第10話

 オレは小さい頃から、人の上に立つものとして育てられた。

 様々な英才教育はもちろん、教養だけではなく、運動神経や趣味と呼べるものに至るまで、オレは完璧に作られた。

 不満がなかったわけではない。ただ、オレの親父は自分にとって偉大であり、尊敬できる存在だった。だからこそ、その親父が言うならば、親父と同じになれるならば、こんな息の詰まる人生も納得ができたのだ。

 オレは優秀だった。

 学校の成績はいつもトップ。美術や体育だってそうだ。部活も、陸上部では百メートルの選手で、インターハイで二位だった。

 親父の言うとおりに、いつだってオレは期待以上の結果を残した。

 だが、大学一年の夏、オレは世界の矛盾と理不尽さと、不可解さと挫折を知ることになる。

 央城巴月。

 この土地の古い呼び方をするなら、四方院、中央城巴月。

 この街の東西南北に置かれる院全てを統括する長の娘。当主相続権第一位の女。古くからの支配体制を重んじるこの街において、家の名前は絶対だった。

 オレ達東西南北の院の名家とは、別格の家、それがこの街の全権限を握る央城家だ。

年に二度の親睦会(関係者は全員出席の社交界)でお披露目となった次期当主を見て、オレは愕然とした。

若干十五歳。

高校生なったばかりの央城巴月は、この世のものとは思えないほど美しかった。まだあどけなさはある。子供でもある。しかし、彼女から感じる見えない何かは、この場の支配者であること無言で物語っていた。

 大の大人たちが、次々に頭を垂れ、巴月に挨拶をしていく。オレの親父も、北の加賀美のおじさんも、オレの尊敬する大人たちは皆彼女にひれ伏しているのだ。

 そんな大人たちを、巴月はつまらなそうに見下し、ただ淡々とこなしていく。

 世の中の事情も、社会の仕組みも分からないわけではない。しかし、この圧倒的に理不尽な状況に、オレはどうしても納得がいかなかった。

 だが、衝撃的だったのは、そのあとだ。

 オレの心中を察した親父は、その時に言ったのだ。

「これが現実なんだ。いってしまえば、我々は全て、央城家の所有物なのだ。たとえばここで、あの巴月お嬢様が私を殺せと命じれば、きっとここにいる者たちは迷わずに私を殺すだろう。それほどまでの権力をもっているのだ。それに、見ただけでもわかるだろう。央城の、いや、四方院の世継ぎには、絶対的なカリスマ性がある」

 オレの努力や積み重ねてきたものが、否定された瞬間だった。

 巴月も優秀な人間ではあったが、飛びぬけてどうと言うほどではなかった。総合的な能力は、オレのほうがはるかに上だった。それなのに、家の名前が違うだけで、こんな格差があるのか。

 だが、そこで絶望するほど、オレは無能じゃない。

 なぜ親父や、その他の院の人間は考えないのだろう。

 この央城家を没落させ、自分たちが支配の頂点に立とうと。

 オレは考えた。そして、妙案を思いついたのだ。

 央城巴月も年頃の娘。それも囲いと制約の中で育った世間知らずだ。こっちが本気になったふりをして近付けば、落とせる可能性は高い。そうすれば、あるいは……。

自慢ではないが、オレはルックスにも自身がある。長男で、西方院の正統な次期当主でもある。一流の大学に一流の人生。何一つ、文句のつけようがあるまい。事実、当主同士ではないものの、央城家と分院家との結婚は過去にいくつかある。

 オレは色々な理由をつけては、巴月にアプローチを開始した。

 やっと二人きりで出かけたときには、ある種の手ごたえを確信した。

 しかし――。

「どういうつもりかと思えば、そういうこと。私に付け入り、この央城家を狙おうという魂胆ね。あなたは優秀なのに、とても平凡で俗すぎるわ。私は、家も社会的なステータスにも興味がない。でもね、人間の真の価値については、正しい感覚を持ち合わせていると自負しているの。あなたには、人間としての価値が低いわ。お父様は立派な方ですのに。次期当主のあなたがこんな愚かな考えの持ち主だとは。恥を知りなさい」

 巴月はいつもの冷たい表情でそう言い放った。

 頭に血の上ったオレは、思わず巴月に掴みかかろうとした。だが、彼女はオレの腕をするりといなして、横へ逃れた。

 次の瞬間、オレは五人の黒服の男たちに囲まれていた。彼女のSPたちだ。

「大丈夫よ。私が少しだけ、失礼なことを言っただけ。お父様にも、西方院の方々にも、報告の必要はなくてよ」

 巴月が男たちにいうと、彼らは懐に入れた手を出してオレに一礼をして彼女のあとについていった。

 どこでも、いつでも、彼女はSPに守られている。

 残されたオレはしばらくその場に座り込んだ。屈辱、敗北、憎悪。あらゆる負の感情が心の中を掻き毟る。

 オレの中に確固たる復讐心が芽生えたのは、そのときだ。

 何年かかってもいい。

 何を犠牲にしてもいい。

 オレは一生をかけて、必ずこの央城巴月を屈服させてみせる。

 それが、この西方院 真宮寺正次従雲(しんぐうじまさつぐじゅううん)の新たなる生きる糧となったのだ。

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