第7話

推定自殺(後)


 浅岡聡介という人間を、私は馬鹿だと思う。

 彼は一般市民で、多少魔法まがいのことが出来たって、所詮は人間だ。特殊な力があるわけでもない、特別な訓練を受けたわけでもない。なのに、彼は怪しい魔法使いの助手をやっているし、そもそも普通ではない世界に飛び込んで生きている。

 それが不思議で不気味で、愚かだと思う。

 でも、私は彼がこっち側にいることを、誰よりも望んでいる。生まれた時から、普通の人間とは違っていた私を、挙句の果てに異能の者となった私でさえ、普通に接してくれる。

 彼は私にとって、必要な存在だ。大切な存在だ。

 しかし本当に大切なら、自分のいるような、危険な世界にいさせるのは、間違いなのだろう。彼の本当の幸せを願うのなら、彼を元の世界にもどすことが正解なのだろう。彼の意思とは関係なく。

 それなのに、私は自分の近くから、彼を離したくない。この世界にいてほしい。だけど、普通に、平凡に、安全に生きていほしい。

 私の中の矛盾とも言える二律背反は、いつも頭痛の種だ。

 聡介は、廊下の奥の部屋で、頭から血を流して倒れていた。本当に死んでしまったとのでは思いながら抱き起こすと、彼は頭を抑えながら目を覚ました。悪運の強い男だ。彼曰く、「打ち所が良かった」らしい。

 支えるように肩を貸して部屋を出た所で、聡介は顔を顰めた。

 剥製のように冷たく立ち尽くす少女の横を、ゆっくりと通り過ぎる。この屋敷には死体が二つ。一つはバスルームに座り込む、顔こそ陥没しているが、失血によるショック死の、普通の自殺死体(・・・・)。もう一つは、そのバスルーム前の廊下に立つ氷付けの死体。日本の九月では、何をどうしても常温の室内で凍死などしない。しかし、この少女は凍死している。あらゆる科学を駆使しても、この条件下ではありえない奇妙な死体。

 出口に差し掛かった当たりで、隣からすっと息を吸い込む音がする。

「殺したのかい。彼女を」

 とても穏やかな声で聡介は問うた。

 この質問が、どれほど私を傷つけるのか、それを知っていて、彼はあえて言うのだ。それは、彼なりの思いやりというかなんというか、愛情的なものなのだ。

「ええ」

 私は頷く。

「その『彼女』がそこにいる生物をさす言葉ならね」

「また、そういう屁理屈を」

 聡介は冗談っぽく言ったが、顔は笑っていない。

「私は、人は殺していないわ。彼女はもう、人ではないもの」

 どんな理由があっても、それがすでに人のカテゴリーから外れた者であっても、命を奪うということに、聡介は厳格だ。それを認識させることで、私を自分のいる世界に繋ぎとめてくれているのだ。この時こそ、私は己の異能を一番強く感じる時であると同時に、一番異能を許される瞬間でもあるのだ。

「巴月」

 彼が私の名前を呼ぶ。

「なに」

 また説教の続きかと適当に返事をする。

「ありがとう」

 その言葉が妙に温かかったのと、ふと耳元にかかった彼の息に、私は何も答えられなかった。

「あなたに死なれると、困るのよ」

 こっそりと、捨てるように呟くと、聡介は鼻で笑った。

「大丈夫。僕は死なないから」

「人間は簡単に死ぬものよ。いくらあなたが常識から外れた世界で生きていても、あなた自身は常識の範疇から出ない存在だもの。本当、簡単に死んでしまうわ」

 自分でも驚くほど、か細い声だった。

 聡介は何も言わなかった。このタイミングで黙り込むのは卑怯だ。でも、簡単に何かを言い返せる言葉ではないのかもしれない。

私たちは寄り添ったままで屋敷を出た。出たあたりで、聡介は一人で歩き出し、携帯電話を取り出した。

「先生に連絡しておかないとね」

 先生とは、柊のことだ。

 そうだ。私は殺すことと壊すことは得意だが、そこから先ができない。つまり、死体をどうするとか、建物をどうするとか、アリバイとか、証拠隠滅とか、そういうのは一切できない。それを完全にサポートしてくれるのが、あの目だけは鋭い薄ら笑いの魔法使いなのだ。

 二分ほど話して電話を切ると、聡介はいつもの人の良さそうな笑顔を見せた。

「結局、なんだったの?」

 私は聞いた。もちろん、それは今回の事件の真相についてだ。

「多分、単純な恋の話なんだと思う」

「恋?それは、恋愛の恋?」

「そう。ほら、可愛さあまって憎さ百倍っていうだろ?好きになりすぎると、その独占欲、支配欲が強くなって、あげくにはその手段を選ばなくなる」

「手段……つまり、殺すってこと?」

「うん。自分の手で終わらせることで、何もかもを支配した感覚になる。もともと、恋愛は所有欲の延長でしかないからね。もっとも、彼女は何か特別な力をもっていたようだけど、詳しくはもう分からないね」

 聡介は少し笑いながら言った。

「それでも、関係のない人を三人も殺した。それはもう、理のない殺人」

「そうだね。しかも自殺に見せかけるという小細工があった。そこに、悪意がある。潔くない真意があるんだ」

「でも、彼女は何がしたかったの?」

「だから、一番好きな人を、一生独占するために殺したかったのさ。奇麗に殺して、保存でもしておくつもりだったんだ。それを、ぶっつけで試すわけにはいかないから、別の人間で実験した。必要なデータがそろうまでには三人かかった。人一人を殺すのに、三人殺したってことだね。言葉としては極めておかしいけど」

 彼は打って変わって、無表情で言った。

 私たちはそれきり会話しないままバス停まで歩いた。もう十分に空は暗くて、郊外に位置するこの場所は、不気味なほどに寂しかった。風は少しだけ生暖かい。

十五分に一回のバスを待つ間に、ふと些細な疑問が口をついて出た。

「純粋な思いだったのかしら」

「根底はね。でも、プロセスを間違えた。いや、愛情というものの本質から考えると、間違えず(・・・・)に行動した結果がこうなったというべきかな」

「間違えなかった?」

 私が聞き返すと、聡介はゆっくり「うん」と頷いた。

「人によって違うだろうけどね。僕が思うには、愛情は、特に血のつながりのないものへのそれは、主に支配欲や所有欲、独占欲で成り立っている。でも、同じ人間であり、その人に意思と言うものがある以上、完全に意のままにはできない。よく『思い通りにならないのが面白い』なんていうけど、あれは間違いさ。本当は思い通りになった方がいいに決まっている。道徳とか倫理観とか、そういう刷り込みで、僕たちは他人の意思を尊重しない人間関係を頭ごなしに否定されているから、その純粋な欲望を捻じ曲げることが善とされ、常識とされる。つまり欲望に忠実でない状態が、正常とされているんだ。それが、ようは間違えた状態ってわけさ」

「じゃあ、独占したい、という純粋な欲望に忠実に従ったから殺すという結果になったわけね?」

「そのとおり。あとは簡単だ。意志のある他人を、意のままにするにはどうすればいいか?」

 単純な話だ。

 その人を物にすればいい。つまり、意思を持たない死体にしてしまえばいい。

「でも、殺してしまえば、いなくなる。動物のように剥製にしておけないしね。怖い話だけど、そういう理由があるから、何とか殺さないで済んでいる愛も、世の中には少なくないと思うんだ」

 人を剥製のようにする方法が、彼女にはあった。だから殺すことにした。それが科学の技術なのか、異能の力なのははっきりしないが、おそらく後者だろう。

 彼は言い終えるとしばらく宙を見詰めていたが、突然なにかを思いついたように笑った。

「欲望に忠実と言うのは、魔法使いに似ているね。先生も言っていたけど、『魔法使いとは、純粋に結果を求め、そのためにはどんな手段も選ばす、常に非情であれ』だとさ。その純真さこそが、狂気と呼ばれるものの正体なのだとしたら、僕たちの狂っていない状態というが、実はすでに狂っているのかもしれない」

 難しい言葉遊びのように彼は言った。

 私は「そうね」と適当そうな相槌を打った。

 ようやくバスが来て、それに乗り込む。額の端の方の、ふき取りきれなかった血を手で隠すようにして聡介は一番奥の席に座った。私もその隣に座る。

 先ほどの聡介の話が私の心中をクルクルと回る。彼の言ったように、この狂気というものが人間の正常な状態ならば、私たちのズレの意味は違ってくる。ズレているのは私ではなく、他のものたちということになる。

 いや、それでも結果は変わらない。

 そうなれば、彼が今度は異常になる。そして、私は正常に。どの道、私は彼と同じ世界を生きられない。ならば、どちらでもいいのかもしれない。

 今のこの、不本意ながらも心地のよい距離が、私と彼の最高の近さなのだ。

「巴月、疲れただろう。眠ってもいいよ。着いたら起こすから」

 私の頭を撫でていう彼に、あえて不機嫌そうな顔をしてみせる。

「平気よ。子ども扱いしないで」

 言っては見たものの、彼に頭を撫でられると、私はどういう訳か眠くなる。私は少しだけ体重を聡介に預けて目を閉じた。

 

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