第17話
不在する『N』(中)
中町光隆は、震えていた。
事態は、彼が思う以上に常軌を逸し、よもや収集のつかない状態にある。
こんなはずじゃなかった。
ただ少し、復讐を願っただけだ。
理不尽、不合理、運の悪さや巡り合わせに納得がいかなかった。それだけなのに。
『君がそんな理不尽に納得する必要はない。因果応報だよ。そいつに屈辱を受けたなら、その恨みはそいつにきっちり返すといい。もちろん、同等などではない。何十倍にもして、返すんだ。君に理不尽を強いったことを、後悔させてやれ』
ある日目の前に現れた少年はそんなことを言った。
少年は中町に彼自身に起こっている変化と、その特異な力について教えた。
おおよそ信じるには値しない内容だったが、少年があまりに自信と誠意に満ちた態度で話すのと、丁度不安症で眠れなかった中町は少し信じてみるのも手だと、冗談半分で言われた通りにしてみた。
最初の一人は気分が良かった。
二人目は、少しだけざまあみろと思った。
三人目から、自分の意思で制御しきれないものだと悟った。
そこからは、恐怖だった。
自分が殺したのだ。
「そうか、君の欠落は『安心』だったのだね。どうりで強力な能力なはずだ。安心がなくなるということは、それだけで精神に支障をきたす。欠落がそのまま苦痛につながるものは、得る力も大きい。だが、君のは厄介だね。ある意味オートで発動する能力だ。でもその分、利点もある。無意識だからこそ、バレにくい」
少年は言った。
バレにくい?
誰に?
中町は疑問に思ったが、それどころではない。少年の話の信憑性は怪しいものだが、自分が憎んだり、悔しいと思った人間が立て続けに三人も死んだのだ。しかもどれも奇妙な変死体だったと聞く。これは少なからず、自分が関係していると考えるのが普通だ。
そして、あの少年も何らかの形で関与している。
僕だってバカじゃない。それなりに頭は回る方だ。だから、考えた結論はこうだ。
少年の言うとおり、殺したのは、僕自身のよくわからない力。だが、警察が発表したような犯行声明を仕組んだのは彼。
彼のセリフが本当なら、僕のこの奇妙な力は、自ら制御できるものではないらしい。少なくとも、今は。ならば、この状況はマズイ。この少年に自分は利用されてしまう。
「ボクはね、君のその復讐心が気に入ったんだ。それに、君の能力もね。決して扱いやすい力ではないが、とても理にかなっていて強力だ。君の力は、世界を正しい道へと導くだろう。受けた屈辱を、それに関連のある方法で数倍、数十倍にして返す。目に目を、歯には歯を。世界で二番目に古いハムラビ法典のような力だ。最古に近い法典でそれが記されている理由がわかるかい?それはね、その原理こそが、世界の本質であるからなんだよ」
少年は実に楽しそうに語った。
そんな講説を聞かされても、中町の心は全く安らぐことはなく、むしろ不安は募るばかりだった。とりあえず、逃げなくては行けない。この現象は、明らかに怪奇で珍妙で、恐らく超常である。だとしたら、単純に捜査され、自分が逮捕されることはないだろう。しかし、調べれば、被害者の全てと自分に接点があったことは、分かってしまうことだ。そうすれば疑われる。中町は、ある種被害妄想ともいえる想像力でひときわ追い込まれていく。
ゆえに逃げる。
とはいえ、引っ越すような金も当てもない。
取り敢えず、数日分着替えを持って、ありったけの金を持って、姿をくらますしかない。
そう思った矢先に、その男が訪ねてきた。
「あの、中町光隆さんですよね?ちょっとお聞きしたいのですが……」
大学生くらいの男だ。人当たりの良さそうな笑顔で訪ねてきたが、ふとした瞬間の目付きは、とても鋭い。中町の本能は、この男を異常に恐れていた。
警察ではなさそうだ。だが、探偵という感じでもない。そして、もちろん一般市民にも見えない。この男は何なのだろうか。
「このあたりで起きている連続殺人のことで……」
そう聞かれた途端、中町の危機感知能力は最高潮の反応を見せた。
ヤバい、逃げなくては。
中町はそのまま、彼ごとドアを勢いよく押し開けると、一目散に走り出した。
二段飛ばしで駆け下り、最後は三段一気に飛び越す。
しかし、である。
地上に降りて走り出そうとした瞬間、目の前には、先ほどの男が立っていた。
「ちょっと待ってよ。その反応からすると、やっぱり何か知っているんだね」
どうやったか知らないが、その男は瞬間移動した。ヤバい。もしかすると、こいつもあの少年のような、普通ではない側の人間なのかもしれない。
「俺に近づくな!」
中町は叫んだ。
「俺は今、精神的に追い込まれている。下手に近づくと、あんたを殺してしまいかねない」
そうだ。彼の最大の不安は、そこだ。
今までだって、決して殺そうとしたワケじゃない。ただ、加減も調整も、制御と呼べるものは、何一つできないのだ。
「わかった。近づかないよ。取り敢えず、落ち着いて。見たところ、君は困っているようだね。自分自身の力に。どうだろう、よかったら、話を聞かせてくれないか。僕も君と同じような力をもつ知り合いがいるんだ。力のことにも詳しいと思う。だから」
男は、穏やかに言う。
中町はいくらか呼吸を整えて、観察した。
この男からは、殺気や悪意の類は感じられない。だが、その分謎めいた部分も多い。どうするべきか。
「さっきの言いようから推測するに、君の能力は自動的に発動するモノみたいだね。言っておくけれど、僕たちは人を殺す、という行為自体にそれほど罪も意味も感じない。それよりも大事なのは、どういう理由で殺したか、だ。だから、君が人を殺めてしまったこと自体をどうこう言うつもりはない。教えてくれ。君が君の力に気づいたのは、偶然か?それとも、誰かに唆されたのか?」
この男、かなり色々知っている。完全にあの少年と同じ世界の人間だ。となると、もしかすると、あの少年のように自分を利用しようとしているのではないか。そんな可能性を危惧し、中町は様子を伺う。
「疑うのも無理ないな。じゃあこうしよう。連絡先を教えるから、気持ちが落ち着いたら、連絡してほしい。あと、助けが必要な時も」
男はそう言って、メモ用紙を渡してくる。
「それじゃ」
そのまま踵を返し、立ち去る。
恐る恐る、中町はメモを見てみる。するとそこには、携帯電話の番号とメールのアドレス、そして名前が書かれている。
「浅岡聡介、か」
そう呟くと、彼の心臓はやっと通常の速さに戻り、男の姿が見なくなる頃には、もうずいぶんと普通の状態に戻っていた。
とりあえず、能力の発動は無かったようだ。それだけでも、良かったと思う。
あの男ならば、この状況を何とかしてくれるのだろうか。少なくとも、あの少年よりは随分と信用できそうな感じではあるが。
そんな考察をしながら、中町は自分の部屋に戻ることにする。
気持ちがもう少し落ち着いたら、電話してみるか。
なんて考えた矢先だ。
何かが、彼の首元を掠めた。
「えっ?」
そう言ったはずなのに、声は嫌に掠れて聞こえた。
慌てて、首元を押さえる。何かが、首から勢い良く噴出している。恐る恐る、手を見ると、手のひらは真っ赤に染まっていた。
これはなんだ?
痛い。
ああ、痛いことに今気づいた。
これは、出血しているのだ。
恐らく、頚動脈。
痛みが鋭くなる。
「え?が、ぼ」
何かを発声しようとするが、これはくぐもった音でゴポゴポというばかりだ。
そうか。声帯の方まで切られているのか。
だめだ。鋭かった痛みさえ、鈍くなり始めている。
貧血の症状に似ているな。
そう思いながら、彼は目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます