第13話

 魔法の腕前を測る方法の一つに、魔術痕の隠蔽というものがある。神秘を守らなくてはいけない魔法使いは、一般の人間にその痕跡を悟らせてはいけない。同じく、同業者に手の内を知られないためにも、この隠蔽や抹消の技術は必要不可欠なわけである。

 しかし、強大な魔法を使えば、その分隠蔽も困難になる。

 大きな影響を及ぼす魔法の研究は、同時にその大きな魔術痕を消す技術の研究でもあるのだ。

 つまり、魔法を使って、その魔術痕を追跡され、居場所をいられるようなヘマは、一流の魔法使いならしないはずだ。

 まあ、同じ階級同士の直接的な対決なら話は別だが、遠隔操作や裏から糸をひくような状態では、絶対にやってはいけないミスだ。

 だから、操作系の魔法を得意とする色の青魔導師が、ただの駒である人間の口封じに使った魔法の痕跡を辿られるなど、あってはいけないことなのだが――。

「見つけた」

 俺はコンパスを見ながら、ほくそ笑んだ。

 魔術が行使されたのは、ここから五キロ圏内。使い魔のアンテナを介しても十分にその発信源を追えるが、俺には魔針盤と呼ばれる特殊な方位磁石(コンパス)がある。これは俺が作ったオリジナルのアーティファクトで、魔術痕を感知させて使うとその発信者の場所を示してくれるという優れものだ。

 西の十四番地、ここからは四キロと少し。近くに中継地点があるから、そこを経由すれば、ものの数分で着く。

 因みに、中継地点というのは、魔法使いの縄張り内に張り巡らせるアンテナのようなもので、そこから情報を監視カメラのように受信したり、逆に『道』をつなぎ、その地点への瞬間移動を可能にするものだ。

 俺は事務所の魔方陣に触れると、そっと魔力を流し込む。

 フワッと肉体が軽くなると同時にぐにゃぐにゃとかき混ぜられるような感覚。

 瞬間移動は正直なところ気持ちが悪い。

 一秒数えるかどうかの間に、かき混ぜられていた感覚は消え去り、特有の気持ち悪さだけを残して視界もその他の感覚も元に戻る。

 しかし、そこは骨董店の事務所ではなく、西の廃工場跡地。中継地点の場所だ。

「さて、ここから……」

 俺は再びコンパスを開いて、彼(・)の位置を確認する。

 数十メートルなら、陣や術式を使わずとも、飛ぶように移動できる。

 目指すはこの廃工場の裏手の小さな民家だ。

 壁を通り抜けの魔法で通過し、研究室に降り立つ。気づかれぬように、そっと、静かにだ。

 この家、外見は古びた民家だが、人避けの結界が張られており、中は改装、改造され、一階のキッチンとダイニングがつき抜かれた構造の研究工房になっていた。その中心の大テーブルの上で、水晶鏡を熱心に見つめる男が一人。

「やっぱり、お前か。アルバレス」

 俺は言い捨てた。

 すると、目の前の男は、驚くより先に術式を唱える。恐らく、逃げるための移動魔法だ。

「はたきおとし(インタラプト)」

 俺が呟くと発動しかけていた魔法は止まる。やっと男がこちらを向いた。

「ジャ、ジャナンハイム……どうしてここが?」

 青い目に金髪のその男は、見るからにおびえた表情で言った。

「どうしてって、魔術痕を追ってさ。当然だろう?不得意な直接攻撃系の魔法なんて行使するからさ。消しが甘すぎる」

 説明がてら、俺は言う。

 青の魔法は支配系や打消し系には強いが、直接攻撃には向いていない。それを無理して人一人殺すような呪文を使うとなると、大した魔法じゃなくても魔術痕を消しにくくなる。何にでも、向き不向き、得て不得手というものがあるように、適正に使わないと効率が悪くなる。

「で、まあ、そんなお前のお粗末な魔法の腕の話など、どうでもいいんだ。アルバレス、お前、あの二人が俺の関係者というのを知っていて襲わせたな?」

 アルバレスは目をそらして、黙り込む。

「おいおい、だんまりか?」

「ち、違う」

「何が違うんだ?あの二人のことか?それとも、黙秘に対してか?」

 ギリッと歯を食いしばって、アルバレスは渋面を見せる。直後、視線が鋭くなった。

「なんでお前は、いつもいつもいつも、私の邪魔をするんだ!」

 何かが切れたように、アルバレスは声を上げた。同時に、風を起こして飛び上がる。水と同様に風もまた、青の魔法の得意分野だ。

「なに突然キレてんだよ。キレたいのはこっちなんだが」

 風で撒き散らされている埃やら塵やらを手で避けながら俺は言う。

「うるさい!この落ちこぼれめ!お前なんて、道端におちてるゴミだったじゃないか!それを、一度私に勝ったからといって、調子づきおって」

 アルバレスの魔力が上がっていく。

 どうやら、ここで彼は本気の殺し合いをするつもりのようだ。確かにここは彼の工房、つまりは彼に有利な地だ。結界やトラップもたくさんある。上位の魔法使い同士が戦うにあたって、自分の工房で戦うほど有利なことはない。そういう意味では、俺の選択肢として最善なのは、一先ず逃げること。

 だが、それは実力が僅差である場合。俺と彼とでは、その僅差には値しない。

「落ちこぼれ、か。否定はしない。ゴミというのもね。拾われる前の俺は確かにゴミだったし、入ったばかりの俺は落ちこぼれだった。いや、今でも自分が落ちこぼれではなくなったなんて思っていやしないさ。そもそもオレは魔法使いが崇高だなんて思ったことはない。ゆえに、オレはあの頃の自分と今の自分をそう違うようには考えていない。俺は俺のままだ。捨てられて泣いていた、ろくに魔術も使えない落ちこぼれ。アウルストリートのゴミ。でもな、俺は自分の分と言うものをわきまえている」

 俺は言った。

 言いつつ、アルバレスの魔法を予測する。

 青の使い手。直接攻撃は先ずないだろう。支配系で動きを封じるか、召喚術で召喚するか。あとはこの期に及んで逃げるか。さて、どれかな。

「屈辱と後悔を味わせてやる。召喚(サモン)!」

 アルバレスの手に魔力が集中し始め、空間に魔法陣が出来る。

「リヴァイアサン!」

 魔法陣が大きく広がり、蛇にも似た竜のような頭が覗く。

 リヴァイアサンといえば、七つの大罪の嫉妬を司るベルゼブブの化身、翼を持たぬ大海竜だ。彼にしては、かなり上級の召喚獣を呼んだものだ。

「いいね、〝青〟のアルバレス。お前のその『嫉妬』を打ち砕いてやろう」

 俺は右手を左手で囲い、影を作る。

 こういった小さな影でも、黒いマナは発生する。そして黒いマナは黒魔法の燃料、糧となる。

「死の恐怖(フィアー)」

 俺の右手から放たれた黒い光は、左右にうねりながら浮遊したかと思えば、すぐさま刃のような形状になり、魔方陣から体半分ほど出たリヴァイアサンを打ち抜く。

 その途端に、禍々しいほどの巨大な竜は、一瞬にしてもがき、苦しみ、再び魔法陣の中へと戻っていく。

「なんだって……!上位召喚術だぞ?大悪魔の一人だぞ?それをなぜ一撃で……」

 青ざめるアルバレス。何が起きたのか、理解できていない様子で眉間に皺を寄せる。

 それもそうだろう。あれは化身とはいえ、大悪魔、堕天使ベルゼブブ。一撃で撃退する方法など、そう多くはないし簡単ではない。実際にベルゼブブそのものなら、さすがに一撃は不可能だ。悪魔は簡単には倒せない。しかし、だ。化身の姿をとったリヴァイアサンなら話は別である。

 リヴァイアサンの属性は水の属性で色は青。

 魔法色に黒のない召喚獣なら、一撃で葬る技を俺はいくつか持っている。

「さて、なぜだろうね。とりわけ言うなれば、オレは魔法使いだから、かな」

 俺が言うとさらに癇に障ったのか、アルバレスの顔が一層険しくなった。

「くそ!……貴様などに貴様などに貴様などに貴様などにぃ!!」

 アルバレスは手を胸の前に翳し、再び魔法陣を描く。今度は先ほどより早く、魔力は殆ど感じない。となると、物体召喚か。

 思ったとおり、陣から出てきたは、一メートルを少し越えたくらいの木の棒だった。なるほど、杖か。

 魔法使いのシンボルでもあり、多くの文献にその姿を残す『杖』は、剣も槍も盾も斧も持たない魔法使いの、唯一にして万能の武器だ。

 魔法力そのものを上昇させたり、自分の身代わりにしたり、援軍にしたりと、その魔術の系統と使い方、鍛え方にもよるが、魔法使い一人が単体で戦うよりはるかに有利になるのは間違いないのだ。

 まあ、俺は物体召喚は得意ではないし、そもそも杖というもの自体、エレガントではないので極力使わないのだが。

 だってそうだろう?せっかく武器を持たない魔法使いなのに、それっぽいものを持って戦ったら、他の騎士や兵士と同じになってしまうじゃないか。

「本気の本気でやってやる!もう魔法協会もクソも知ったことか!ジャナンハイム、貴様を八つ裂きに……」

 彼が言いかけたところで、俺は辺りに強い魔力を感じた。

 俺は瞬時に魔障壁を張る。狙撃系の魔法を警戒しての反射的なものだ。だが、障壁は何も拒まず、つまりはオレに向けての魔法はなかったとわかる。ということは、

「ぐっ、がはっ!」

 奇妙な声を上げていたアルバレスに目を戻すと、彼は心臓辺りを抑えながら、嗚咽を漏らしていた。

「そんな、ばかな……」

 そしてそう呟いて刹那、その身は消滅したのだ。

 破裂するより静かに、灰が散るよりあっけなく、跡形もなくである。

「全く、どこまでも醜い魔術師だ」

 家の窓の外から、そんな声がした。ひどく冷静で、気品すらあり、さらには、どこかで聞いたことがある。

「アレオス」

 俺はその名を口にした。

 窓の隙間から青い煙が入り込み、その煙はやがて、人型をなし、人間となった。

「久しいね、ジャナンハイム。前に会ったのは、確か今回の転生前だったかな」

 濃紺のスーツに薄く光るような青のネクタイ。髪の色は俺より明るい銀で、目の色は藍色。オールバックの整えられた髪形からも、その人物の几帳面さを容易に悟らせる。

 アレオス・コペンハーゲン。魔術の名家コペンハーゲン家の第十一代当主。青魔術師の最高位、〝青藍(せいらん)〟の極色を持つ魔法使い。俺の魔法学校の同期でもある。

「打ち消し(カウンタースペル)か。相変わらず涼しい顔でえげつない事をするな」

 俺の言葉に、俺は首を左右に振り、

「分相応の死に方だろう?彼の青魔法は美しくない。それに、青魔術師の不始末は同じ青の魔法使いがしなくては、ね」

 ジャケットの襟を整えながら、彼は言った。そんな仕草も絵になる、そんないやらしさがある。

「よほど腹が立っていたみたいだな。打ち消しは本来、魔法を打ち消すための対抗、相殺系。それをアルバレスという存在そのものを打ち消す、なんて、無茶をしすぎる」

「無茶でもないさ。彼は最後の最後、その存在を地に落とした。青の魔術師としての品格を著しく下げ、魔法使い同士の暗黙のルールをも破った。魔術師としての『格』が急降下したから出来たんだ。君を打ち消す、というのならやりはしないよ。そもそも、極色ほどの魔法使いを存在ごと打ち消すなど、出来はしない」

 返事の代わりに、俺は肩すくめて見せた。

「アルバレスを追って日本まで?」

「いいや、それはついでだよ。知らないのかい?今魔法協会の一番の興味は、欠落者だ。もっとも、協会は彼らを『Devianto(ディビアント)』と呼んでいるがね」

別におかしくもないのに笑っているような笑顔を貼り付け、アレオスは言った。

「協会はこの異能の者たちを調べようとしている。いや、能力の仕組みを知りたがっている。この魔法とよく似て非なるものを、協会だけじゃない、魔法使いなら、少なからず興味がわくってわけさ」

 やれやれな話だ。

 物好きな魔法使いが数人この町に来たところで何の問題もない。しかし、魔法協会が出て来るとなると、さずがに話が違う。

「気をつけた方が良い。この欠落者たちは、今後世界を揺るがす不確定要素として、危険視される可能性がある。そして、より強力な能力を持つものを巡って、戦争すら起こり得る。今回の件ではないが、魔法使い、もしくはその弟子同士の単純なやり取りではなく、暗黙のルールも、掟も、良識すらない争いが良しとされることも大いにしてあるだろう。我々、極色も他人事ではないからな」

 アレオスはすらすらと台詞でも読むかのように言った。

「すまない、一方的に喋りすぎたか。では、また。次も敵同士ではなく会えることを願っているよ」

 俺が「ああ」と答えると、アレオスは片手で簡易的な魔法陣を描き、その中に煙になって吸い込まれていった。

 軽く探ってみたが、陣が消えた瞬間から彼の魔術痕はどこにもなかった。かろうじて、ここで魔術が行使されたという残滓があるだけ。

 さすがは青の極色と言ったところか。

 魔法使い同士、最悪は極色同士の戦いとなる、か。

 俺はポケットからタバコを取り出すと、指を弾いて火をつける。

 紫煙を吐き出しながら、大きくため息を吐いた。これはなかなかに面倒な話だ。極色同士の戦いとなれば、どちらかが、あるいはどちらも無事ではすまない可能性すらある。

 命なんてものにそれほど未練はないが、誰だって痛みや苦しみは嫌なものである。なにより俺は負けず嫌いなので、そもそも負けたくなんてない。

 そうなると、準備や、もしかすると修行的なレベルアップすら必要かもしれないわけで……。と考えると、やはり一番の感想はこうだ。

「ああ、面倒くさいな、これは」

 言いつつも、俺はきっとニヤリと笑ってしまうだろう。

 争うを嫌いほど、平和主義じゃない。

 魔法使いであることを誇るほど、魔法が好きじゃない。

 栄誉にも、名誉にも、地位も、富ですらさして執着がない。

 俺は人間らしい何もかもを、あるいは魔法使いらしい何もかもを、騙り、偽り、装い生きている。

 そうしていなければ、俺は俺のアイデンティティを失ってしまう。

 大切なのは、それらしく見せることだ。

 世界において、なに一つ真実を持たない者、それがおそらくアルベルト・ジャナンハイムである。

 かそけき煙、深淵の暗き月光、謀し者。俺はそのどれでもあり、どれでもないのだ。

 深い理由も、道理も、信念も必要ではない。

 ただ自分には、どうしようもないチンピラのような狂気だけは残っている。さすれば、どうせやるなら、徹底的にやるだけだ。

 欠落者も、魔法使いも、魔法協会も関係ない。俺が気に食わないものは、全力で潰すのみ。手にした力は、行使するためにあるのだから。

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