第12話
※
先日ちらりと目にしただけなのに、それだけで私の胸は汚泥に塗れたように息苦しく不快になった。
姿形は前に会った時とずいぶん違う。だが、あの目。青紫の鋭い目と、人を小馬鹿にしたような表情は忘れもしない。
学院に入った当初、あいつは基本魔法も満足に使えない落ちこぼれだった。孤児だったため出所の家も不明、才能もない、気品も、志もない、協調性のない汚いガキだった。
魔術学院では私のほうが二年も先輩だし、家柄だって私は名家アルバレスの嫡男だ。
その差は圧倒的。比べるまでもない。
それなのに。
あいつが高等部の一年に上がる時、からかった私にいきなり牙を剥いた。見たことも無いような魔法を使い、あいつは私を圧倒した。
大勢の前で下級生に負かされた私は大恥をかかされ、それをきっかけにあいつは有名になった。アルバレスの名を継ぐ私を倒したことで、特別扱いをされるようになったのだ。実力主義の魔術の世界で、力は絶対。勝ち負けでの優劣は、揺らぐことのない評価だ。あいつは飛び級をして私と同学年となった。
私は何とか汚名を濯ごうと、何度も挑戦したが、あいつは卑怯な方法で私を退け続けた。そんなことをしているうちに、私は卒業となった。
いささか、あいつに時間をとりすぎた私の卒業試験は、散々だった。合格はしたものの、青の最高位の称号は、実力を二分していたコペンハーゲンに奪われてしまった。
もっと自分の魔術研究にだけ集中していれば、『青藍』の称号は私のものだったのだ。
それもこれも、あの薄汚いはぐれ者の魔法使いのせいだ。
同じ時代を生きたということは、転生するサイクルも似ている。だが、私は思う。この時代同じ国に転生したのは、もはや運命だと。百五十年にもわたる私の恨みを晴らすときがきたのだ。
幸か不幸かこの国では、今面白いことが起きている。
ただの人間が、何かを失うことで魔術師張りの異能を開花させるというものだ。我々魔法使いとはプロセスが異なるようだが、あの力はとても興味深い。
そこで、私は考えた。
この異能の者たちを使って、あいつに復讐をしようと。そうすれば、魔法協会のルールを侵すことなく、あの男を殺すことだってできる。新種の人間の研究もできて一石二鳥だ。
調べたところによると、あいつもなにやらこの異能を研究しているらしい。そしてやつのアトリエには、頻繁に出入りしている弟子のような人間が二人。弟子の一人、女のほうには家がら、色々と恨みを抱く者も多く、その中には運良く異能に目覚めたやつがいた。先の異能者は失敗に終わったが、次は前より強力な力をもっているようだ。丁度良い。弟子もろとも、お前を殺してやろう。
このメフィウス・フォンゲルク・アルバレスを侮辱した罪は重い。
待っていろアルベルト・ジャンナンハイム。
お前には敗北と屈辱を味わわせてやる。
狡猾な青の藍(中)
翌朝に彼女のアパートを訪れた時の喜びは、しばらく忘れられそうにない。
チャイムを鳴らしたドアから現れたのは、しっかりとよそ行きのおしゃれをした央城巴月だった。今日の約束を覚えているということは、彼女はまだ、彼女のまま(・・・・・)。記憶はほぼ全てを共有するらしいから、夕べの約束を覚えているとしても、欠落した状態の巴月が、こんなにしっかりとした準備をして僕を待っているはずはない。
「巴月、おはよう」
「おはよう、聡ちゃん」
思わず、顔が綻んだ。
本来の巴月と、欠落後の巴月。この二つを区別したり、差別したりするつもりはない。二人とも確かに巴月で、それ以外の何者でもないのだから。しかし、まったくもって同じ対応になるかと言われれば、それも違う。
僕は巴月の気持ちを確認したことはないし、僕の気持ちを彼女に伝えたこともない。それは、お互いに何となくあやふやにしている部分なのだと思う。でも、僕たちの間にはきちんと信頼関係が成立しているのは確かだし、気持ちはきっと分かっているのだと思う。ただ、それを決して口にしないのは、あまりにも悲しい現実が待っているからだ。
こんなことを言うと軽薄に思われてしまうかもしれないが、僕はどっちの彼女も好きだし、愛してさえいる。違いがあるとすれば、一つだ。
本来の巴月は、引っ込み思案で奥ゆかしいけど、素直に甘えてくれる。そんなところが、僕としてはほんの少しだけ、過ごしやすいのだ。
「ねぇ、存在を欠落した時の私って、どんな人なの?」
アパートの前の路地を歩きながら、巴月は言った。
「そうだなぁ。なんていうか、とにかくクールで時に豪快で、でも、基本的には感情で動くタイプの子だよ」
言うと、彼女は軽く噴出すように笑った。
「私が?なんか面白い」
「それに、いつも憎まれ口みたいなことばかり言って、好戦的でつんつんしている」
僕はいつもの彼女に抱いている印象を口にしていった。
「そうかぁ。でも、結局は私なのよね。よく誤解されるけど、私は結構感情的だし、好戦的なのよ」
ふわふわとした口調で巴月はそう言う。
それは、そのとおりだと思う。本来の彼女は、一見すると物腰が柔らかで、フワフワポケポケしているよう印象だが、それはきっと彼女が培ってきた処世術の一つであって、嘘というほどでもないが、芯の部分は欠落後の彼女が見せるような、凛として勇ましく、皮肉屋で直情型の女の子なのだ。だから、そういう本質的なところで、僕はどちらの彼女も同じだと思っている。
「知っているよ。だから、僕は今の君と欠落後の君を別人だなんてまったく思っていない。少しテンションの振れ幅が大きいくらいにしか感じてないんだよ」
僕の言葉に、巴月はなんだか嬉しそうに微笑んだ。
今日の予定は至って普通で、特別なことなんてない。ただ街まで出て、ウィンドウショッピングをして、食事をして、あとはモール付近にできた大きな公園でも散歩しようというコースだ。幸い天気も良い。ブラブラと歩くには都合がいい。もっとも、いつまで彼女が居られるかはわからないわけだが。
目的もなく五、六件の店を回ると、すでに時刻は午後一時を過ぎていた。
巴月に変わった様子はない。こんなに長い時間元に戻ったままなのは、珍しい。僕たちは、近くのイタリアンレストランで昼食をとると、予定通りモール直結の公園に出た。
陽は少し弱まって、気温的にも過ごしやすい。噴水の近くのベンチに座ろうかと広場に向かうと、なにやら人だかりができていた。
「なにか、やっているのかしら」
巴月がそんな風に聞く。
近くに寄って覗いてみると、噴水前の広場では膝丈ほどの女の子二人が、優雅に手を取り踊っていた。
僕は少し目を疑った。奇麗な目に整った顔立ち、白いドレスと黒いドレスを着た二人は、双子のように同じ顔をしていて、各々、揃いの色の帽子まで被っている。
いや、おかしい。背丈が小さすぎる。
もう少し覗いたところで、やっと僕は理解した。
噴水の淵に腰掛けているニット帽を被った男性が、両手を前にかざし、穏やかな表情で踊る二人を眺めている。そう、彼女たちは人形なのだ。
人形ならば、何も不思議はない。異常に小さな背丈も作ったように奇麗な顔も、変わらない無表情も、時々滑らかさを欠く動きも、合点がいく。
「あら、大道芸人の方?お人形さんが踊っているわ」
僕の後ろから広場を見た巴月が、そう言う。
「そうみたいだね。マジシャンかも。この距離なのに、操っているからくりが全然わからないよ」
僕は言った。男性は、手は動かしているものの、その指先には糸はついていないし、それらしい仕掛けは見当たらない。テーブルマジックなどは、目の前でやっても騙されるというが、これもそうなのだろう。
「上手いものね。見えないワイヤーかしら。あの二人、すごく可愛らしい」
ちょこちょことダンスを続ける双子の人形に、巴月はご満悦のようだ。
確かに、この操り人形劇は、上手いし可愛らしい。しかし、なぜだろう。僕はこの人形たちに、これ以上近付きたいとは思わなかった。
「素敵なドレスね。お帽子まで」
もっと近くに行こうとする彼女を、殆ど反射的に引き止める。
「どうしたの?聡ちゃん」
「あ、いや。なんか、いやな感じがして」
「えっ?」ともう一度葉月が首を傾げたとの、それは同時だった。シュッという空気を切る音に、僕は俊敏に反応した。見えたのは、白い布。僕の体は、それだけで危険を察知する。こういう咄嗟に、日ごろの訓練と反射神経が役に立つ。
(制限解除(アウトリミット))
心の中でそう呟く。まだ習いたての技なので、成功するかはわからないが、やるしかない。僕はそのまま、巴月を抱きかかえるようにしてその場から数歩後ろに下がる。
世界が少しだけゆっくりと流れる。スローまでは行かないものの、八割再生をしているようだ。それは、噴水の水の動きでわかる。ほんの二メートルほど飛んだつもりが、実際には五、六メートルほど後ろに下がっていた。あらゆる肉体の制限が解除される制限解除は、未だ使いこなせてはないのが事実だ。
僕はまだ動きを完全に止めないまま、先ほどの白い布を眼で追った。
予想通りだ。
白い布は、先ほどの人形の片割れだ。弧を描いて着地すると、しっかりとこちらを向く。僕はちらりと噴水を見た。男性はまだ座っている。そして黒いドレスの人形は……いない。
ふと、視界の右隅に動く物体を捕らえる。
先ほどの不意打ちとは違う。今度は良く見て対応する。案の定、それは黒いドレスの人形だ。手には短剣のようなものを持って、体ごと飛んでくる。
敵か。
この人形が?
いや、となるとあの男性も敵だろう。人形使い?欠落者か?
様々な憶測が頭を過ぎるが、とりあえず攻撃をかわさなければいけない。幸い、向こうのスピードは、それほどでもない。制限解除状態の僕ならば、何とか避けられる。が、決して有利ではない。今の僕は、巴月を抱えているわけで、彼女を庇いながらよけ続けるのにも限界はある。それに、僕はまだこの技を長時間持続できない。
(とりあえず逃げるか)
僕は黒服の人形の剣をかわすと、そのまま全力で走り出した。そのときに気づいたのだが、不思議なことに、さっきまでいた人だかりが、いつの間にか全く無くなっていたのだ。
「ちょっと、聡ちゃん、なに?」
抱えられていた巴月が、がくがくと揺らされながら、やっと喋る。
「理由はあと。舌を噛むといけないから、黙っていて」
五十メートルほど走りきったところで、僕はモールの休憩所で巴月を下ろした。大分息が上がっている。なるほど、制限解除は通常の状態に戻った時が一番つらい。肉体への負担やダメージが一気に降りかかるのだ。
「大丈夫?」
巴月はベンチに座り込んだ僕を覗き込むように見つめた。
「ああ。それより欠落者だ、多分。君か僕か、あるいは両方か。確実に襲ってきた」
「さっきの人形?」
「そう。人形使いの力……先生の言っていた支配系の能力かも」
「そうだよ」
よく徹るその言葉に、僕も巴月も、顔を上げた。
ベンチの真正面、距離はまだ二十メートルはあるものの、声の主は不気味な空気を纏ってゆっくりと歩いてくる。高級そうなグレーの薄手のセーターに同色のニット帽。先ほどの人形使いだ。
「オレの能力は、『支配』だよ。人も物も、この力を使えば自由に操れる。まさに王に相応しい力だと思わないかね?」
ニット帽の男性は、両手を広げ不適に笑った。
僕と一緒に彼を見詰めていた巴月の目が、何かを発見したように一際大きく開いた。
「あなた、真宮寺のところの……」
巴月はそう、呟いた。
「真宮寺?西方の真宮寺か」
聞くと、彼女は視線を逸らさぬまま、こくりと頷く。
真宮寺家。この町で真宮寺を名乗り、しかも巴月の知り合いとなれば、一つしかない。この町古くからの名家、東西南北の西の統括、西方院、真宮寺家だ。
「覚えてくれているとは、光栄だ。君のことだから、てっきり知らぬ存ぜぬを決め込まれると思っていたが」
なおも余裕の表情で、彼は言う。
「忘れもしないわ。醜い下心で私に近付こうとした愚か者。現当主の中でもっとも俗で浅はかな野心を抱く者。真宮寺正次」
その瞬間、真宮寺と呼ばれた男の顔が険しくなるのがわかった。
「お前はそうやって、オレをバカにするのだ。あの時も、いや、生まれからずっと全てをバカにしている。その高慢な態度がオレは気に食わないんだよ」
急激な口調の変化。目つきの深刻化。何とか隠されていた狂気が、解き放たれるのがわかる。詳しい事情は知らないが、この男は巴月に個人的な恨みを持っているらしい。しかも欠落者で、攻撃を仕掛けてきているということは、彼の目的は僕たちを、特に巴月を殺すことと考えてよい。
さて、どうしたものか。
まさか、このタイミングで襲われるとは思ってもみなかった。戦闘に使えるようなものはもっていないし、僕自身の戦闘能力だって低くは無いものの、巴月のようなセンスはない。こちらは身体能力を上げるだけの制限解除のみ。頼みの綱の巴月も今の状態では戦闘には向かない。相手の武器はさっきの人形二体と、支配系であるなら、ほかのものも操れると考えるのが妥当だ。となると、多勢に無勢となるのは、目に見えている。
「そうだ、紹介が遅れたね」
真宮寺は言って、手をかざすと、呼応するように後ろから二体の人形が現れた。さっきの二体だ。
「こちらの白いドレスがルーチェ。こっちの黒いのがオンブラだ」
手で示して紹介すると、それに合わせて人形たちはお辞儀をする。
ルーチェにオンブラ――『光』と『影』か。大層な名前をつけているじゃないか。
「じゃあ、目障りだから、とりあえず死ねよ」
言って、真宮寺は右の一指し指を一本立てると、上から、前に向けて突撃サインをおくるように降りぬいた。
上空には、三つの影。すずめだろうか。小さな茶色い鳥が、勢い良くこちらめがけて急降下してくる。
「逃げるよ、巴月」
「うん」
急降下とは言っても、弾丸ほど早いわけではない。身体能力も動体視力も良い巴月はもちろん、僕だって避けられる。しかし、これが持久戦になればどうだろう。向こうは自身の体力を使わず、駒に襲わせ、じわりじわりと体力を奪う。鳥を操れるということは、その操作領域も広い。複数も可能。条件や射程は、逃げながらだけでは調べきれない。どう考えても、こちらが先にダウンする計算になる。
攻めるしかない。
しかし、どうやって?
堂々巡りだ。
僕たちは、ショッピングモールの中を駆け巡る。角と物陰を利用して、直接追ってこられないように逃げる。そうだ。人ごみに隠れたらどうだろう。一般人を巻き込むなんて、本来なら選択肢にはないが、背に腹は変えられない。
と、そこで僕はやっと異変に気づいた。
いつもなら、もっと前に気づいていたはずのことだ。
さっきまで、少なくとも、昼食を済ませるまでは大勢いたはずの客が、どこにも居ないのだ。
土曜日のショッピングモール。時間はまだ午後の三時少し前。家に帰るには早すぎるし、こんなに一斉にいなくなることなどありえない。そうなると、いよいよまずい。
人はいない。盾にすることも、隠れ蓑にもできない。
次に、こんなに一気に人を退ける方法。
おそらく、結界だ。この一定の敷地内を別の世界となるような結界を張っているに違いない。多少魔術めいたものは使えるが、僕のはそのほとんどが通信や連絡の手段だ。実践的な魔法や解呪の方法なんて知るよしもなく、知っていても魔法使いではない僕に使えるとは思えない。
あとは、やはり巴月か。
随分引き離したところで、一旦僕たちは休むことにした。上がった息を整える必要もあるし、考える時間もいる。ここが結界の中なら、なにをどうしたところで、やつからは逃げられない。それでも作戦を立てるための時間くらいは稼げるはずだ。
「聡ちゃん」
巴月が呼ぶ。
「私がいつもの力を使えれば……」
「いや、大丈夫だ。何とかする」
そうだ。僕は巴月の欠落を治したい。それは、異能者で無くなるということ同義。こんなときだけ異能を求めるなど、都合のよい話だ。
「巴月、異能ではなく、力を貸してくれ。やつの能力を詳しく知りたい。仮説でいい。考えてみてくれないか」
言うと、巴月は頷く。身体能力だけではなく、もともと思考や発想にも秀でているのが彼女だ。
「僕はなんとか、この結界から出る方法を考える」
結界を壊す方法は、基本的には無い。
さっきも考えたように、解呪の魔法を使えない以上、それは無理だ。だが、例外的な方法が一つと、確証はないが、可能性が一つ。
例外は欠落した状態での巴月の『朽ちゆく月(ディスペア)』。生物には効かない能力だが、逆を言えば、生物以外なら、どんなものでも視界内の時間を切り取って進行させることができる。結界も永遠ではないと聞くから、それなら破れる。だが、肝心な巴月は元に戻っている最中。力は使えない。現状では無理だ。
可能性の方は、もしこの結界を作ったのが先ほどの彼なら、本人を倒せば消える確率は高い。だが、それは彼本人が作ったという点、時限式や封印式ではない通常の結界であるということ、そして、敵が彼一人であること、など不確定な要素が多すぎる。
僕一人で戦うことを考えてみよう。
先ほどの戦闘からわかることは、あの高速で動く人形にしても、操った鳥にしても、限定解除した状態なら、かわすことは不可能ではない。ならば、真っ向から勝負を挑んでも、それほど分の悪い戦いではない。支配などの遠隔操作が可能な能力は、大抵本体の戦闘能力は高くないのが定説だ。
と、なると。
限定解除による一転突破。
だが、一番忘れてはならない可能性が一つ。
「操作系の能力は酷くレアだから、なんとも言えないけど、先ほどの攻撃を見たところ、ちょっと違和感を覚えたわ」
ポツリと、巴月が漏らす。
「違和感?」
「ええ。何か、しっくりこない感じというか。当然あるはずのものが無いような、そんな感じ。そしてそれは、支配する条件にも関わっている気がするの」
操作系の支配条件。
確かに一番ネックになるのは、彼の支配する条件だ。範囲か、特殊な約束か。範囲だった場合、うかつに近付いて僕自身が操られてしまっては、元も子もない。特殊な約束にしても、それがわからない以上、リスクが大きい。
「あっ、聡ちゃん」
突然、巴月が僕の腕を引っ張った。
「ごめん、時間みたい」
「えっ?」
薄く笑ったかと思うと、彼女はそのままスッと目を閉じた。体から力が抜けるのがわかる。
「おい、巴月」
僕は彼女を抱きとめると、肩を揺すった。
「巴月、時間って、欠落か?」
巴月は目を閉じたまま、動かない。
「くそっ」
悪態を付いては見たものの、これで僕のやるべきことは絞られた。計ったような欠落は、もしかすると彼女自身が強く望んだ結果なのかもしれない。僕は少し複雑な気分だった。巴月の異能が復活すれば、この事態も解決だ。でも、それは、僕一人ではこの状況を解決できなかったということだ。それが、不本意で口惜しい。そして、ここで彼女が欠落のために気を失ったことで、正直、助かったと思っている自分がいる。それが何よりも悔しかった。
僕はゆっくり彼女を寝かせると、逃げてきた方向へと足を向けた。
向こうからも足音が聞こえる。
彼も近付いてきている。
「おや、逃げるのはおしまいかい?」
ニット帽姿の男、真宮寺正次が、さっきと同様に余裕の表情で歩いてくる。傍らには二体の人形。上空には数羽の鳥。
「ああ、おしまいだ。状況が変わってね。僕が相手をしよう」
後悔も自己嫌悪も、あとにする。
巴月が欠落への眠りに落ちた以上、あとは目覚めるのを待つだけだ。それも、そう長い時間ではない。
僕の使命は、時間を稼ぐこと。
「勇敢だね。でも、それは蛮勇だよ。無謀ともいえる」
「さあ、それはどうかな」
僕は言うと、すぐに体勢を低くして、『限定解除(アウトリミット)』する。
体感時間が引き延ばされる。
大気が重い。いつも以上の摩擦。
やや遅く、彼が手を動かす。
両隣にいた白と黒の人形が、飛び出してくるのが見える。早い。この状態でこれだけ早く見えるということは、実際の時間内では、目で追うのができるかできないか位のスピードのはずだ。直線の動き、たとえ二体同時でも、直線ならばよけられる。僕は体を捻って何とか黒服の人形の剣をすり抜けると、白服人形の体当たりを紙一重でかわす。かわした拍子にそのまま人形を目で追うと、案の定、二体の人形は着地した反動で、すぐさまこちらに向かってくる。二撃目である。僕の体勢はあまり万全とは言えない。と、後方から気配を感じた。
鳥だ。
雀のホーミングミサイル。見たところ三羽。それでもまだ、僕の体感時間ならば、回避可能だ。一羽をよけて、二羽目をいなす。かすった腕がちりちりと痛んだ。三羽目も回避。だが、これで人形をかわすのがほぼ不可能になった。
目の前まで来ていた白い方を反転でよける。しかし、黒は無理だ。
(止む終えない!)
僕は咄嗟に右腕を前にしてガードする。鋭い痛みと、鈍い痛みが同時に襲ってきた。何かが腕を貫く感触。刃渡り十二センチほどの剣が、思い切り肉に食い込んでくる。僕は歯を食いしばった。ここで怯む訳には行かない。ガードをしたのとは別の腕で、黒服人形の頭を掴み、そのまま力いっぱい地面に叩きつける。その作用で剣が傷口を更に開いたが、仕方がない。しばらく左腕はまともに動かせないだろう。
小気味のよい音と共に人形は衝突し、その勢いのまま豪快にすり転がっていった。
まだだ。
出来ることなら、このまま彼の近くまで行って、せめて一撃くらい入れられると、状況は随分変わるはず。
僕は一直線に踏み出す。
相手は限定解除を使えないと見ていいだろう。ならば、この瞬間は圧倒的に僕のほうが有利。
(!)
と、察知した時にはすでに遅かった。衝撃は僕のわき腹をえぐり、体ごと横になぎ倒した。
「ぐっ!」
思わず声を上げ、先ほどの黒い人形のように、今度は僕自身が地面を滑って行った。
強烈なブローに息ができない。
何が起きた?
僕はわき腹を押さえながら、辺りを確認する。すると、丁度白い布を纏った人形が優雅に着地するところだった。そうか、先ほど反転して避けたはずの白人形が、三度目の攻撃を仕掛けてきたのか。まったく、早い上に小さく、さらに出鱈目な動きをするものだ。
呼吸はできるようになったが、わき腹に違和感がある。肋骨がやられたのだ。ひびか、最悪一、二本折れている可能性がある。痛みはあるが、限定解除で体が活性化しているためそれほどでもない。
僕は立ち上がる。肋骨が痛い。左腕には貫通しそうな大きな傷と、多量の出血。全身は打撲だらけで、擦り傷は無数についている。ぼろぼろだな、と思う。
体が感じている。
恐怖だ。
それは精神的な恐れではない。肉体の感じる恐怖だ。体が生命活動を継続するにあたっての困難と危険を示すいわば信号、アラームなのだ。
過去に数回、味わったことがある。死にかけるたびに、この感覚を味わうことになる。ということは、自分の体は今、相当やばい状態にあるようだ。
(まずいかな、これは)
「さあ、終わりだ。無謀な勇者くん」
真宮寺はそう言って、また人差し指で攻撃命令を出した。
中を舞う黒い影が、一瞬だけ静止し、直後、こちらに向かって襲い掛かってくるのが分かる。
両腕を犠牲にすれば、ギリギリ死なずに済むだろうか。
そんなことを考えながら、僕は痛む腕をなんとか引き上げて、防御体勢をとる。
しかし、その動きさえ、この傷では緩慢になってしまう。
(クソッ……)
体に風穴が開くかな、これは。
僕は嫌な覚悟をして、歯を食いしばった。
その時だ。
「朽ちゆく月(ディスペア)」
声が聞こえるのと、雀がズタズタに空中分解するのは、ほぼ同時だった。
「なにっ?」
真宮寺は動揺したような声をあげる。
しかし、そんな真宮寺を全く無視して、彼女は言葉を続けた。
「聡介、あなたはアレなの?マゾヒストとか、そういった類の性癖の持ち主なの?」
「ははは、どちらかというと、そうかもしれないね」
僕は血まみれの腕を押さえながら笑って答える。
「この変態」
「まてまて、変態じゃあ、ないさ」
「だって、Mなんでしょ?自ら進んで痛いのとか、危険なのとかに首を突っ込みたいんでしょ?それはもう、立派な変態よ」
僕は何とか体を引きずるようにして、彼女へと振り返る
いつものツンとした口調、冷ややかな瞳、そして、凛とした佇まい。間違いない。コレは、彼女は、欠落者である央城巴月だ。
「まあ、いいわ。致死ダメージになり得る傷は?」
「失血がやや心配だけど、多分大丈夫だ」
「本当?」
「ああ」
答えると、巴月は足早に僕を追い越し、真宮寺の前に立ちはだかった。
「西方院、真宮寺正次従雲」
気だるそうに指を指して、鋭く睨む。
「あなたの異能はもう分かったわ。色々な可能性を孕んでいそうだったから警戒していたけど、なんてことはないわね。お粗末も甚だしいわ」
その言葉に、真宮寺が憤りの表情を見せたのは言うまでもない。
「なんだって?この『支配』する力のどこがお粗末だって言うんだ!」
今度は巴月の眉間にしわが寄り、より不機嫌そうな顔になった。
まるで蛆虫でも見るかのような嫌悪感丸出しの目で、彼を睨む。
「私の『朽ちゆく月』は、命あるものには効かないの。でも、さっきの雀は朽ち果てた。どうしてか?」
巴月の目が冷たく澄んで、同時に嘲笑と侮蔑の色に染まる。
「人形を意のままに操り、その辺の野鳥も武器に変える。完全にコントロール系の異能。でも、それならターゲットである私たち自身を直接操り、自害させればいい。それなのに、そうしないのはなぜか?」
淡々と語りながら、巴月は真宮寺へ一歩、また一歩と詰め寄る。
「支配条件が満たされていないから?支配範囲に入っていないから?」
その歩みには、何の恐れもなく、躊躇もなく、また慢心もない。どこか優雅にすら見えるその姿で、彼女は近付く。
「いいえ、違うわ。答えは、『出来ない』からよ」
真宮寺から二メートルほどのところで、彼女は立ち止まった。
「あなたが操れるのは、物体だけ。だって、死体は魂も命もないただの『物』だから。しかも、『物体』が操れるといっても、その条件はさらに悪いわ。『人形』や『死体』のように、生命活動をしていたか、もしくはそれに似せて作られたものしか操れない。そうでしょう?」
巴月が言い放つと、真宮寺は苦い顔をしながら押し黙った。
「『物体』全部を支配できるなら、ナイフでも包丁でも、鉄パイプでも、岩でも、車や建物だって武器に出来る。でも、そうじゃない。まあ、自力じゃ誰一人動かすことの出来ないあなたには、お似合いの能力だけれど」
最後に、彼女はひどく妖艶で、見下したような微笑をした。
「こ、この、くそアマ!」
真宮寺はいよいよ憤りを露にして、二体の人形に命じる。
「ぶち殺せ!この家柄だけのくそ女をズタズタに切り裂いてやれ!」
白と黒の人形は、それぞれ巴月の右と左から、狙いを定めて向き直る。
だが――。
「あなた、本当に馬鹿なのね」
彼女が呟くと、先ほどまで構えていた二体の人形が、見る見るうちに、崩壊を始めていった。
「言ったでしょう?私の『朽ちゆく月』は、『物体』に効果を及ぼすと。私はすでに『見詰めている』のよ、その人形達をね」
白の人形だったものは、既に表面のコーティングは全て剥がれ、四肢も腐り落ちる肉塊のようにぼろぼろとその場に散らばっていく。黒も同じく、ドレスの一部を残してはいるものの、どのみち『人形であった』面影をわずかに残す程度だ。
カランッと、黒人形の持っていた短剣が転がり落ちる。
巴月は、ゆっくりとそれを拾って、再び真宮寺の前に立ちはだかった。
「さて、どうしようかしらね」
とても冷たく、惨忍で、興味の薄い目で、真宮寺を見下す巴月は、妖艶なほど美しく、そして恐ろしかった。
「命を奪ってしまっても構わないけど、正直な話、あなたには、殺す価値すら感じないわ。それに、今の私はとても冷静なの。少しだけ腹は立っているけれど、その反動で人殺しをするほどではないわ。かといって、このままあなたのような世界のクズを何のお咎めもなしに解放するほど、寛大な心も持ち合わせては居ない」
彼女は小さく笑った。
「聞かせて頂戴。あなたは、誰にその力を貰ったの?もしくは、誰に力の使い方を教わったの?」
真宮寺はうな垂れて答えようとしない。
「黙秘するのかしら。いやね。私は拷問とか、得意じゃないのに」
そう呟く巴月の目が薄っすらと青く光り始める。
パチンッと何かが弾けるような音がしたのは、その時だった。
「巴月、そいつから離れろ」
僕はとっさに叫んだ。
何となく、嫌な予感がしたのだ。
その音は、魔法が行使される時の音だ。
「!っ」
巴月も何かを察知したように、後ろに飛びのいた。
「ぎゃああああああ」
同時か、直後のことだ。真宮寺の絶叫と共に、彼の体が青い炎に包まれていた。
「なに?自殺?」
飛びのいた勢いで僕の隣まで来た巴月が言う。
「いや」
僕は異を唱えた。
これは、おそらく異能ではなく、魔法だ。
そして、普通の人間に魔法は使えない。使えるのは、当然、魔法使いだけだ。僕はどんどん燃え上がる真宮寺を見ながら、携帯電話を取り出した。
二コール目で、電話が取られる。
『やあ、聡介君かい?そろそろ電話が来る頃だと思っていたよ』
軽薄とも言えるくらいの軽い口調で、先生が電話に出た。
「その様子だと、今の僕たちの状況、わかりますよね?」
僕は言った。先生は使い魔に僕たちを見張らせている。それは僕たちを監視するためでもあり、守るためでもある。
『ああ、使い魔から交戦中との連絡が入っていたからね。もうちょっとで俺直々に出て行こうとしてたところさ。でも良かったね。巴月ちゃんの覚醒がギリギリ間に合ってさ』
全く緊張感のない先生。まあ、これでこそ柊千亮なのだろうけど。
「ええ。それで、真宮寺……あ、敵の異能者が、突然発火し始めたんですが、どうやらこれ、魔法みたいなんです」
『ああ、そうだね。それは魔法だ。彼はどうやら、口封じされたみたいだね。でも大丈夫。その魔力の痕跡を辿って、本人を突き止めるから。ああ……、ほら、わかった』
なんだか嬉しそうに先生は呟いた。
『じゃあ、二人とも、気をつけて帰りたまえ。俺はちょっと、仕事しに行くからね』
そう言って、電話は切れた。
「よし行こう、巴月。ここにいると厄介だ」
「そうね」
もう悲鳴さえ口にしなくなった燃え殻を横目に、巴月はそう答えた。
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