第4話
推定自殺(中)
嫌な胸騒ぎがした。
夕暮れ時、私は特に何をするわけでもなく、冷蔵庫から取り出したウーロン茶をコップに注ぎ、ちびちびと飲んでいた。室内はエアコンのおかげで涼しいが、外はまだまだ暑い。九月もそろそろ終わりだというのに、なぜこんなに暑いのか。と、悪態を付きたくなる。
丸テーブルの上には、写真のカラーコピーが何枚も乱雑に散らばっていたので、それを無理やり押しのけてスペースを作り、そこにコップを置く。
どかした拍子に、写真が二、三枚床に落ちた。
それは一週間前に聡介が置いていった新しい写真だった。小柄な女の子を上方から撮影したもの。連続写真なのか、三枚微妙に動きのあるものが撮れている。彼の話だと、ストーカー被害届を出していた少女と親しい人物なんだとか。彼女も先日の自殺の現場に移っていた遺体と同じ、長い黒髪に白い肌という特長を持っていた。
この子も襲われれば、バスルームで真っ白な死体になるのだろうか。それとも、すでにストーキングされている佐賀仁美の方が先か。
もし佐賀仁美が殺されたら、きっと聡介は心の底から自分の無力さを悔やむのだろう。彼は警察でもなければ、探偵でもない。彼女の友人でも、知り合いですらない。いわば無関係だ。多少心を痛めることはあっても、そこまで深刻に悔やむ理由などない。それなのに、彼はきっと自分を責めるはずだ。彼はそういう男なのだ。狂気と日常の狭間にいながら、もっとも良識的で常識的であろうとする。それどころか、清く正しくあろうとする。それが彼自身を苦しめると、分かっていながら、それでもその信念を貫くのだ。だから、私は彼の願いを尊重してやりたい。彼が私を頼ってくれる以上、出来る限りそれに答えたい。
自殺に見せかけた他殺が何人増えようと、佐賀仁美が殺されようと、私にはどうだって良い。でも、彼がそれを望まないなら、何とかしようと思う。
今日は、あのお人よしは訪ねてくるだろうか。
最近は仕事で張り込みをしているので、週に一回ほどしか来ない。こうしてみると、彼がいつも、どれだけ頻繁に出入りしていたかが分かる。
そういえば、さっき注いだウーロン茶のピッチャーは残り少なくなっていた。私は水で一向に構わないが、聡介にはウーロン茶を出したい。私は面倒に思いながらも、ケトルでお湯を沸かすことにした。
『水も良いけど、ウーロン茶は体にいいんだよ。ダイエット効果もあるしね』
そう言って、作り方を教えてくれたのも、聡介だ。他にも、料理などをいろいろ教えられたが、面倒だし覚えることが多いので忘れた。その点、コーヒーとウーロン茶の作り方は単純で良い。
ウーロン茶の茶葉を探そうとして、ハッと思い出した。前回で茶葉は切れていたのだ。
ということは、買いに行かなくてはいけないのか。
私はまた、面倒だと思った。外に行くということは、きちんとした格好をするということだ。無論、着古したワイシャツ一枚というだらけた姿では外出できるはずもない。
それでも―。
私は一つため息をついて、着替え始めた。
黒のプリーツスカートに、七部袖の白いブラウス。シックで堅い服しか、私は持っていない。その分、部屋ではだるい格好をしているというわけだ。
私は鏡を見て、髪を整える。艶のあるミディアムロングのストレートヘアはアルビノのような銀色で、同じように色白の顔に馴染む。それは神秘的を通り越して、既に病的とも言える。
鏡に一瞥して、部屋を出る。財布と、携帯電話は持った。鍵もかけた。
私は、近くのスーパーマーケットへと向かった。
さして、何のことはない。スーパーでの買い物に、それほど面白みなどというものは見つけられないが、買い物は普通にこなせる。私はウーロン茶のティーバックとカロリーバーを二箱買って、店を出た。
時刻は午後六時。
私は少し考えて、寄り道することにした。行き先は、柊骨董店だ。もしかしたら、聡介に会えるかもしれないと思ったのだ。ここ一ヶ月ほど店に顔を出してしないので、丁度いい。
柊骨董店の主人、柊千介とはよく知った仲だ。柊は堅気の商売人ではない。表向きは寂れた骨董店の店主だが、その正体は超自然科学者だ。この面倒くさい呼び方は、柊自身が提案したもので、一般の人間には、そう言って説明を始めたほうが呑み込みやすいのだそうだ。超自然科学を一番分かりやすく変換すると、ずばり、魔法使いだ。
そう柊千介は、魔法使いなのだ。
正直、私自身も完全に信じきっているわけではないが、少なくとも彼が現代科学では到底解明できない事柄をいとも簡単に扱うという事実は、変わらない。魔法使いかどうかは別として、普通の人間でも科学者でもないのは間違いないようだ。
商店街の一番端、見るからに寂れた小さな店。隣と犇めき合っているのが商店街のはずなのに、柊骨董店は、店二つ分、開いた場所にある。その先を曲がればビル群へと繋がるため、無視されやすい角地だ。だが、店の違和感は、それだけではない。よくは説明できないが、その店の敷地だけ、ぼんやりと取り残されているような感じなのだ。そして少なくとも私はこの店に客が入っているのを見たことがない。よく商売が成り立つものだ。
私は一見営業しているのかどうか、分からない店のドアを軽く叩いてみた。
返事はない。
しかし、返事がないのは、今に始まったことではない。私は無遠慮にドアを開ける。カランカランという乾いたカウベルの音が、そう広くはない店内に響いた。そのままズカズカと店内を進み、二階に上がる。二階にはトイレと物置と事務所があって、柊や聡介は事務所にいることが多い。
私は事務所の前までいくと、再びドアを軽くノックした。またしても、返事を待たずにドアを開ける。
「柊、入るわよ」
言うと、奥のワークデスクに座っていたスーツ姿の男性が顔を上げた。
「おう、巴月嬢。久しぶりだな。丁度よかった。君を呼ぼうかと思っていたところだよ」
歳は三十代前半。服装もさることながら、ダークグレーの銀髪に青い目という風貌は日本人の顔でありながら、どこか外国の紳士を思わせる。彼はこの店の主人、柊千介だ。
「私を?用件は何かしら。まさか、この前の自殺事件のことではないわよね?」
「そのまさかだよ」
柊は眉を器用に片方だけ上げて言った。
「ま、座りなよ。コーヒー、飲むだろう?」
相変わらずのゆるい空気をかもし出す男だ。私は頷いて、ソファに座る。手に持っていた袋を床に置くと、ビニールの袋から型崩れして、中身が見えた。
「落としたてじゃなくて悪いね」
彼は奥の給湯室からカップに入れたコーヒーを持ってくると、ミルクと砂糖と一緒に、私の前に差し出す。
「実は、例の自殺に見せかけた殺人の犯人が分かった。ま、一般論で言えば、意外な人物だったよ」
「あら、案外早かったのね」
私は言うと、彼は苦笑いをしながら、
「まぁ、結果としては、犯人が我慢し切れなかったということだろう」
「どういうこと?」
「サガヒトミって、知っているかい」
私は頷く。
「行方不明になったよ。三日前の晩からね。最悪今頃どこかのバスルームで『自殺』しているかもしれないな」
「ちょっと待って。サガヒトミは、聡介が監視していたんじゃないの?」
「そうさ。だからこそ、犯人が分かったんだ。佐賀仁美は、彼女の親友と一緒にいるところを最後に行方不明になった。その後聡介君がその親友に連絡を試みたが繋がらない」
柊は、私の言葉を待っているようだった。
「じゃあ、その親友という子が犯人?」
「その通り」
「なんだ、本当にあっけないのね」
「そう言うなよ。特別な推理なんてしなくてもわかるのがこういう事件なのさ。そもそも、これは難攻不落の推理小説でもなければ、極上のミステリーでもない。名探偵はいないし、名推理も、巧妙なトリックもない。ただ、情報量や視点、発想の転換だけで真相が見える、いわば事実探しなのだから」
私はそれにさして興味なさげに相槌を打つ。
「それで、私を呼ぼうとしてたって言ってたけど、用件はなに?その親友ってのを捕まえろっていうの?嫌よ。普通の人間は普通の人たちに任せるべきでしょう」
柊は何も答えず、コーヒーを啜った。この男がこういう間をおくときは、大抵よくない情報を公開する前触れだ。
「その親友って子ね。欠落者だったよ」
私はその単語に眉を顰めた。
欠落者。
世界のルール、カテゴリー、様々な『枠』から外れる、異端の者。
彼らは何かを代償に、人外の力を得る。それは欠落の種類や度合いよって違うが、より人間らしいシステムの欠落ほど、強力な力になるようだ。
「どうして分かったの?捕まえたわけでもないでしょう?」
「聡介君がやられた」
ザワリと、感情が高ぶるのが分かった。
「どういうこと?やられたって!」
私は思わず立ち上がる。自然と声も大きくなった。
「落ち着きなよ。本当に聡介のことになると、分かりやすいね、君は」
「いいから、どういうことなの。聡介は?」
「多分、捕まっているよ。彼女(・・)の家にね。『自殺』がまだなら、佐賀仁美も一緒だろう。昨日、その親友の家を訪ねに行って捕まったってわけさ。だが、意識が途切れる前におおよその情報を待機状態の携帯電話の電波に乗せて飛ばしたあたり、さすがだね。情報を電気信号にして、それをまた情報に組み替えるなんて、科学者でも魔法使いでもないのに、すごいよ聡介君は」
「聡介は、生きているのよね?」
恐る恐る、一番怖い質問をする。
「ああ、もちろん。聡介君が死ぬようなことがあれば、さすがに俺自ら出向いているさ。でも、大丈夫。だから、君に頼もうと思ってね。しばらくこの手の依頼がなかったから、君も飢えているだろう?」
そんなことはいい。それよりも、早く助けに行かなければ。聡介は、ただの人間なのだ。
柊の話も途中にして、私は席を立った。きょろきょろと見渡して、部屋の端に転がっている金槌を手にする。
「場所はどこだかわかる?」
私がいうと、柊は机の引き出しから紙を二枚取り出して、こちらに投げた。
「写真と住所だ。名前は……」
「いいわ。名前なんて聞いても意味無いもの」
床に転がっていた金槌を拾い上げる。
二ポンドほどの両口の金槌だ。重い分だけ武器になる。
「それより、これ借りていくわね」
手にしていた金槌を振っていうと、彼は「どうぞ」と言って笑った。
「あんまりやりすぎちゃだめだよ」
後ろから聞こえた声に、私は答えなかった。
ドアがパタンッと閉まる音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます