな事を考えているのだと、私はすぐにピンときた。そして、仕事を終え、いつもの居酒屋で、2人は、しばらく無言で過ごした。呼び出したはいいが、一体私から何を話せばいいのか、急に怖くなって、昨日、自分で決めたさよならの仕方を、切り出す勇気が中々湧いてこない。


ウーロンハイが終わりに近づいたその時、先に口火を切ったのは、拓真の方だった。


「栞、話がある」


「…あの子の事でしょ?美嘉ちゃん…だっけ?」


「な、なんでそれを…」


拓真は動揺し、机の上のグラスに肘を当てた。私の脳は結構都合が良いらしい。その後の、拓真の言い訳は、全く頭に入って来なかった。はっきり言ってどうでもよかった。ただ、今夜くらい、泣いてやろう、と思っていたのに、拓真は、


「あいつ…ちょっと弱いとこあって…俺が付いてないとダメなんだ。でも、栞は強いから、俺が居なくても、大丈夫だろ?」


泣きたかった。でもここで泣いたら、拓真は、どんなに罪悪感を抱く羽目になるだろう?そんなこと、させられない。私がいけない。拓真の事ばかり優先して、いつも強がって、我儘も言わないで、大人の女を着飾って…。拓真に、自分が居なくても大丈夫な女だと、思いこませたのは、私なんだから。



でも、あんなに一緒にいたのに、拓真に嫌われたくなくて、強い女で居続けた事が、こんな終わりを運んでくるなんて…。好きだったから、拓真が、好きだから、その失敗が、尚更悔やまれた。



『私を忘れないで』



そう言いかけたけど…。



「私の事は忘れて、あの子と幸せになってね」


「…栞は、本当に強いな。美嘉とは正反対だ」


その言葉は、私と拓真の思い出を粉々にするのには十分な破壊力だった。


(強い…か…私、なんでこんなこと言ってるんだろう…)


虚しくて、哀しくて、苦しくて、こんなにも辛いのに、結局、私は、拓真に1度も涙を見せることなく、別れた。



その日、家に帰って、テレビを吐けて、ぼんやりとCMが明けたのが見えた。

涙が止まらない私がいた。



『栞は本当に強いな。美嘉とは正反対だ』


「そんなこと言われるんだったら…嫌われた方がましだったよ…」


呟くと、栞は、退職願を書いた。

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「君は本当に強いね。あいつはちょっと弱いからさ」 @m-amiya

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