第18話
事務所はいつも以上に陰気で、空気は荒んでいた。
一番奥のデスクには柊千亮がウィジャボードを見つめながら、コーヒーを飲んでいる。
入口近くの来客用ソファには、ひどく沈んだ顔の浅岡聡介がじっと地面に視線をおとして黙りこくっている。時々顔を上げた顔と思うと、事務所奥へと続くドアを見つめては、その次に千亮を見て、また床へと戻る。
事務所の奥、いつもは千亮の仮眠スペースになっている場所には今、央城巴月が眠っていた。道端で傷だらけで倒れているところを通報され、聡介のところに連絡が来て病院に迎えにいったのが六時間ほど前。肩に受けた刺し傷はかなり深かったが、それ以外に致命的な傷はなく、殆どが擦り傷だったことと、千亮が上手いこと著炉めかしたおかげで、病院からはすぐに帰してもらえた。
命に別状がないのは、不幸中の幸いか。
否。
そういう問題ではない。
あの央城巴月を、ここまで傷だらけにして失神させることなど、通常の人間に出来るはずはない。
病院から事務所に移動するタクシーの中で、巴月が語った情報は少なかった。
背格好は十五歳から二十歳前くらいの少年で、欠落者のことも魔法使いのことも知っていて、何処までかは分からないが、自分(巴月)やもしかすると柊骨董店のことも知っているかもしれないということ。そして戦闘してみたものの、彼の能力の正体はつかめず、また巴月の能力も一部無効化されたということ。
それだけ伝えて、彼女はまた眠ってしまった。
肉体だけではなく、よほど精神的にダメージを受けたのだろう。
「病院よりもここに居たほうが安全だろう」
そう提案したのは、他でもない柊千亮だった。
普段はなんでも楽観的な見解をだす千亮が、真っ先ににそう言ったということは、この状況がいかにイレギュラーでマズイかということを表している、と、聡介は思っていた。
「特製のウィジャボードでもまだ見つからないとはね、中々どうして手ごわいな」
動かないウィジャボードの針を見つめながら、千亮が言う。
「何者なんでしょうか。その少年」
「さあ」
おどけるように肩を竦めて千亮は言う。
「でも、話によると、巴月ちゃんの能力が効かなかったっていうから、その点は極めて特殊で厄介だね。だが、絶対干渉が通じないなんてどういう理屈なんだか」
コーヒーを飲み干しながら、首をかしげる。
確かに、と聡介は思った。
巴月の『月と太陽(オッドアイ)』は、どちらも絶対干渉である。絶対干渉とは、事象の理論、理屈を無視して干渉することが出来る力のことだ。
例えば、誰かの異能が、炎を操り、燃やすことであるとする。
これが単なる異能だった場合、燃やせるものと燃やせないものに分かれる。条件にもよるが、鉄は燃えずに溶解するし、燃えない素材は燃やすことが出来ない。
しかし、この異能が絶対干渉であった場合、燃やせないものも火がついて燃えるし、溶解という状態変化をするはずのものも、問答無用に『燃える』という状態にすることが出来る。
物理も摂理も無視する干渉力をもつ異能、それが絶対干渉である。
つまり、発動してしまえば、どんな耐性をもつものでも必ずその状態にすることが出来るというものだ。
巴月の『朽ち行く月』は、腐食耐性があるものでも朽ちさせ、『凍てつく太陽』は、凍らない生物も凍らせる。
それが効かないとなると、それはいったいどういうことなのか。
聡介には分からない。
「可能性としては、大まかに二つある。まず一つは、異能自体をどうにかする異能だった場合。異能の結果がどうであれ、異能であること事態に干渉できる能力ならば、それを打ち消したり、無効化したり出来る」
千亮は淡々と話し出す。
「もう一つの可能性は、相手がこちらの発動や、発動条件を微妙にずらしている場合。何らかの方法で、こちらの認識と実際の現象に差を生ませ、それを誤認させることで発動条件を満たしたと、思わせる。だが、実際には満たしていないから、効果はでない、と言ったところかな」
聡介はうんうんと効きながら、考えをめぐらせる。
「後者の場合はからくりさえ理解してしまえば、さして問題は無い。最悪なのは、前者だ。異能を打ち消す異能。これは異能同士の戦いにおいて、圧倒的に有利だ。しかもオン、オフを使い分けられでもしたら、もっと悪い」
言うとおりだ。
異能を打ち消す異能など、あまりにルール違反な能力ではないか。
もし本当にそんな力を持っている人物が、巴月に狙いを定めたとしたら、それはかなり危険なことだ。
「まったく、それでなくても欠落者は目をつけられ始めているというのに、あまり目立たないでもらいたいものだ」
千亮から溜息が漏れる。
と、そんなときだった。
事務所の奥の扉が開く。
現れたのは、上下スウェット姿の巴月だった。サイズが合わずにぶかぶかなのは、聡介のものを貸しているからだ。頬と額には絆創膏、片腕を三角巾で吊っているという見た目には痛々しい格好だ。
「巴月、まだ起きちゃだめだろう」
聡介はすぐに立ち上がり、ふらつく足どりの巴月を支えた。
「平気よ。傷はさすがに治らないけど、寝てなくちゃいけないほどの重症でもないわ」
巴月はベッドに戻るつもりは無いらしく、そのままゆっくりと聡介の座っていたソファに行こうとする。
「バカだな。そんなふらふらでなに言ってるんだ」
殆ど抱えるように体を支えて、聡介は巴月をソファに座らせた。
「あの少年の正体は?」
巴月が千亮に尋ねる。
「それがまだ分からない。弟子ではないが、魔術をかじってやがる。相当上手く隠れているな」
千亮に対して「そう」とだけ答えて、巴月は視線を落とす。
「ねえ、柊。私の残りの『眼』を開放して」
ポツリと、巴月が言った。
「それはできない相談だ」
千亮は即答する。
「あの『眼』はリスクが高い上に、性能も未知数。君自身も使いこなせていない。そんなものを使っても、その少年に勝てるとは思えないがね」
そう言われて、巴月は黙り込む。
巴月の言う『眼』はもちろん、厳重に封印を施した残り二つの能力のことである。
封印した『眼』のリスクは、彼女自身も十分に分かっている。当時はまだ欠落の異能になれていなかったこともあるが、それにしても、殆ど暴走しているような力をもつ残りの異能は、扱いに困るのも確かだ。
巴月が考え込んでいると、ふいに聡介の携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし。村上さんですか。僕に?ええ、大丈夫です」
そんな会話が聞こえてくる。村上とは、柊骨董店に難事件をもってくる刑事の名前だ。
「ええ、わかりました。とりあえずそちらに向かえば良いのですね」
そう言って電話を切る。
「村上刑事か。なんだって?」
千亮が聞く。
「それが、中町光隆が殺されたらしいです」
「中町?ああ、あの老害殺人事件の犯人か」
「重要参考人ですよ、一応まだ。しかも、それがどうやら昨日僕があった直後らしいんです。一応、僕も容疑者の可能性があるからって」
聡介が言うと、千亮は「おやおや」と言って小さく笑った。
「というわけで、一応警察署に行ってきますね」
そそくさと準備をして、聡介は部屋を出ようとする。
「聡介」
巴月がそれを呼び止める。
「なんだい?」
「気をつけて。あいつは、あなたも狙ってくるかもしれない」
俯向き勝ちに、弱々しくそう呟く。
「ああ、大丈夫。もしそうなったら、戦わずに逃げてくるよ」
「当然よ」
「大丈夫。先生、巴月を頼みます」
言うと、千亮は手を挙げて答える。
ドアを締め、階段を降りる。
聡介は一度だけ後ろを確認した。
「巴月、僕はね、君のことが好きだし、大切なんだよ。そんな君に怪我を負わせたやつを許せるほど、寛大ではないんでね」
小さくそう呟いた。
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