第14話
狡猾な青の藍(後)
何か懐かしいような、どこか心の落ち着く感覚があったのがわかる。
それはきっと、私が心の底から欲しているもので。
けれど、決して手には入らないもので。
ショッピングモールで目覚めた瞬間、そんな物悲しい残り香があった。私が、私であったときの記憶と感情の断片である。
本当はもう少しだけ、感傷に浸るのも良かったけれど、視界に物騒で実に難儀なその人の姿と状態を捉えたので、それを止めにした。
私はピアスを外し、彼を攻撃せんとする物体を見つめる。
〝朽ちゆく月〟は、〝凍てつく太陽〟よりも発動が早い。
見つめたそれは、予想通りに朽ちて、地面に散らばった。
私は力を解除し、改めて先ほど視界に入った彼に視線を戻した。
彼は全身傷だらけで、事故にでもあったのかと思うほどの出血すらしていた。駆け寄って、安否を確かめたい衝動をぐっと堪えて、かわりに私はため息を尽く。
そして、開口一番、悪態をつくのだ。
きっとこの人は、誰かのためとか、正義のためとか、私のためとか、そういう自分以外の理由で、命をかけ、その結果、血塗れになっているに違いないのだ。
浅岡聡介。
ちょっとだけ魔法使いの術式をかじっただけの、普通の人間。
人並み以上なのは、その悪運の強さと、異常なほど丈夫な体。それほど、鍛え上げられた肉体というほどではないのに、いつも致命的な傷を負う事はない。彼はそういう変な運命を持っている。
真宮寺が人体発火した後の帰路、聡介は殆ど喋らなかった。
ただ眉間に少し皺を寄せ、難しい顔をしているのだ。
「どうしたの?」
私は気になって、そう聞いた。
それでも、彼は答えようとしない。私はちょっとだけ自分自身に問うてみる。彼を無口にするような、もっというと、彼を怒らせるようなことを、自分はしただろうか。
「ごめん」
私が考えていると、ふと彼はなぜか、謝罪の言葉を口にした。
「なにが?」
「僕は今日、少しだけ君の欠落を欲してしまった。欠落した君の異能を必要だと思ってしまった。それが、僕はとても悔しい。巴月の欠落を直し、普通の人間に戻すと言っておきながら、そうでないことを望むなんて、どうかしている」
静かに、刻み込むような声で聡介は言った。
「でも、それだからこそ助かったじゃない?聡介は、自分自身ではなく、私を守るためにそれを望んだのでしょう。それは、仕方のないことだし、必要なことよ」
「そうだ」
聡介の答えは早かった。
「その通りだ。でもそれは同時に、僕一人では、君を守れなかったことの証明でもある。今の巴月がタイミングよく目覚めたから良かったけど、そうじゃなきゃ殺されていた。この前の佐賀仁美の件だってそうだ。結局、僕は巴月のその異能に助けられている。異能なしじゃ、誰も守れない。それが、現実だ」
心底悔しそうに、聡介は奥歯を噛み締めていた。
『僕は巴月のその異能に助けられている』
それでいいじゃないか、と私は思う。異能者ではない聡介が、常人では扱えない事件の解決に、あるいは異能者との戦闘に、同じく人外の力を持つ私を使い、私の能力を欲し、私の異能が彼を救う。それに、なんの問題があるだろうか。むしろ、私には、それこそが、常人である彼と私を繋ぐ、深い絆なのだとさえ思っている。こんな歪な形でも、央城巴月は、浅岡聡介と関わっていたいのだ。
「僕は、弱いな。昔憧れたヒーローには、程遠いや」
そう言って、聡介は自分を嘲る様に笑った。
「弱くはないわよ」
私は、考えるまもなく、そう口走っていた。
「本当に弱い人は、立ち向かおうともしないものよ。でも、聡介は違う。こんな危ない能力ばかりの連中を相手に、それでも誰かを助けようと必死になってる。それのどこが弱いの?」
「ありがとう。でもそれは、精神論だよ。美談ではあるけど、それで救えないのならなんの意味もない。力なき正義に意味はなく、弱者の戯言では誰も救われはしない。先生がいつも言っていることだ。分かっているのに。強くなることも、諦める事も出来ない」
胸の奥が、ジワリと痛む。
ああ、そうか。私の言葉は、聡介には届かないのだ。
あなたは弱くない、あなたは十分立派な正義の味方だ。
まともな良心と、判断力と価値観を持っていて、勇気も行動力もある。何よりあなたが傍にいることで、私はどれほど救われているか。
それを伝えきれない私の言葉は、結局を彼を慰めることは出来ず、その無力感で彼は傷付いていく。
誰も救えない弱者は、彼ではなく、私だ。
壊すことも、倒すことも、傷つけることも出来るが、私には、誰かを助けることなど出来ない。
助けようとしても、この手は穢れ、毒され、触れたものすら死に至らしめる。
私は、毒蛾なのだ。
猛毒の厘分を撒き散らし、敵も見方も殺してしまう。
やはり、私は醜い虫だ。
蝶のようには、なれはしないのだ。
狡猾な青の藍 了
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