第19話

 昔、酷いいじめがあった。

 それ自体が特別なことではない。

 どこにでもあるおおよそ社会におけるマイノリティな存在を受け入れようとしないシステム。その他大勢であるが故の保身。あるいは民主主義の汚点。個性のない者たちが行う絶対的な防衛本能だ。

 そして多くの場合、マイノリティもそのマイノリティであるが故の不遜な振る舞いを自ら省みることは少ないものだ。

 故に、そのどちらかに善悪をつけることはできない。

 ただ、それとは別に、いじめの結果として自分の命を絶つという選択をする者が現れることも、また致し方ないことである。

 些細なことから始まったいじめは実に四年にも及び、僕は自殺の決断をした。

 五階建てのビルから飛び降りたのだ。死ねるように頭から。

 絶叫マシンのような浮遊感のあと、頭に激しい痛みが走り、嫌な音を内側から聞き、そのまま意識を失った。

 そして目覚めると、病院のベッドの上だった。

 ベッドの横には母がいて、自分は生きているのだと理解した。

 そう、死に損ねたのだ。

 そんな事情が少なからず学校に漏れたのか、いじめは無くなり、代わりに腫れ物に触るような、緩やかな迫害だけになった。それでも、僕にとってみれば、十分な平穏だった。

 それから一年後、今度は交通事故に遭った。

 信号無視のトラックに直撃。

 引きずられ、右腕はほぼ千切れ、辛うじて皮一枚で繋がった状態。全身複雑骨折の上、内臓破裂。通報が遅れ、救急車が来たのはその一時間後。

 まず助からないと宣告されたはずの僕は、三週間後、何の後遺症も無く退院した。

 僕はその辺りから気づき始めていた。

 自分の体が、普通ではないことを。

 しかし、僕が自分の体のことを本当に知ることになるのは、もう少し後の話だ。

 



 予想外だったのは、中町光隆がまとも過ぎたという事だ。

 少しくせはあるが、あれだけ強力な力を持っていながら、恐れを捨てきれず、助けを求めようとは。

 もう少し、楽しませてくれると思ったのに、残念だ。

 楽しくない殺しは、なるべくしたくないのに、全く遺憾である。

 だが、まあいい。

 本命はまだ、生きたままだ。

 央城巴月。柊骨董店の店主、柊千亮ことアルベルト・ジャナンハイムと繋がりのあるこの地の支配名家の令嬢。

 目の色が変わることから、ボクと同じように魔眼や邪眼のような力を持っているに違いあない。色は黄色と青色。青い方は発動すらしなかったから分からないが、黄色い方を使ったときは、晦ましたはずのボクの居場所を正確に捉えることができた。カラクリが不明だから、何とも言えないが、もし能力を無効にする系統の力だったら、厄介だ。まあ、そんな出鱈目な能力が、人間の持ち得るものの何を差し出したところで、手に入るとは到底思えない。なにせ、世界に置いて『真実』の欠損したボクですら、能力無効には程遠い力だったのから。

 ともかく、どの道ボクの優位性は変わらない。

 さて、負傷した央城巴月は回復するまで放っておくとして、次はどうするか。

 風魔清十郎の資料によると、あのジャナンハイム扮する柊という男は、中々に強力な魔法使いのようだから、手の内を知らずに戦うのは、さすがにマズイだろう。ボクは魔法使いと正面切って戦えるほど魔術に精通してはいない。

 となると、次は彼にしよう。

 少し魔法をかじった一般人、浅岡聡介。

 彼は央城巴月のことが随分と気に入っているらしい。それが本当なら、今回の件で相当頭に来ているはずだ。

 でもね、どんなに激しても、一般人の君は役者不足だ。

 自ら率先してこちら側にいることを後悔させてあげよう。

 


 



 警察での話は、実に大したことはなかった。

 普通に事情徴収された以外は、特筆するようなことはなかったのだ。これも村上刑事の知り合いであるという理由が大きいのだろう。あとは、柊骨董店の存在か。

中町の死因を聞いたところ、頚動脈損傷による失血死だそうだ。鋭い刃物のようなもので切られていて、その傷自体はなんの不思議もないらしい。

 刃物。

 巴月の傷も刃物によるものだった。

 傷口や形状から、特殊な武器ではない。

 となると、その少年が使っていたのは、紛れもなく、ただのナイフということになる。

 では、やはり、少年の能力は直接攻撃系ではないのだろうか。

 能力をキャンセルする能力。

 先の仮定のようにそうだとすると、ナイフを使っていたことにも説明はつく。

 能力をキャンセルしている間は、恐らく自分も能力を使えない、もしくは、キャンセル以外の能力がない。

 そもそも、ひとつの欠落でひとつの異能だ。定義が広かったり、概念のアレンジで幾つもの効果を発揮する異能は存在するが、基本的には一つしか能力は授からない。能力の無効化など、強力な力ならば尚更、いくつも持っているとは考えにくい。

 考察をしながら道を歩いていると、あるところで、違和感に気付く。

 僕はあたりを見回した。

 警察署から歩いて十分ほど。僕は駅に向かって歩いていたはずだが、どうだろう。見渡した場所は、すでに見覚えのないところだった。

 僕は体中を緊張させた。

 うっかり誰かの張った結界内に足を踏み入れてしまったのだろうか。いや、誰かのなんて、言う必要はない。こんなところで、おそらく僕を待ち伏せする人物など、一人しかいないだろう。そう、名も顔もしらぬ、今回の一連の事件の黒幕だ。

「すごいですね。気づいてからの隙のなさは、央城巴月以上ですよ、あなた」

 声がしたと思い、視線を右にずらすと、そこには少年が立っていた。先程まで視界の済にすら入っていなかったのに、突然彼はそこに現れた。

「君が中町をそそのかし、挙句殺した犯人かい?」

 僕が聞くと、彼はにやりと笑って頷いた。

「巴月に怪我をさせたのも、君か?」

 尋ねると、彼は更に頷いた。

 瞬間に、僕はその方向に飛びかかる。

 最初から出し惜しみ無しの『限定解除』だ。大気との摩擦熱を感じるほどの加速。そう何分もは使えないが、通常の解除よりも更に早く動くことができる。

 捉えた、と思った。目標は目の前、すでに手の届く場所だ。左の顎を狙いすまし、右のフックを叩き込む。そのあとは、右こめかみを左の拳でだ。この二発がクリーンヒットすれば、取り敢えずは行動不能にはできるはずだ。この速度で当たったなら、拳は痛めるか、最悪折れるだろうが、仕方ない。

 少年の顎はもう数ミリだ。

 だが、すでに接触する位置まできたのに、インパクトの衝撃がない。そしてそのまま僕の拳は宙を振り抜いた。ふわりと、少年の姿が霧のように消える。

「怖いな。あなたはもっと、冷静な人だと思っていたんですがね」

 真後ろから声がして、僕は体を反転させて振り返る。

 動揺はおくびにも出さない。

 冷静に、着実に。それがたとえ、ハッタリだとしても。

「僕はね、基本的には怒らない。自分のことでも他人ことでも、とりわけ感情に響くことが殆どないんだ」

 言いながら距離をはかる。

 巴月の言うとおり、この少年は確かに妙だ。今の一瞬の攻防でわかる。よけられたのでも、防がれたのでもない。ただただ、違和感、不思議で不気味なのだ。

「でも、それだと人間らしくないから、自分の中にルールを作り、感情の指標にしている。そうしないと、どうしても人間社会では浮いて、目立ってしまうからね。だから、僕の喜怒哀楽は、実に論理的なものなんだ。けど、そんな僕にもひとつだけ例外がある」

 言いながら、思考を巡らせる。

 この少年の能力は何か。

 高速移動?

 能力の無効化?

 物質具現化?

 あるいは、それら全てを含む可能性のある力。

「央城巴月だ」

 僕は言う。

「へぇ、実に人間らしい。しかし、その人間らしさは、逆に彼女を遠ざけるのではないかな?」

 少年の気配が探りきれない。

 声はするのに、本当に消えてしまっている。

 もう少し話させて、様子を見るしかない。

「そこなのさ。僕が妙に人間らしいから、彼女は完全に『向こう側』に行かなくて済む。例えどんなに人間離れしていれも、人間のカテゴリーからずれた存在でも、僕が彼女をこっち側に繋ぎとめてみせる」

 ダメだ。

 少年が今、何処にいるのか、さっぱり分からない。

 はやり、幻術の類だろうか。

「だから…彼女に害をなすもの、傷つけるもの、向こう側へと誘う者の存在を僕は決して許さない。これはルールではなくて、僕の感情だ」

 ズグ。

 言い終えるか否か、背後に気配を感じた時には、すでに痛みを感じていた。

 背中から鋭い痛み、体の中心が燃えるように熱く、そして、やはり痛かった。

 刺されたのだ、と理解したのは、そのあとだ。

 背中から、おそらく心臓に達する刃渡りの武器で、正しく心臓を一突き。

 これはまずい。

 そう思った瞬間、傷口が引っ張られる感覚がする。刃物が引き抜かれたのだ。そして、彼が目の前に移動する。僕はふらつきながらも、何とか構えようとするが、体に力が入らない。途端に、胸のあたり、みぞおちのやや上にナイフが突き立てられる。

 彼もおそらく殺人者。

 なるほど手馴れている。

 痛みが襲ってきたのは、そのあとだった。

 吐き気にも似た、何かがつっかえるようなこみ上げ。咳とともに吐き出したのは、大量の血だった。

 僕はなすすべなく、膝から崩れ落ちる。

「すまないね。話が長くて退屈だったので、刺してしまった」

「お前の、能力は、なんだ……?」

 振り絞るように、そう口にする。

 すると彼は、蔑むような目で僕を見た。

「僕の能力?そうだな。魔法を教えてくれた魔術師は、『嘘か真か(オッド・アイ)』と呼んでいたな。種明かししても、防ぎようがないから、教えてあげるよ。能力は二つ。一つは目があった者にかけられる錯覚催眠。もう一つは僕の視界内の空間に干渉し、変化させる限定改変」

 少年は薄く笑った。

「陳腐な能力だろ?感覚と一部の視覚情報を誤認させるだけの力だ。でも、この二つを同時に使うと、何が現実か判断できなくなる。僕の『嘘か誠か(ヘテロクロミア)』は、人の真実を奪う。真実を……現実を奪われ、錯覚した人間は、僕に勝つことは出来ない。この貧弱な能力は、この世界に何一つ真実を持たない僕にこそ相応しい能力なんだよ」

 そうか。

 錯覚。

 僕は理解した。

 伝えなくては。

 巴月に。

 伝えれば、倒せる。

 なのに――。

 僕の体は、もう少しも動かなかった。


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