第15話

不在する『N』(前)



 自分が何者かを考えない者に、それを考えてしまう者の苦悩は永遠に分からない。

 何の不自由もない。とりわけ裕福でも、逆に貧しくもない。両親も兄弟もいて、仲だって円満だ。

 ボクはボクの才能に不満を持っていない。運動神経は普通からやや上。少年サッカークラブではレギュラーだったし、中学までやっていた空手は県大会ベスト4まで進んだ。成績も普通。全教科十段階評価で六から七、数学や古文は四を取ることもあるが、世界史や化学や美術は九をもらうことも多い。

 社交性も普通。特別おしゃべりではないが、会話をすればそこそこ盛り上がることは出来る。誰からも好かれる、というキャラクターには程遠いが、きちんと『友人』と呼べる人間は両手の指くらいはいるし、恋人だっている。

 充実している、と言うのだろう。

 だが、ボクは生まれてこの方、満ち足りた気持ちになったことはない。

 何があっても、全ては絵空事のように思えて、今ひとつ現実感がない。いや、ボクにとっての信憑性がない、とでも言うべきか。

 いつでもボクの心の奥では、さび付いた風見鶏が悲しげにカラカラと音を立てながら回っている。カラカラ、キコキコ。それは結局どこも示さないまま、回り続ける。壊れた機械のように、淡々と。

 ボクは結局何一つ満たされないまま、満たされたフリをする。

 嬉しいフリ、楽しいフリ、悲しいフリ。

 その時々に合わせて、ボクはもっとも人間らしい選択をする。人間らしいフリをする。それが、一番上手くやる手段だと知っているから。

 そういう意味では、ボクはかなり早い段階から狂っていたのかもしれない。

 ボクの両親は、決して誰かに憎まれるような人間ではなかったけど、ボクにとって、あまりに退屈すぎた。それだけならいい。父も母も、愚鈍で高慢なただの中年だった。ボクは、それがどうしようもなく嫌だった。嫌悪し、軽蔑し、忌み嫌った。その時すでにボクの思考は彼らのそれをはるかに凌駕し、その思考を基に行うシュミレートは現実との差異がなく、先々で起こる現実は、予測した通りの事象だった。つまり、ボクにとって『経験』などというものは、あってないようなものなのだ。

 思考も、知識も、経験さえも劣るただ長く生きただけの人間が、偉そうにああだこうだ言うことに、ボクは正直憤りを感じていた。

 怒りは、ボクに残された唯一の感情だ。

 そんな折、両親と弟は揃って、交通事故でこの世を去った。

 ボクはこの時、少なからずショックを受けたものだ。

 もちろん、血のつながった肉親が死んだことにではない。親兄弟が死んでも、悲しみや寂しさといった恐らく当然の感情が一切湧かなかったこと、そして、そんな非人間的な自分を、もうずっと前から分かっていたことにだ。それが、予測が現実どおりだったことに、ボクはショックを受けたのだ。

 なるほど。

 おそらくボクには、人間らしい感情の殆どがない。

 頭では理解している。あらゆる感情を説明できるが、それを実感出来ないのだ。いつからなのか、もしかすると、生まれて一度もないのか。両親や周囲の刷り込みによって、そう感じたような気になっていただけで、実際のボクは、それを情報として理解し、その反応として適当なものを選び、実践していただけで、本当にそう想い、感情が動いているからしているわけではなかったのかも知れない。

 そう理解した時、ボクには、自分自身の中に何一つとして真実めいたものがないことに気づいた。

 皆が理解しているボク、皆の認識しているボク、それらは等しく全て、ボクが作り上げた虚像。だとすれば、この世に、ボクの真実は存在していないことになる。

 そうだ。ボクには、〝真実〟が欠落している。

 そんな時、ボクは一人の男に出会った。

 その男は、自らを魔法使いだと言った。そしてその男は、その言葉を信用させるに相応しい現象を起こして見せた。超常的なものを鵜呑みにするほど愚かではないが、見せられた現象の仕組みが解明できないことと、彼から発せられる独特の、普通の人間からでは決して感じない何かが、彼を魔法使いだと信じるに足る要素となった。

 彼はボクを『世界からずれた者(ディビアント)』と呼んだ。ボクのように、何かを欠落して新たな力をもつ人間を、そう呼ぶらしい。しかし、解せないことが一つ。ボクは確かに真実を欠落していたように見えるが、それで、いったい何を得たのだろう。

 ボクには特異な能力はない。

 人生を少しだけ早く悟ってしまっただけの無力な少年だ。

 しかし、魔法使いの彼は、こう囁いた。

「力の使い方を教えてやろう」

 それは、きっと悪意ある助言だった。

「君は感情が高ぶると、瞳の色が変わる。それは、魔眼、あるいは邪眼と呼ばれるものだ。能力はまだ分からないが、君が欠落しているものから考えると、君の異能はきっと通常の理を超えた力に違いない。私たちの魔術に匹敵するほどのね」

 彼の教え方が良かったのか、力の存在と意味、効力、性能を熟知するのに、そう時間は掛からなかった。

 彼と出会って半年が経とうとする頃、ボクは最初から決めていたことを実行した。

 ボクは、魔法使い、風魔清十郎を殺したのだ。

 魔法使いに関する情報と、ボクと似たような能力をもつ者たちのこと、それに伴う今後の魔法協会の動き。それらは、全て風魔から拝借した。

 彼の知識を垣間見るに、魔法とは、誰でも習えば使えるものではないらしい。使える魔法もあるが、それは決まって超能力に毛は生えた程度のものだ。それなら、ボクの異能の方が、何倍も魔法めいている。

 おそらくボクの力は、使い方次第で憎しみを生むことが出来よう。

 そして、その憎しみは更なる憎しみを生む。

 そうして、憎しみは連鎖し、拡大し、増殖する。

 それは些か面白い光景だ。

 ボクに唯一強く残っている感情である『憎しみ』で世界を覆いつくす。正論も、正義も、正しさも、慈愛も、慈悲も、優しさも、健気さも、健やかさも、爽やかさも、過ちも、高慢も、賢さも、狡さも、この圧倒的な『憎しみ』の生む絶対的な力の前には、何の意味も持たないということを、知らしめてやろう。

 ボクは、誰でもない、何者でもない、不在する者。

 ボクは名前を捨てた。

 しかし、識別する為の記号は必要だ。

 なんて呼ぼうか。

 その時、ボクの目には、殆ど知らない音楽アーティストの名前が映った。

『nobodynothing』

 誰でもない。何も無い。

 なるほど。

 それは妙に心地のよい響きだった。

『N』とそう名乗ろう。

 誰でも無く、何も無く、そして、全てを拒絶するN。

 ボクはとても良い気分だった。

  




『中高年連続殺人事件』

 最近この町を賑わせている事件の呼び名だ。

 もっとも、町の人間には『老害殺人事件』と言った方が分かり易い。アホな警察のお偉いさんが、記者会見で口を滑らせ、犯人が残したメッセージカードの内容を言ってしまったことから付いた俗称である。

 最初の被害者は、増野平蔵、五十二歳。中堅企業の部長だが、ゴマすりと調子のよさで年功序列のエスカレーターに乗った所謂、『無能な上司』である。部下からの評判は最悪で、上もそれほど買っていない。他人に対する態度は高慢そのもので、レストランなどでも少し店員が気に食わなければ、言いがかりとも取れるようなクレームをつけていびるクレーマーで、店側の情報によると、ブラックリストに載っているとか。

 二人目は、佐々木修輔、五十歳。薬品会社の営業マン。やり手で、営業成績優秀だが、不倫疑惑が上がっている妻子もち。部下の手柄も自分のものにするタイプ。社内には軽い派閥のようなものが出来ていて、彼を支持するものとそうでないものでは、風当たりも大分違うとか。彼も近所のカフェで『コーヒーがぬるい』と言って、店員を一時間説教したという話だ。

 三人目、重里成充、六十五歳。現在は定年退職して無職だが、かつては校長まで務めた進学校の教諭。事なかれ主義の理想主義。自分の保身第一の使えない教師だと言う噂も。教頭や校長職についてからは、かなりふんぞり返っていたらしい。

 電車やバスで座っている若者がいると、注意して立たせた挙句、自分が座るということもしばしば。繁華街では酔っ払っている大学生らと口論になったことも数回あるという。詳細は分かっていないが、注意勧告を促したという。

「あら、見事に老害ね。私、この犯人の考え、少し分かるわ」

 美の女神ですら土下座して謝りかねないほど整った顔を少しサディスティックに微笑ませながら、央城巴月は呟いた。。

「巴月、そういうのは、人前では言わないほうが良いよ」

 浅岡聡介は、コーヒーを入れながら嗜めるような口調で巴月に言う。

「でも、多いじゃない?生きているだけで偉いみたいな顔をしている中年。特に男性には多く見られるわね。本当、目障りよね」

 全く悪びれることもなく、巴月は言う。

「『我、ここに諸悪の根源、老害を駆逐する』か。まあ、ご尤もかもな。無知で無力で無能な人間ほど、モラルの欠損が大きいものさ。逆を言うと、長く生きてきた、ということ以外、誇れることや勝っていることがないのだから、仕方のないことかも知れない」

はははっと軽快に笑いながら、柊千亮は言った。

「笑い事じゃあないですよ。どうあれ、人が正当な理由もなく殺されている。謝罪や交渉の余地もなくですよ?これはあまりに非人道的だ」

 聡介はいたって真面目に反論する。

「またそうやってピカピカの正論を本気で口にするのよね、聡介は。ホント偉いわね」

 さしてそう思ってもいなさそうな口調で巴月は言う。半分は本当にそう思っていて、半分はバカにしているのだ。

「いやいや、この犯人のやろうとしていることは、案外正義なのかもしれないぞ?」

 千亮は少しだけ目を鋭くしてそんなことを呟いた。

「昔、十六世紀末ごろだったかな。貴族社会が蔓延り、中高年が様々な権力を掌握した時代に、魔法使いの中で『高齢貴族審査法』という政策を提唱したやつがいた」

「高齢……なんですか?」

「高齢貴族審査法、だ。権力を握っている有力貴族を再審査し、規定に満たないものを即殺すというものだ」

「そんな、無茶句茶ですよ」

「そう。その法案には無茶な点が多かった。審査法はどうするのか?どうすれば主観を交えず、民衆がよしとする審査が行えるのか?何を持って有力貴族とするのか?年齢はどうするのか?規定は?本当に殺すのか?罰だけでよいのでは?疑問や審議の余地はあとを絶たない。結果、その意見は却下され、提唱者は数年後『危険魔法使い』の指定を受け、処罰された。だがね、俺はその法案、それほど気が狂っているとは思わなかった。やり方に問題はあったがね」

 千亮の目が鈍く紫に光り始める。昔の話をすると、彼はいつもこうなる。鋭くも冷静な紫の瞳は光を帯び、彼を包む空気そのものが邪になる。

「いつだって、世界を濁らせるのは、停滞と保身を望むある程度の財と権力、名誉を約束された老人どもだ。腐敗し逝く世界を救うには、偉そうに踏ん反り帰っている無能な中高年を引き摺り下ろす必要がある。そう考えれば、あるいは、な」

千亮は肩を竦めながら言った。

「これも一つの正義、ですか」

 聡介は納得できないと言った様子で呟く。

「聡介、あなたもしかして、『正義とはなにか』なんて眠いことを言い出すつもりじゃないわよね?」

 綺麗な瞳をすうっと尖らせて、巴月は聡介を見た。

 聡介はなにも言わず、ただ困ったような顔で巴月を見つめていた。

「そんな難題を押し付けられた子犬のような顔で見ないでよ。いい?万人共通の正義なんてものは存在しないのよ。一応社会には法律があってそれを破ると罰せられるから、法そのものが正義のような錯覚を起こすけど、それは違うわ。正義とは、その人その人が各々で掲げる主義や信念のこと。皆自分の正義を持っている筈だし、持っていなくてはいけない」

 巴月は言った。

 その正しすぎる論理に、聡介はしばし沈黙したが、やがて、

「ならば、僕は僕の正義を貫くよ」

 と言い放った。

「そうよ。それでいいの。人は元来、誰かのではなく、自分が掲げる正義のために動くべきなの」

 巴月は優しく聡介に向かって頷いた。

「さて、まとまったところで、調査を始めようか」

 千亮は呟く。

 この連続殺人、早々に柊骨董店へ依頼が回ってきた。警察の上層部もだいぶこの手の事件に慣れてきたようで、少しでも欠落者の痕跡があれば、すぐに柊骨董店へと回される。以前は警察にもプライドがあったようで中々投げることはしなかったのだが、手に負えないものが多すぎるのか、力の差を目の当たりにしたのか、素直に依頼してくるようになった。

 骨董店と警察間でのルールは変わらない。

 骨董店の本業を知っているのは、警察上層部の人間だけ。

 依頼料、成功報酬を払えば、あとはお互いに干渉しない。

 つまり、警察は骨董店に、事件をどうやって解決したか深く聞かないというのが、鉄則なのだ。

「調査といっても、無差別過ぎて範囲が広すぎますね」

 聡介は今までの犠牲者の資料を見ながら言う。

「それに、死因もばらばらだから、欠落者だとしても、能力の特定がしにくい」

 早い段階とはいえ、骨董店に依頼が来たのは三人目が死んでから、というのには、理由があった。それはまさに、死因の統一性の無さである。基本的に、単独犯が多い欠落者の犯罪では、殺しにしても、手口が一緒で、死因も同じことが殆どだ。しかし今回はそれらが全て異なる。一人は地面にめり込んだ状態で死亡していたし、一人は食道を焼かれて死亡。一人は舌を抜かれて死亡していた。通常の絞殺や刺殺、撲殺などではないことは明らかであるが、逆にこれと言う統一性も無い。強いて挙げるなら、皆首から上、主に顔や口の周辺のダメージが深刻で死亡しているということだろう。

 顔面の形が崩壊するほどコンクリートの地面に押し付けられている死体。

 自然発火のように類似する熱源のない半身のみの焼死。

 抜かれた舌にも何かで引っ張った痕跡が皆無な失血性ショック死。

 共通点が無く、欠落者の能力が見えてこない。

「ちょっと、時間もらいますね。調べてみますよ」

 聡介は言って、事件の資料をファイルに綴じて、カバンに仕舞い込む。

「五日くらいで何とかなると思うんで」

 席を立つと、聡介はドアへと向かう。

「先生、それじゃあ。あ、何か先に分かったら連絡ください。それと巴月、万が一相手が分かっても、一人で乗り込んではだめだよ」

 最後にそんなことを言って、骨董店の事務所を後にする。

「分かってるわよ、あなたこそ、一人で先走らないようにしなさいな」

 ぼそりと呟く巴月の声は、もうこの場にいない聡介には勿論、千亮にも聞き取れないほど小さな声だった。

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