網戸
黒羽椿
網戸
網戸の位置が、変わっている。
それに気がついたのは、いつ頃だっただろう。この部屋に入居してからすぐだった気もするし、つい最近だったような気もする。だが、事実として網戸は確かに動くのだ。私が眼を離した隙に、独りでに。一人暮らしだというのに、だ。
もちろん、私自身が網戸の位置を変えることはあるだろう。右に、左に、また右に。そういったことの積み重ねであって、実は網戸は私自身の手によって、動かされているだけではないか。若年性健忘症という病気もあるらしい。記憶に残っていないだけで、それは私自身の奇行によって生み出された産物なのでは。そう思ったこともある。
だが、確実に網戸は私の埒外で動いているのだ。試しに一度、それなりの値段のするカメラを買って、時間の許す限り網戸を録画したことがある。しかし、いくらやっても無駄だった。カメラ自体にはどこにも故障などは無いのに、録画データを再生すると、肝心な網戸が動いたと思われる箇所だけ映っていないのだ。
この光景には見覚えがあった。まるで、映像が編集されている様だ。一瞬、映像がちぎれて、またすぐに戻る。戻ったときには、既に網戸は反対方向に動いているのだ。謎は深まるばかりである。
そんな私の一日はまず、網戸の写真を撮ることから始まる。朝起床すると、スマホのカメラを起動して、網戸を同じアングルで撮影する。元々あまり写真を撮る方ではないので、私の写真フォルダはただ、網戸の位置が変わっているだけの同じ光景で埋め尽くされている。
網戸が勝手に動いている。それだけのこと。たった、それだけのことだ。私には何の被害を及ぼさないし、だからといって面白い話でもない。これで幽霊の一人でも出てくれば、与太話にしてしまえたのに。網戸は、そんな私の気持ちをまるで分かってくれない。
今日もまた、網戸を撮影する。昨日の網戸は左だったのに、朝起きたら右になっていた。もちろん、私は網戸に昨日、触れた記憶は無い。怖くは無いが、不思議である。
それは変わらない在り方だった。時間が止まらずに進むように、網戸は今日も動く。ごく自然で、ごく当たり前な、一現象にすぎない。むしろ、網戸は今日も動かなくてはならないのだ。
もはや私にとって、独りでに動く網戸は日常となっていた。もし、網戸が動かなくなったのなら、それは驚天動地の騒ぎとなってしまう。網戸がその動きを止めるというのは、地球が自転を停止させるのと同義であったのだ。
今日もまた、網戸を撮影する。昨日は右だったのに、今日は左だ。変わらない動きに、安心感を覚えた。誰も網戸の位置如きを気にすることは無いのだろう。これは私だけの、私だけが知っている常識だ。網戸は独りでに、今日もカラカラと音を立てながら動く。たった一人で、誰の手も借りずに。
次の日も、次の日も、またその次の日も……変わらず、網戸は動く。左に、右に、左に。朝が来て、昼になって、ゆっくりと夜に変貌するように、今日も動き続ける。私はその姿を夢想すると、酷く恍惚とした気分になる。どんな名画であろうと、どんな自然現象であろうとこの美しさには敵わない。まさに、私だけの神秘なのだ。
ふと、こんなことを考えた。人間である以上、備わっている感情の一つである、好奇心の芽生えによって生み出されたそれは、至極単純。網戸が誰の手も借りずに動くところを、見てみたいと言うものだった。神秘の冒涜である。こんなこと、許されて良いわけが無い。
そんなことを見ても何にもならない。科学者達が必死で宇宙の謎を解明しようとするのとは、全く意味が違うのだ。彼らが躍起にその正体を解き明かすのは、人類が次のステージに進むために必要な真実だ。そこには価値があり、意義があり、意味がある。
網戸が動くところを見たとて、満たされるのは私のちっぽけな好奇心だけだ。さらに、それで網戸の神秘が失われてしまったら? どう考えても、見る必要など無い。そう何度唱えても、私の心には依然として矮小な科学者が頭を回し続ける。私の脳とは別の、いわば好奇心の脳みそが勝手に動き回るのだ。あの網戸を真似するかの如く。
起きて、網戸を撮って、一日中網戸が動く瞬間を妄想して、また起きる。私の脳みそが好奇心の脳みそに毒され尽くすのも、時間の問題だった。
それは月明かりが部屋を照らす、満月の夜だった。夜闇に慣れた眼は見開かれ、幻想的な雰囲気をすら醸し出す網戸を見つめる私が居た。床に腰を下ろし、何をするでも無くずっと網戸を見つめる。たったそれだけなのに、私の心臓は唸りを上げる。感じたことの無い興奮だった。
叫び出したくなるような静寂だった。遠くから唸りを上げるトラックも、気の触れた酔っ払いもいない。私と網戸に遠慮するように、その日は静かだった。
あぁいや、一つだけ音を立てる不届き者が居た。私と網戸の無言の語らいを邪魔する、空気の読めない落伍者が私の部屋には居座っていた。
カチリ、カチリ。一定のリズムを刻みながら、不愉快な音を嘆き続ける。カチリ、カチリ。機械的に、意志薄弱に、自主性の欠片も無い鉄くずが。カチリ、カチリ。私の思考を遮る。カチリ、カチリ。狂いながらも、その動きは緩慢に、規則的に動く。カチリ、カチリ。
一瞬、記憶が飛んでいた。それはカメラの映像の様に、編集されたみたいだった。焦る私は網戸と、スマホに保存してある今日の網戸を見比べる。私の記憶は、信用ならないのだ。
……良かった。網戸は動いていなかった。網戸が動くのは一日一回。一度右に行った後、再び左に戻ることは無いのだ。だから、この網戸はまだ動いていない。
眠っていたのだろうか。私は網戸が動くその時まで、起きているつもりだった。徹夜というのは思考力を鈍らせ、精神や肉体をも蝕む自傷行為だ。どれくらいの間、私は記憶を飛ばして居たのだろう。
時計を確認する。なんだ、針は最後の記憶と同じ場所を指しているではないか。少しばかり焦って損をした。私はズキズキと痛む拳をジッと見つめながら、既に眠気など無いことを自覚したのだった。まだ、網戸は動かない。
今、私に絵の才能があったのなら、すぐにキャンパスと絵具を準備して模写を始めただろう。構図や色合いなど、考える必要は無い。この色で、この位置で、このままで、既に完成している。私が手を加える必要など、一ミリだってありはしないのだ。
完成、完璧、完全だ。これに手を加えることは泥を塗りたくるも同然であり、人間がアレンジすることは許されない。とはいえ、写真以上の精度を持って今日の網戸を描くのは、現実的では無いのだ。なればこそ、私が今することはこの網戸を脳に焼き付けることだ。
遠くからバイクの音が聞こえた気がする。チラリと時計を確認すると、針は動いていなかった。どうやら、壊れているみたいだ。今が何時かも分からない。
目が霞む。神聖なる網戸を見過ぎたせいだろう。双眸はだばだばと涙を垂れ流し、破裂しそうなほど痛い。
ずっと、涙が止まらない。これは感動の涙なのだろうか? はたまた、辛うじて頭に残った、好奇心を嫌悪する脳みその微かな抵抗だろうか? 分からない。分からないが、私の感情は不思議な調和を発していた。
網戸の正体を看破したい好奇心と、神秘をそのままにしておきたい純粋さ。
抵抗を続ける脳みそと、体の主導権を一切委ねない好奇心の脳みそ。
網戸と私だけが存在するこんな夜に、その役目を果たさないゴミ。
その全てが融和して、私に刻み込まれる。不快な幸福。楽観的な悲しみ。どこまでも超常的だ。
ただ網戸を見つめる。ゆっくりと夜が更けて、少しづつ光が昇っていく。夜はどこかに姿を消して、この世界に必要な主役がデカい顔して空に浮かぶ。
空が白んで、真っ青な朝に染まっていく。幻想的な夜は消えて無くなって、普遍的な朝が今日もやってきた。
ふと、今まで静寂を保っていた黒い板が唸った。そこに目を向ければ、私がいつも起きる時刻を指し示していた。
網戸は、動いていなかった。一センチも、一ミリも、一ミクロンも、動いていない。
その日、神秘は打ち砕かれた。それが良いことなのかは分からない。くだらない現象で説明せず、神秘は神秘のまま秘匿されたのだから、それで良いような気もする。
けれど、例外が出来てしまった。地球の自転が止まってしまったのだ。それは、一日だけといえどもあってはならないことだ。網戸は、独りでに動かなかった。
私はゆっくりと立ち上がって、太陽光線の眩しさに眼を顰めながら窓を開けた。
いつものように、洗濯物を干す時みたいに手軽に、網戸を横にスライドする。網戸は左に動き、やがてその動きを止めた。
そのままベランダに出て、体を伸ばす。バキバキと音を立てて、凝り固まった筋肉が動く。
網戸をそのままにして、窓を閉める。
これで、網戸は今日も動いた。今日も地球は回っているのだ。
私は網戸の写真を撮って、ベッドの上に横になるのだった。
網戸 黒羽椿 @kurobanetubaki
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