バッドエンド

秋本涙

第1話

これは引きこもりの少年が妹を救う話だ。

そしていじめられっ子の少女が少年を外に連れ出す話でもある。


銘は黒崎家の一人娘だ。


幼いころ銘は母から、豪邸の中にある仕事部屋には絶対に入らないように、と言われた記憶がある。薬師なので毒や動物実験など危険が多いらしい。窓も曇りガラスで覗くことすらできない。

小学校が休みの日、両親が旅行に出かけたので銘は一人になった。彼女は物心ついたころから気になっていた、開かずの間を訪れる。

鍵のかかった扉には、最近開かれた形跡がない。固いドアノブを握って、銘は首を傾げる。おかしい。ここは父の仕事場への入り口のはず。細かい埃がついた手を眺める。ノックしても返事はない。

つまらない。いつか機会があったら謎を解こうと思っていた開かずの間。そもそも謎がないなんて。

いまは使われていないただの仕事部屋なら、いっそ扉を壊してもいいかな。武器を探そうと振り返った銘は、人影を見つけた。

この豪邸に使用人はいない。基本的に家事は母が行い、父や銘もたまに手伝う。持て余して使わない部屋は、清掃員を雇っていると聞いた。今日がその当日なのだろう。この開かずの間付近の部屋が清掃員の仕事場となる。

扉を壊す前に、彼に話を聞いてみよう。あの部屋の秘密に何か気付いたことがあるかもしれない。秘密や謎があるか否か、好奇心だけで銘は行動した。

マスクをつけた清掃員らしい格好で箒を使う人影は少し背丈が低い。あれ? 近づいて見ると人影は、十代の男の子だった。銘からすると五つほど年上だろうか。

青み掛かった眼を見開いた男の子。無表情に黒い眼で見つめる銘。


「もしかして、あなたが不治の病に効く薬をつくった人?」


臓器くじという思考実験がある。臓器提供が必要な患者のために、手段が一つに限られるなら人を殺してもいいか否か。

ある日突然眠るように亡くなる原因不明な不治の病を、それに例える人も多い。神に選ばれた如く、遺体の臓器に適合者が必ずいるのだから。次第に、病で死んだ人たちは「他人の命を救う英雄や聖女」と敬われるようになった。

その治療薬はネット上のみ販売され、初めは真偽を疑われたが効果が確認されると、物議を醸しだした。病気を治して、臓器移植を必要とする多数の人を見殺しにする選択肢ができたということだった。


非難されると思ったのか、男の子はびくっと肩を震わせてから俯く。銘は彼の手を取って、素晴らしいと思うと言った。身体のどこも悪くないのに、自分の死に怯えていきなきゃならないなんて馬鹿げてる。

銘と類は名乗りあって、お互いの話をした。

類は物心つく前に銘の両親に引き取られた里子だ。五歳のころ数学の問題を解いたら、親バカ心に火が付き、様々な座学を教えられた。成長するにつれて父の仕事である調薬に類が興味を持って、家での遊びの域で学んでいった。類は自己顕示欲から、あらぬ方向に手を伸ばしてしまった。家の情報はあるのに両親が避けていた薬の研究を、あと一歩を天才児は完成させた。その時に実父が死んでいることを聞かされた。友人の死に間に合わなかったと諦めて、心を癒していた両親は泣いた。そして、類を逆恨みして、無謀な不老不死の薬をつくるように言いつけ、軟禁したのだ。

銘は両親が自分を誰かと比べていることはずっと分かっていた。それが頭脳明晰な類だった。ネグレクトされる銘は表情なのは、反応しない方が両親から暴言を聞く機会が減るからだ。小学校では孤立しているが、自分はいじめられていない。銘は初めて他人に、類に同情した。翌日の小学校で、いじめられている少年がいる。気まぐれに銘は助けることにした。類は薬で人の命をすくっているのだから。それからいじめのターゲットが銘に変わった。

あくる日、二人が再会すると、いじめによる暴行の痣が顔以外の至るところにあった。類は驚き即座に薬を取りに行き、銘を治療した。無表情だった銘は、そこで初めて痛みを感じたように眉を寄せた。ありがとう。それからも銘は小学校に通うのを止めず、傷ついたら類に癒してもらうようになる。自分がいなくなったらまた、元いじめっ子が標的になるかも。銘はことも無げに言う。類は小さく、自分も外に出られたら……と呟く。


一年後、銘の小学校卒業式が近づく季節。両親は銘が私立中学受験をすっぽかしたことに憤っていた。銘は両親の悪態を無視して廊下を歩く。

遠くで、開かずの間の扉が開いた。

類が出てくる。出てくるな、と両親の怒声。

「不老不死の薬が完成しました」

両親の表情が変わって、研究室の中へ雪崩れ込む。銘も巻き込まれた。

薬を掴むと自分で飲むかと思いきや、母が腕を拘束する銘の口元に父が薬を運ぶ。銘は抵抗して類は止めようとするが。

「なんだ。やはり未完成の毒か?」

父の言葉に類は首を素早く横に振る。類は自分が飲むから、ともう一つを懐から取り出した。父は念のため自分が持つ方と交換した。

類が薬を飲む瞬間。彼を見る両親の隙を突き、銘が父の手を蹴り上げた。

薬の小瓶が転がるが割れない。拘束を逃れた銘は、薬を飲みほした類を横目に、持っていた包丁で父の心臓を刺した。血が流れる。

母の叫び声が響く。引き抜いてそのまま、母の方へ歩く。不老不死の薬を母の方へ転がす。これから殺しに行くけど、それを飲めば助かるかもね。母は腰が抜けて動けないが、どうにかそれを手にして飲んだ。この包丁は母が持ち出した物で、銘に飲ませて不死の効果を確かめようとしたのだろう。銘はやはり母の心臓を刺した。彼女も死んだ。

よし、この薬に外傷による死は防げないって確かめられた。死んでる二人に話しかけても返事はない。そんなことより、と包丁を捨てた銘は類に近づく。


類は、銘を可哀想な子だと思っていたが覆された。外へ出られないのを言い訳に、傷ついた銘の治療することで癒されて、類の方が孤独ではなくなっていた。初めから見惚れていたが、自分たちのために血に塗れた彼女は、まさしく勇者の姿に見えた。



「これで自由だよ」彼女は生まれて初めて微笑んだ。


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バッドエンド 秋本涙 @kireigoto

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